「Don't trust anyone over thirty」とは60年代のヒッピームーブメントの中、反ベトナム活動をしていたジェリールービンという人が使った言葉である。

「60年代のアメリカで、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者たち」という意味で

「既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会的行動をとった若者自由を愛し、自分を信じ自分の生き方を肯定する。そして地球を愛する人間たち」という意味かもしれない。

67年、ヒッピー・ムーブメントがピークに達した年として刻まれている。1月にはヒッピーの祝祭と言われる「ヒューマン・ビー・イン」がゴールデン・ゲート・パークで開催された。「30歳以上を信じるな」というキーワードを掲げた反体制運動の指導者、ジェリー・ルービンやドラッグ・カルチャーの教祖的存在だったティモシー・リアリーら60年代のカルトヒーローもステージからアジテーションを投げかけた。6月にはサンフランシスコ近郊で「モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバル」が行われ、デッドやエアプレインの他、ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンをスターダムへと押し上げた。

ロックの世界で「Don't Trust Over Thirty」(30以上の大人は信じるな)という言葉を聞いたことはないかい?

具体的には僕はとうに30歳は越えているしこの言葉の範疇にはもう収まらない。

だけどカウンターカルチャーの影響を受けた僕の精神にこのロックスピリットが大きく絡んで僕の人生で生き永らえている。

今でも僕はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」や中上健次著「19歳の地図」を読み衝撃を受けたのを覚えている。

 

 

この情景は故尾崎豊氏の「卒業」という曲の歌詞が分かり易くなるので引用させて頂く。

 

「卒業」

 

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空

幻とリアルな気持ち 感じていた
チャイムが鳴り 教室の いつも席に座り
何に従い 従うべきか 考えていた

ざわめく心 今 俺にあるもの 意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声と ため息の 飽和した店で
ピンボールの ハイスコアー競いあった
退屈な心 刺激さえあれば 何にでも大げさにしゃべり続けた

行儀よく まじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ 大人との 争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと
この支配からの 卒業

誰かの 喧嘩の話に みんな熱くなり
自分が どれだけ強いか 知りたかった
力だけが 必要だと 頑なに信じて
従うとは 負けることと 言きかした
友達さえ 強がって見せた 時には誰かを 傷つけても

やがて誰も 恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに 心奪われた
生きる為に 計算高く なれと言うが
人を愛す まっすぐさを 強く信じた
大切なのは何 愛することと 生きる為にすることの 区別迷った

行儀よく まじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス 壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった

信じられぬ 大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過ごした ひとつだけ解ってたこと
この支配からの 卒業

卒業して いったい何 解ると言うのか
想い出のほかに 何が 残ると言うのか
人は誰も 縛られた かよわき子羊ならば
先生あなたは かよわき大人の 代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向うべきなのか
これからは 何が俺を 縛りつけるだろう
あと何度 自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気付かずに あがいた日々も終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業

 

 

この詩はまさに「17歳の地図」なのである。

「ライ麦畑でつかまえて」の17歳の主人公ホールデン・コールフィールドが既成の概念や価値観を押し付ける大人達への異議を唱える「低能野郎」」という言葉と重なってくる。

これは果たして思春期の一瞬の時期の発想なのだろうか?

人はこの時期を通過してまるで何事もなかったように

既成事実や秩序や価値観を容認し強制する大人に変貌する。

それが生きる術だしそれがこの世界の「弱肉強食」の作り出す掟なのだろうか?

僕はメジャー路線を歩んで来なかった。

カッコよく言えばアウトローなのだがその実情はただの異端児でありかなり厳しい人生を強いられている。

ただ僕の価値観(ロックスピリット)はマイナーなので言いたいことは言えるけど影響力は殆どないに等しい。

弱肉強食のこの社会では僕のような考えは抹殺されてしまう。

Twitterも本音で音楽のメジャー路線を否定するツイートをするたびにフォローワーが減ってくのが現状になってしまう。

(最近は巷で噂の安室奈美恵の引退報道を受けて綺麗事の賛辞がキナ臭い、僕には彼女の引退などどうでもいいことで大体彼女を有名にした小室サウンドが好きじゃないし小室哲哉も人間的に好きじゃない。金満男に変身した大嫌いな大人たちの代表みたいな秋元康率いるAKBのメンバーの名前も顔も曲もまったく知らないし芸能界の胡散臭さを感じるのでどうでもいい。70年前後のロックで育った僕にはドキドキしないツマラナイ音楽。)

世間様の常識とは大きくかけ離れているし他人様の顔色を窺って迎合するのは絶対嫌で自分の感性を信じてる。