「Kitch-george」

野口さん(故人)という方が面白い喫茶店をいくつかやっていた。倉橋由美子氏の小説にも登場するJazz喫茶「Funcky」、Jazzなどを生演奏するパブ「Sometime」、南口マルイに行く道の今は無き「飛行船」の前の地下にあったブリティッシュ系のロック喫茶「Be Bop」(地下への階段を降りて入り口を開けると常連客に必ず睨まれる。)、北口サンロードに入ってすぐ右脇に逸れたOTビル(あの月光仮面の大瀬康一所有)の1階にJazz喫茶」「Outback」、隣接して僕があしげく通ったアメリカン系のロック喫茶「赤毛とソバカス」があったし、「西洋乞食」なんて綺麗なお姉さんのいるJazzがBGMで流れてお喋り出来る喫茶店もあった。
(当時Jazz喫茶なるところは高価な音響装置で店内に音を響かせマイルスとかコルトレーンなどを不味いコーヒーを啜りながらひたすら首をうな垂れて目を瞑って瞑想する場所でどんなに苦しくても言葉は注文の時以外は発してはいけない感があった。僕は間違って言葉を発して「MEG」というJazz喫茶で常連客らしい人からお叱りを受けたことがある。)

北口に中野のブロードウェイを模したようなサンロードというショッピングアーケードが出来ていた。そこに立ち並ぶ店はまだ乱雑で新旧入り交ざっていたが何か新しいことをしてるという活気が感じられた。(なんでもそうだが完成された結果より未完成ながら創造して作り上げていくプロセスの方に息づかいを覚える。)

サンロード入口左側にはアメリカ屋靴店(今でいえばABCマートみたいなもの)があって左に抜けるダイヤ街を挟んで次のビルの2階にはこの時代の証しのような「ピザハウス・ジロー」があったような気がする。(今は駅前は家賃が法外に高く、大手のチェーン店か有名店しか入れない、独創的な個人経営者などは経営を度外視するのでとても家賃が払っていけない、この辺も今の吉祥寺を映し出している。吉祥寺にかつての息吹きを感じないのはただの有名店やチェーン店がひしめくだけの小奇麗な街に成り下がってしまったからだろう。)

ちょっと端折るがサンロードは未完のアーケードだった、70年代を象徴するような「スパゲッ亭」(当時はまだパスタなんて言う言葉は流用していなかった。)がありその前にはなんと普通の郵便局が存在していた。吉祥寺大通りに至るサンロードを真ん中でぶった切った通り(何て呼ぶのか気にかけたこともないので名称を知らない。)を渡ってしばらく行くと左側に「ニューヨーク」なるジーンズショップがカッコよくそびえ立つ。(僕は此処で今は無きHalfのジーンズを買った。)そしてなんとその横にはなんの改装もしてない普通の定食屋が存在してた。(名前すら記憶にない。)さらに奥に進むと「西友」(今でもある。)だった。あの牛丼の「吉野家」もこの辺りの左側にあったと記憶している。(ただこの時代「吉野家」は閉散としていて箸が箸立てに抜けないぐらいびっしりと詰め込んであった。)

サンロードの終点の左側は「武蔵野館」という映画館で僕はここで映画を見た記憶はなくなぜか「ソー・バッド・レビュー」のライブを見ている。(今は亡き石田長生氏の青いストラットとギタープレイに見入っていた。)

サンロードが終わって五日市街道の向こう側に「ピンクハウス」とレストランパブみたいの「ハックルベリー」があった、さらに左に行くと割烹料理の「大網」があったと思う。

―To be contenued―