13年と言う年月が流れました




この日は子供の中学の卒業式でした


式が終わってワイワイして

家に帰ってテレビをつけると

意味が理解出来ない(ごめんなさい)

映像をどのチャンネルも流していました


小6だった下の子は

学校で地震を体感したと

(何キロ離れてるって)


阪神淡路大震災を体験しましたが

それでも

この東日本大震災は

私の中では衝撃的な出来事でした


日本の中で普通に生活している地域と

画面の向こうで生活が

普通に出来なくなっている地域が

あるという事実


今年の元日の能登半島大震災も

地震を体感して

去年に福井県のあわらで

仕事をしていたので

他人事と思えないぐらい

ドキドキしました


旦那さんが石川で働いている

ベトナムの実習生の子

金沢(だと思う)に

家族を残して単身赴任している人

私と一緒に向こうに向かい

帰る事なく向こうでの移動が決まった人


土地勘が無いので

大丈夫かな〜

生活、出来ているのかな〜と

当時は

向こうの工場の被害聞いてます?

と聞いてましたが


今現在、そういう気持ちが

薄れているのが事実です


阪神大震災の時でさえ

神戸の出来事は

申し訳ないけど

画面の向こうの世界でした


当日も仕事に行き

(余震もかなりありましたが)

帰って何処?ココ?って


そんな中で

時間系列を報道されると

その時だけは

襟を正してって思います


度々起こる、大震災

次は私の住んでいる地域かも

と思いながらの生活が大切なのかな?

もっと真剣にむきあった方がいいのかな?


私の性格上

『まぁ、大丈夫。何とかなる』

ってのはほんと生活するのが

向いているのですが、

理解出来ない地震が起こると

『むぅ』って立ち止まって考えて

『まぁ、何とかなるよ』

って(笑)


今回の13年の経過と石川県の震災は

私をそんな風に思わせました


何が正しくて何が間違っているかは

私には分かりませんが、

生きているって『何とかなるよ』

ぐらいでいいのかな〜って


まだまだ、復興には程遠い感じで

胸が痛くなりましたが

自分に出来る手助け

(その土地の物を購入するとか)

で自己満足させるしか

私には出来ないので

東北や石川の方に

『頑張って』

としか言えません

本当にごめんなさい