シンガポールは、日本から飛行機で約7時間ほど南下した北緯一度直下に位置する小さな都市国家だ。その大きさは、東京23区を合わせたくらい、または淡路島と同じくらいと言われることが多い。気候は常夏で、平均気温は27℃だハイビスカス

 

暑いのが大好きな私には、ありがたい気候だ。ただ、一つ困ったことがある。それは、出来事を季節に関連付けて覚えていないことだ。いつも暑いから、日本でよくある「今日は本当に寒かったよね」というような会話がここにはない。弟の結婚式の日は今でも強烈に覚えている。それは大雪だったからだ。その前日から雪が降り出し、交通機関が麻痺してしまったため、急遽、遅れないように会場まで1日がかりで行ったのを覚えている。そんな気候に関連するエピソードが、シンガポールにはないのだ。

 

健康診断を受けた日も、いつも通り暑かった。大雨だったという記憶もない。ただ、コロナ明けだったので街中がひっそりと静まり返っていた。それ以外何も変わらない。外に出るにはマスクをしなければならない、それだけだ。

 

自分も変わらずこのまま、と思っていた。

 

 

マンモグラフィーとエコーを受けるために受付に戻る。付き添いの看護婦さんが受付係に説明をしてくれて、一連の手続きが始まった。何となく、先ほどより一層みんなが優しく接してくれる。乳がんの疑いがあることを考慮してのことだろう。書類にサインをした後は、浴衣のようなガウンを受け取った。これに着替えてマンモグラフィーか、と思うと怖いえーん

 

健康診断受診者は少なかったので、待つことなく、ガウンに着替えた後はマンモ室に直行した。マンモ室のドアをノックする。「コンコン」「Come in」と中から声が聞こえた。私は少し緊張しながら「は、はい、入りますね」と答えた。

 

部屋の中で待っていた技師は私より若いフィリピン系の女性だった(私より若いのは当たり前か)。フィリピンの女性はとても明るくフレンドリーで、看護の仕事に本当に適していると思う。ただ、この時の私は「この子、乳がんかもしれなくてかわいそう、絶対ならないようにしなきゃ」と思っているはずだ、と心が荒んでいた。だって、ガンかもしれないことが悔しかった。なんで私が。

 

技師さんが、私の名前と生年月日、そしてIDの確認をしてきた。名前は言えて当然なんだけど、ID番号は何度も英語で言う場面を経験しているのに、慣れなくて出てこない。動揺していたため、余計に出てこなくて泣きそうになった。

 

 

そして、検査方法についての説明が始まった。