ダディ竹千代と東京おとぼけCATSって知ってますか?

著名アーティストの完全パロディコピーや挑発的な歌詞、

エレキベース担当のなかよし三郎がチョッパー奏法(スラップ奏法)をあらゆる素材で奏でる

「あるめん大根チョッパー」「豆腐チョッパー」など、

過激なパフォーマンスで知られたバンドで

ダディの「イギリスはロンドンからやってまいりました」で始まるゲスト大会は、

音態模写で常に爆笑を誘ったのです。

活動期間は1976~1981年の5年間ほどだが、

様々なジャンルからミュージシャンが関わり、

70~80年 代の日本の音楽シーン全般に影響を与えた特異なバンドです。

 

何故取り上げたかと言うと作詞は本名の加治木剛を名乗り

カルメンマキ&OZの楽曲の作詞を手掛け、マネージャーでもあった人物なのです。

実はギタリストの春日博文が高校の同級生で、

その縁でカルメンマキ&OZのスタッフになったのです。

有名な「私は風」の作詞はカルメンマキが手掛け違いますが

デビューシングル「午前1時のスケッチ」を羽切りに

僕の好きな「6月の詩」、「崩壊の前日」、「空へ」は彼の作詞なのです。

実はその空白の時間に加治木が春日と児島と来住野を誘って作ったバンドが東京おとぼけCATSです。

ライブ・デビューは1976年、世田谷区上馬のライブ・ハウス「ガソリンアレー」。

結成当時の音楽コンセプトは“東京を唄う”。メンバーは全員黒い背広。

キャバレー・バンドのように譜面を見ながらバック演奏して、

ダディ竹千代は専属歌手というイメージだった。

レパートリーは東京の地名を使ったオリジナル曲やカバー曲。

観客は身内ばかりだったがウケは良かった。

この頃の渋谷屋根裏ライブはいつも超満員。

客もバンドも酸欠になるくらいに盛り上がった。

RCサクセションに抜かれるまではおとぼけCATSが動員数の最高記録を持っていた。

 

 カルメンマキ&OZ 「空へ」

 

 

ダディ竹千代と東京おとぼけCATS ゲスト大会