朝の駅、
学校へ行く人、通勤の人、
コンビニの自動ドアも閉まる暇がない。
そうして、電車がホームに入ると怒濤のように人が駅構内に溢れ出す。
そんな時の時間って、一分一秒を争う人の緊張感でみなぎっている。
乗り継ぎのバスに乗り込もうと急ぐ人、
制服姿の学生も、朝ばかりはキリリとした表情だ。

うちの娘は弁当持たずに行っちゃった。
すぐに追いかけたけど、一分一秒のギリギリ勝負の人に
追いつける筈も無かった。
結局私がこの弁当食べるのかな。

今日はなんだか昨日のダラダラを引きずっている私だ。
保育園も休ませたいなんて、、、そんな気分になってしまうのは
次女の学校が代休だからかな。
それでも、小学校は普通通りの月曜日で、
駅からの帰り、近所の交差点では父兄が黄色い旗持って、
交通安全のボランティアをしておられました。
人一人の役割と言う物は一体何通り掛け持ちなんでしょうか。
私にも課せられるだろうその旗持ちの当番は、1年後、娘が小学校に上がれば確実に回って来る。

何だか、最近又考える事が多くなって来てる。
頭の中が活字な事が多い。
きっと、私の中の色んな自分が、相互の矛盾を取り繕うかのように、
入れ替わり立ち替わりする感覚をちゃんと受け止めようとしているんだ。
そうして、バランスを保とうと、自動制御装置が働く。
一方に傾かぬよう。

なんか、主人の両親に会うと、
私の存在って何だろう、、、、っていつもその後で自分がもがいてしまうのが分る。
私が、母親、妻という部分だけの私だけで関わっている人。
そんな存在の人に、気を使いながら自分を生きる何て不可能だと思ってしまうのだ。
主人もそうかも知れない。
自分に関係のない部分の私を除外して私を見ているような気がする。
だけど、
良い人たちなんだ。とっても。
主人の両親も、主人も。
裏切れない気がする。
自由にやっちゃいけない気がする。
もう半分の私で、生きちゃいけない気がする。
いや、人は半分だけじゃ生きられない。
どっちの半分でも、それだけじゃ駄目なんだ。

どうしてこんなこと考えてしまうんだろう。
今日は月曜日だよね。
私の月曜日は、今日も予定が一杯だ。
そうして、決まっている。
決めたのは自分だし、決まっている事をやればいい。
だけど、どこか、何か、足りない気がする。
私のやらなきゃいけないこと、、、。
それは一体なんなんだろう。
生き切ってない自分はズルいと思う。
分っている筈なんだろう、本当は。
でも、封じ込めてる物は一体何???そして、何故???