今日はゴールデンウィーク最終日、
皆さんはいかがお過ごしですか?
わたしは玄関に花菖蒲を飾り、柏餅をいただいて、夜には菖蒲湯に浸かり…と、端午の節句を堪能しています。
さて、本日は端午の節句、こどもの日でした。
日本の祝日法では、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」趣旨の祝日となっています。
ゴールデンウィークって、いつも連休で嬉しい!のですが、実はこういった趣旨がある祝日が集まっているんですよね。
5月3日は憲法記念日でした。
今年はコロナ禍での連休でしたので、ふとそういった祝日についてしみじみ考えていました。
こどもの日は、端午の節句が5月5日であることにちなんで制定されたそうですが、「母に感謝する」って、皆さんご存じでしたか?
なんだかこれまでもっていたこどもの日のイメージとは、違っていませんか?
わたしは、もっと自分の国のことを知らなければいけないのでは?と感じました。
こどもには必ず親がいます。
生物として生まれている以上、親がいない子どもはいません。
そう考えると、母に感謝とは、この世に生を受けたことへの感謝にも繋がるのかなと思います。
そして、1951年の今日は、子どもの権利に関する宣言である「児童憲章」が制定された日です。
児童憲章には、「児童は人として尊ばれる、児童は社会の一員として重んぜられる、児童はよい環境の中で育てられる」とあります。
児童憲章では、「児童は社会的責任を果たすように導かれ」、「すべての児童は愛とまことによって結ばれ、人類の平和と文化に貢献するように導かれる」のだそうです。
単純に、子どもが主役の日、と思っていた5月5日ですが、こどもの日のイメージが少し変わりませんか?
「社会の一員としての責任」という一文なんて、子どものというよりも、未来の大人になる人たちへの言葉ですよね!
そう考えると、わたしたち大人も、準主役としてしっかりしなくちゃ!と思いました。
自由とは、無秩序で無責任に振る舞っても許される無法地帯のことではありません。
でもしばしば、はき違えられた自由を見聞きします。
もっとこうした「日本」についてのことを、未来の大人になる子どもたちへ、わたしたち大人には伝える責任があり、そこためにはわたしたち大人がもっと「日本」のことを知る必要があると思います。
外国の方と話していると、たまに思うことがあります。
「わたしって、日本のことを全然わかってないな」と。
外国の方は、自国の宗教や歴史について、例えば聖書のお話や神話について、基礎知識として持っていることが多いです。(経験上、アジア圏の方とこういった話をしたことがなく、例が局地的ですみません…)
ですが、わたしたち日本人は、どれ程の人が「古事記」や「日本書紀」に書かれている神様たちについて知っているのか、仏教徒として「四十九日法要」の意味や、お釈迦様がどんな風に生まれたのか、子どもたちに話してあげられる人がいるのか…
すぐに答えられない日本人は、とても多いのでは?と思うのです。なぜだろう?
外国では、有名なスパイ映画でも、ハニートラップをかける美女を「ペリシテ人の女」とか、「デリラ」や「デライラ」と言ったりしますが、日本では嫉妬に狂っている人に、「般若になるよ」とか、「六条の御息所にならないようにね」なんて言いませんよね。
ちょっと外国の人にジェラシーを感じてしまう瞬間です。
わたしたち日本人は、自国の文化にもっと興味を持ったり、プライドを持って大切にしていけたら、もっとステキな日本になるのでは?と思います。
愛国心って、排他的な考えや、鎖国することとは違います。そして変化はしていくものです。
残念ながら、淘汰され消えるものも出てきます。
例えば、端午の節句は、元々は、5月の田植え前に田の神に祈るものだったり、邪気祓いをするためのものだったりと、対象が女性だったことがあるそうです。
魔よけの「菖蒲」が、江戸時代の武家社会では「勝負」につながり、こいのぼりといった歳時の行事に繋がったとか。
変化や淘汰は仕方ないけれど、皆が失くしてもいいと決めて消えることと、存在を知らずに消えることとは意味が違いますし、そうやって文化が消えてしまうのは寂しく悲しいことです。
節句の行事は、日本古来とはいえ古くは中国の文化で、現代の日本でもクリスマスやハロウィンなど、他国の文化や宗教行事が馴染んできました。
大きな抵抗もなく外国を受け入れる国民性や、祭事好きで「めでたし、めでたし」を良しとする文化は、とても日本人らしいといえます。
神道の初詣や仏教のお盆を共存させるわたしたち日本人は、多様性を許容する素晴らしい民族のひとつであり、それこそは変化し続けてきた証です。
国際化、多様性が進む今、いろんなことをきっかけにして、小さいことでもいいので、日本人で生まれたことを誇りに思い、ステキな日本人になっていきたいものだなと思います。
皆さんはいかがお過ごしですか?
わたしは玄関に花菖蒲を飾り、柏餅をいただいて、夜には菖蒲湯に浸かり…と、端午の節句を堪能しています。
さて、本日は端午の節句、こどもの日でした。
日本の祝日法では、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」趣旨の祝日となっています。
ゴールデンウィークって、いつも連休で嬉しい!のですが、実はこういった趣旨がある祝日が集まっているんですよね。
5月3日は憲法記念日でした。
今年はコロナ禍での連休でしたので、ふとそういった祝日についてしみじみ考えていました。
こどもの日は、端午の節句が5月5日であることにちなんで制定されたそうですが、「母に感謝する」って、皆さんご存じでしたか?
なんだかこれまでもっていたこどもの日のイメージとは、違っていませんか?
わたしは、もっと自分の国のことを知らなければいけないのでは?と感じました。
こどもには必ず親がいます。
生物として生まれている以上、親がいない子どもはいません。
そう考えると、母に感謝とは、この世に生を受けたことへの感謝にも繋がるのかなと思います。
そして、1951年の今日は、子どもの権利に関する宣言である「児童憲章」が制定された日です。
児童憲章には、「児童は人として尊ばれる、児童は社会の一員として重んぜられる、児童はよい環境の中で育てられる」とあります。
児童憲章では、「児童は社会的責任を果たすように導かれ」、「すべての児童は愛とまことによって結ばれ、人類の平和と文化に貢献するように導かれる」のだそうです。
単純に、子どもが主役の日、と思っていた5月5日ですが、こどもの日のイメージが少し変わりませんか?
「社会の一員としての責任」という一文なんて、子どものというよりも、未来の大人になる人たちへの言葉ですよね!
そう考えると、わたしたち大人も、準主役としてしっかりしなくちゃ!と思いました。
自由とは、無秩序で無責任に振る舞っても許される無法地帯のことではありません。
でもしばしば、はき違えられた自由を見聞きします。
もっとこうした「日本」についてのことを、未来の大人になる子どもたちへ、わたしたち大人には伝える責任があり、そこためにはわたしたち大人がもっと「日本」のことを知る必要があると思います。
外国の方と話していると、たまに思うことがあります。
「わたしって、日本のことを全然わかってないな」と。
外国の方は、自国の宗教や歴史について、例えば聖書のお話や神話について、基礎知識として持っていることが多いです。(経験上、アジア圏の方とこういった話をしたことがなく、例が局地的ですみません…)
ですが、わたしたち日本人は、どれ程の人が「古事記」や「日本書紀」に書かれている神様たちについて知っているのか、仏教徒として「四十九日法要」の意味や、お釈迦様がどんな風に生まれたのか、子どもたちに話してあげられる人がいるのか…
すぐに答えられない日本人は、とても多いのでは?と思うのです。なぜだろう?
外国では、有名なスパイ映画でも、ハニートラップをかける美女を「ペリシテ人の女」とか、「デリラ」や「デライラ」と言ったりしますが、日本では嫉妬に狂っている人に、「般若になるよ」とか、「六条の御息所にならないようにね」なんて言いませんよね。
ちょっと外国の人にジェラシーを感じてしまう瞬間です。
わたしたち日本人は、自国の文化にもっと興味を持ったり、プライドを持って大切にしていけたら、もっとステキな日本になるのでは?と思います。
愛国心って、排他的な考えや、鎖国することとは違います。そして変化はしていくものです。
残念ながら、淘汰され消えるものも出てきます。
例えば、端午の節句は、元々は、5月の田植え前に田の神に祈るものだったり、邪気祓いをするためのものだったりと、対象が女性だったことがあるそうです。
魔よけの「菖蒲」が、江戸時代の武家社会では「勝負」につながり、こいのぼりといった歳時の行事に繋がったとか。
変化や淘汰は仕方ないけれど、皆が失くしてもいいと決めて消えることと、存在を知らずに消えることとは意味が違いますし、そうやって文化が消えてしまうのは寂しく悲しいことです。
節句の行事は、日本古来とはいえ古くは中国の文化で、現代の日本でもクリスマスやハロウィンなど、他国の文化や宗教行事が馴染んできました。
大きな抵抗もなく外国を受け入れる国民性や、祭事好きで「めでたし、めでたし」を良しとする文化は、とても日本人らしいといえます。
神道の初詣や仏教のお盆を共存させるわたしたち日本人は、多様性を許容する素晴らしい民族のひとつであり、それこそは変化し続けてきた証です。
国際化、多様性が進む今、いろんなことをきっかけにして、小さいことでもいいので、日本人で生まれたことを誇りに思い、ステキな日本人になっていきたいものだなと思います。