Instagramで
見かけた
※以下引用
「普通」や「当たり前」なんてものは、
環境や時代、はたまた
個人一人一人によって、
結構バラバラなんだなぁって
気付かされます
自分の物差しが
あまり当てに
ならないこともね
だから、その物差しで
誰かを勝手に
判断してしまうのは、
本質…なんて言うと
堅苦しいですけど
その人のもっとも
純粋な部分を
見逃してしまう
ような気がします
何が正解で、何が不正解でと、白黒はっきりつけられることばかりじゃないけれど、
何をどう見て、
どう判断するか?
そこに、辿り着くまでに考える時間や労力の差、一方的な物の見方だったり、様々な角度からの見方だったり、常に相手によって、関わり方を変えたりだとか、そういう人となり…のようなものが、垣間見える場面の一つだなぁと
人に対して、「かわいそう」という感情をあまり抱いた事がないのだけれど、
例えば、わかりやすいところだと、
飢餓に苦しむ子ども…だったりすると、
何故、この子はこの状況なのだろう?
この映像を撮っている人たちは、この子に何かしてあげられる事があったのかな
これを伝える事で、何かできる事につながったのかな
そこに、私ができる事があるのか…
とは、考えても、安全な場所にいる自分がその子達を見て「かわいそう」だなんて、とても言えないし、思わない
ただ、ただ、そのままを、
そうなんだ
と理解して、その関係性でその後の行動が変わってくる事はある
けれど、どんな状況でも自分がその立場にならない保証なんてない訳なので、正直言葉にならない
…のが現実
それを、あくまで自分が優位に立っている事を自覚していて、それが揺るがないものだと認識して、もしくは絶対その立場にならない根拠のない自信の元、
「かわいそう」
と発言する
無意識だとしても、心の奥底にあるからこそなのでは?と思ってしまう
何をどう考えて、どう捉えて、認識するか
それは人それぞれ
だけど、言葉に出してしまうと、
なかなか鋭くなる場面が、少なからずある
同じ思考の人たちの中にいると、わからない事だろうけれど、
別の角度から物事を見ている人、考えている人の中に入ると、その違いが露呈する
それが良くも悪くも…
言葉って、難しい
普段からどんな思考なのか、どんな認識なのか…が、ほんのひとことで垣間見えてしまう
そしてそれは、その言葉の意味を、その背景を考える人には、安易に伝わってしまう
そんなつもりはなかった
指摘されれば、そう弁明するかもしれない
けれど、その近くで耳にした人の感性、感じ方までは、コントロール出来ない
人がどう感じるか
人それぞれなので、難しい面が多いけれど、何かハンディに繋がる事柄や、差が生まれ得る内容では、ボソッと呟いたそのひとことが、突き刺さる人もいるがしれない
確固たるマニュアルがあっても、それを理解していない人だと、尚更っていうのは、もう無理ゲーではあるけれど…