母に電話をした。私が大好きだった父方の祖父の命日だったので、お線香を代わりにあげて欲しかったのだ。電話に出た母にそう伝えると、「え?そうだったっけ?」と。やっぱりか、と心で思った。母は認知症を発症しいて、記憶がだんだん薄れていっている。そして、私は一から説明をしなければならない。やれやれ。しかし、こうして説明をして思い出させるようにしてあげると、点と点が繋がるように、パッと思い出す瞬間があるのだ。「あ、そうだったね。」母が思い出してくれたようだ。それから色々と話をしているうちに「○○○、体は大丈夫なの?ガンはどうなの?」と母が聞いてくる。あ、忘れないで覚えててくれてるんだ。ちょっと嬉しかった。「大丈夫だよ。あれから、あれから、」私は、手術からもう何年たったよ、と言いたかったのだが、その何年という数字を即座に思い出せなかった。もう、ある過去の出来事のように感じているのかな。今、2024年だから、2024年だから、

 

4年も経つんだ。

サバイバー4年生だ。

 

 告知された日、この日も母に電話していた。母は「何で、何で○○○が」と動揺していたのを覚えている。母にとってガン=死であったようで、私が先に逝ってしまうように思っていたらしい。それから、両親は私のために色んなことをしてくれた。このような状況になると、やっぱり人は神とか目に見えない何かに頼ってしまうらしい。両親はユタ(沖縄の霊能者)に相談をしていた。そして、ユタが「ああしなさい、こうしなさい。」と言うこと全て私のためにやってくれていた。「この日に、ここの神社にお参りに行きなさい」と言われれば、朝早くからお祈りに行ってくれた。老体にムチを打って遠くまで行ってくれてたことを思うと、ありがたくて、ありがたくて涙した。

 

 当時の多くの場面が浮かんでくる。

「髪がなくなるのだけは嫌だから、絶対抗がん剤は受けない。」と必死に医師に抵抗していた私、

術後、巨乳になった胸を見て喜んでいた私、

何で私だけが、と泣いてた私、

 

 週1で病院通いしていたのが、月1になり、3ヶ月に1回となり、今は半年に1回。色んな人に支えられて私はこうして今元気にしている。感謝の気持ちでいっぱいだ。

 

 これからは、同じ病気で苦しんでいる方々に寄り添い、そのような方々を励ましていきたい。私の経験が少しでも役に立てばと願っている。そう、温泉で出会ったご婦人のように。「私は30年前に切ったのよ、大丈夫だから。ガハハハハ。」と豪快に笑って去って行ったご婦人。私の胸の傷を見て乳がんと分かったのだろう。見ず知らずの私に声をかけてきてくれたあのご婦人のように、私も生きていこうと。

 

私の大好きなイタリアンレストランで4年目に乾杯した。