お金は欲しいけどね、
無いより有った方が楽しいけどね、
お金の為に、それと引き換えに
大切な何かを売り渡さなきゃならないような
そんな仕事の仕方はしたく有りません。
時間給っていうのが一番納得しやすく、期待もせず純粋に労働
と引き換えに頂くお金と考えれば、妥当な働き方かも知れません。
やりがいとか、喜びとかは、その人が自分で見つけられるならその方が良いけど、
やりがいもやる気も喜びも見出せないとしても、労働に値する賃金という割り切り方をすれば
一番働きやすい形態が、時給制かも知れません。
そして、私にはその形態が一番合ってるような気がします。
何故なら、お金の為に働くという目的しかないから。
日々、いろんな人が、私に関わって来ます。
反対に私が関わる場合も有ります。
お互いに、自分の立場があり、お金をもらおうとする側であったり、
お金を支払う側の立場だったりするわけで、
働けば、お金を頂く立場になりますね。
頂く側の姿勢、態度、心構え、
それは、自分がこだわる仕事をしていればしている分だけ、
重要になって来ます。
世の中の為に、とか、社会に貢献したいだとか、恩返しできたらだとか、
人様の為になりたいとか、
そういった理由づけは無いよりも有った方がいいかもしれないけど、
結局は自分の為です。
自分が自分の利益の為にしていることです。
生きるため、食うため、自分の欲しい物を買う為、今よりもっと良い生活をする為、
旅行するため、子どもに教育を受けさせるため、社会的立場の獲得欲、野心など
目的は色々だけど、全部自分の為です。
ボランティアは違います。
私は、日本人の、
ボランティアという形態を利用して人を雇う経費を削減している
企業や地方自治の在り方が大嫌いです。
ボランティア精神と言うものは、無償の奉仕です。
何も見返りを期待せず、与える事のみに喜びを見出せるかどうかの仕事です。
私はアメリカで5年足らずでは有りますが、
日本のそれと、本来の意味の違いに触れたような気がします。
ボランティアをする人も、生活が有ります。
でも、その生活の中に、ボランティア活動が有るのです。
巧く云えないけど、多分それは、信仰心と同じスピリットです。
みな、信仰、なにかを、眼に見えないものを敬い、感謝する事を知っているのです。
そしてその事が何よりも代え難い報酬なのです。
お金儲けの仕方はいろいろあります。
でも、それは裏返せば欲です。
時給制が自分への報酬としてもっとも分りやすい手段と表現するなら、
世の中に貢献したい、人の為に働きたい人には、ボランティアが究極です。
でも、これは逆説的な結果をもたらします。
自分のために働けば、喜びは失われ、妥協と割り切りと惰性が蔓延する傾向に陥り、
人の為に奉仕するならば、大きな充足感と喜びとパワーを貰う事になります。
私の古くからの友人が、もう4年以上も公立の病院の緩和ケア病棟で
ボランティアをしている。
彼女がそれをするきっかけになったのは、彼女のお父さんが癌で亡くなられる迄の
緩和ケア病棟のスタッフとの出会いだったと聞いている。
彼女は、勤務医の奥様で、働く必要の無い暮らしをしている。
若い頃の彼女を知っている私は、男性交友経験も豊富な彼女が
まんまと、しっかりお医者さんの奥さんに落ち着き、
結婚式にも誰一人昔の友達は呼ばず、海外で親族だけの式を行った事を、
ずっと、反感に満ちた眼で見てしまっていました。
そして、今はあの頃の仲間で会っても、昔の自分は封印してしまったかのように
悪ふざけな話や、あんなこともあったよね、みたいな話には一切入って来ない。
普段の生活も、ハイソな奥様方とのランチや、やれ市議会選挙だのという
社交のお友達とつるんで忙しい彼女にも見える。
それでも、私は、
彼女のそんな虫のいい生き方にも、懺悔(大げさ?)の形があり、
ボランティアを続けている彼女に敬意を感じずにはいられない。
真心と信念が無いと出来ない仕事だからだ。
情熱だけでは長続きしない。
恋愛が冷めやすければ結婚は忍耐であるのと似ているかもしれない。
私は彼女の、あとの事は全部嫌いとしても、(高飛車な物の言い方とか、お姉さんぶった態度とか、気取った服装だとか!?)
彼女のそういった行動の中に
彼女の中の最も芯に流れる精神の尊さを見るような気がして、
どうしても彼女を見限ってしまえない。
彼女の中の最大の喜びは、彼女のみが知り得ること。
なぜならば、彼女自身が自ら突き動かされる何かによって行動している所に
価値の有る宝石のような魂への活力を得、彼女が生きる為に必要な、最も大切な人へと
還元しているに他ならないからだ。そうして又生かされ、他者に与え続ける事が出来る。
その循環を行動で知り、実行している彼女は、
誰にも褒められず、感謝もされていないかもしれないその毎週そこへ行くと言う行為を
4年以上も続けているのだ。
理屈っぽくて、誰も読んでやしないかと思うけど、
もし読んで下さってる人が居られたら、
彼女に私がそう思っている事を伝えて欲しいな。
いや、もう思ったから、伝わったかな。
友達関係でも、お互い尊敬し合える何かがないと続かないものです。
私は、逆に彼女に尊敬されるような生き方をしているかな?
実は、自信が無かったりする訳で。。。。
だから、もう一年も彼女に顔を合わせられないでいるのかな。
また、お姉さんヅラされるのは全く気分が許さないから!?
彼女は一生懸命生きてるね。
そんな彼女のことを分っているくせに、
ちっとも態度に表せない私はやっぱり、駄目な人だ~ね

無いより有った方が楽しいけどね、
お金の為に、それと引き換えに
大切な何かを売り渡さなきゃならないような
そんな仕事の仕方はしたく有りません。
時間給っていうのが一番納得しやすく、期待もせず純粋に労働
と引き換えに頂くお金と考えれば、妥当な働き方かも知れません。
やりがいとか、喜びとかは、その人が自分で見つけられるならその方が良いけど、
やりがいもやる気も喜びも見出せないとしても、労働に値する賃金という割り切り方をすれば
一番働きやすい形態が、時給制かも知れません。
そして、私にはその形態が一番合ってるような気がします。
何故なら、お金の為に働くという目的しかないから。
日々、いろんな人が、私に関わって来ます。
反対に私が関わる場合も有ります。
お互いに、自分の立場があり、お金をもらおうとする側であったり、
お金を支払う側の立場だったりするわけで、
働けば、お金を頂く立場になりますね。
頂く側の姿勢、態度、心構え、
それは、自分がこだわる仕事をしていればしている分だけ、
重要になって来ます。
世の中の為に、とか、社会に貢献したいだとか、恩返しできたらだとか、
人様の為になりたいとか、
そういった理由づけは無いよりも有った方がいいかもしれないけど、
結局は自分の為です。
自分が自分の利益の為にしていることです。
生きるため、食うため、自分の欲しい物を買う為、今よりもっと良い生活をする為、
旅行するため、子どもに教育を受けさせるため、社会的立場の獲得欲、野心など
目的は色々だけど、全部自分の為です。
ボランティアは違います。
私は、日本人の、
ボランティアという形態を利用して人を雇う経費を削減している
企業や地方自治の在り方が大嫌いです。
ボランティア精神と言うものは、無償の奉仕です。
何も見返りを期待せず、与える事のみに喜びを見出せるかどうかの仕事です。
私はアメリカで5年足らずでは有りますが、
日本のそれと、本来の意味の違いに触れたような気がします。
ボランティアをする人も、生活が有ります。
でも、その生活の中に、ボランティア活動が有るのです。
巧く云えないけど、多分それは、信仰心と同じスピリットです。
みな、信仰、なにかを、眼に見えないものを敬い、感謝する事を知っているのです。
そしてその事が何よりも代え難い報酬なのです。
お金儲けの仕方はいろいろあります。
でも、それは裏返せば欲です。
時給制が自分への報酬としてもっとも分りやすい手段と表現するなら、
世の中に貢献したい、人の為に働きたい人には、ボランティアが究極です。
でも、これは逆説的な結果をもたらします。
自分のために働けば、喜びは失われ、妥協と割り切りと惰性が蔓延する傾向に陥り、
人の為に奉仕するならば、大きな充足感と喜びとパワーを貰う事になります。
私の古くからの友人が、もう4年以上も公立の病院の緩和ケア病棟で
ボランティアをしている。
彼女がそれをするきっかけになったのは、彼女のお父さんが癌で亡くなられる迄の
緩和ケア病棟のスタッフとの出会いだったと聞いている。
彼女は、勤務医の奥様で、働く必要の無い暮らしをしている。
若い頃の彼女を知っている私は、男性交友経験も豊富な彼女が
まんまと、しっかりお医者さんの奥さんに落ち着き、
結婚式にも誰一人昔の友達は呼ばず、海外で親族だけの式を行った事を、
ずっと、反感に満ちた眼で見てしまっていました。
そして、今はあの頃の仲間で会っても、昔の自分は封印してしまったかのように
悪ふざけな話や、あんなこともあったよね、みたいな話には一切入って来ない。
普段の生活も、ハイソな奥様方とのランチや、やれ市議会選挙だのという
社交のお友達とつるんで忙しい彼女にも見える。
それでも、私は、
彼女のそんな虫のいい生き方にも、懺悔(大げさ?)の形があり、
ボランティアを続けている彼女に敬意を感じずにはいられない。
真心と信念が無いと出来ない仕事だからだ。
情熱だけでは長続きしない。
恋愛が冷めやすければ結婚は忍耐であるのと似ているかもしれない。
私は彼女の、あとの事は全部嫌いとしても、(高飛車な物の言い方とか、お姉さんぶった態度とか、気取った服装だとか!?)
彼女のそういった行動の中に
彼女の中の最も芯に流れる精神の尊さを見るような気がして、
どうしても彼女を見限ってしまえない。
彼女の中の最大の喜びは、彼女のみが知り得ること。
なぜならば、彼女自身が自ら突き動かされる何かによって行動している所に
価値の有る宝石のような魂への活力を得、彼女が生きる為に必要な、最も大切な人へと
還元しているに他ならないからだ。そうして又生かされ、他者に与え続ける事が出来る。
その循環を行動で知り、実行している彼女は、
誰にも褒められず、感謝もされていないかもしれないその毎週そこへ行くと言う行為を
4年以上も続けているのだ。
理屈っぽくて、誰も読んでやしないかと思うけど、
もし読んで下さってる人が居られたら、
彼女に私がそう思っている事を伝えて欲しいな。
いや、もう思ったから、伝わったかな。
友達関係でも、お互い尊敬し合える何かがないと続かないものです。
私は、逆に彼女に尊敬されるような生き方をしているかな?
実は、自信が無かったりする訳で。。。。
だから、もう一年も彼女に顔を合わせられないでいるのかな。
また、お姉さんヅラされるのは全く気分が許さないから!?
彼女は一生懸命生きてるね。
そんな彼女のことを分っているくせに、
ちっとも態度に表せない私はやっぱり、駄目な人だ~ね
