僕の家の家系について話しておこうと思います。

父のお父さん、つまり僕のお爺ちゃんは重作(じゅうさく)と言いました。

富裕な地主さんだったようですが

僕が生まれた時はもうこの世にいなかったので何も知りません。

ただあの山からこの山までという感じで莫大な土地を所有してたみたいです。

だから親父は重作の重を取って重徳という名前なのです。

おばあちゃんは万という名前以外、

どんな顔でどんな素性なのか全く知りません。

わかっているのは親父を高齢出産の一人っ子で産んでいます。

(僕はおばあちゃん子だったらしいけど薄情にも面倒をみてもらった

記憶がないのです、物心ついた時はもういなかったのです。)

親父は歌が好きで学業はあまりはげまなかったみたいで

最終学歴は簿記学校卒です。

歌手になりたかったみたいでNHKのラジオのど自慢にも出たみたいです。

鐘は二つで駄目でしたけど。

(そういえばお風呂で春日八郎を歌っていました、

それで僕は「お富さん」が歌えるようになったのを覚えています。)

 

おふくろのお父さんは圭一といいます。

つまり僕のもうひとりのお爺ちゃんです。

こちらは健在だったので思い出がいっぱいあります。

お爺ちゃんの家は富士山の森林を所用する地主でした。

つまりおふくろと親父は地主同士の結婚になるのです。

おふくろが16の時おふくろのお母さんがけふ子おばさんを産んで他界してしまいます。

だからおふくろがけふ子おばさんのお母さん代わりになって育てたのです。

(けふ子おばさんがお袋を慕っていたのはそういうわけです。)

だけど僕はおふくろは何も話さないのでおばあちゃんの名前すら知りません。

おふくろは親父と違って幼い頃から使用人の面倒もみてみてきたようです。

それに兄と3人の弟もいたから苦労も絶えなかったようです。

勉強も良く出来て地元の女子高の名門吉原高等学校を出て

東京の文化服装学院を出てますからかなり優秀だったようです。

 

僕は小学校の頃、何故か日曜になると兄貴と一緒に母方のお爺ちゃんの家に行かされました。

それはおふくろが働きに出なきゃいけないので

日曜は学校が休みの兄と僕の面倒をお爺ちゃんに頼んだからだったのです。

僕らはお茶の精製期にはお茶工場をそれ以外はお茶畑の草むしりをやりました。

僕はその仕事が大嫌いだったのでおかげで百姓の仕事は一生するもんかと決めたのです。

だから実は鍬とかトンガとか農耕器具の扱いは僕は上手いのです。

 

母方のお爺ちゃんは僕の名付け親でした。

親父が事業に失敗して家の財産を失った後に生まれたので

信用される子になりますようにという意味で3番目の男の子ですので信三になったのです。

実は田舎にいた頃はこの名前は好きではありませんでしたが最近合ってるなと思うのです。

だって四角張って融通が効かない所なんか言い得ていませんか?

ちなみに僕が生まれる一年前に亡くなった長男は親父の重を取って重一と言います。

次男の兄貴は母方のお爺ちゃんの圭を貰って圭治と言います。

ついでに姉貴は父方のおばあちゃんの万におふくろが里子だから里を取って

合わせて万里子でまり子になったのです。

妹の千秋はもう子供はお終いという意味で千秋楽の千秋です。