大きくなったら、何になりたいですか?
小さい頃、よく聞かれる
パパが〇〇だから、君も〇〇になるのかなぁ?
みたいなの、よく聞くかも
卒業を間近に控えると、文集なんかでそれについて書くことがあったり。
何かしらの節目節目で、何になりたいのか聞かれることは少なくない
確かに、多くの人はどこかに就職しなければ生きていく事が出来ないから、何者かになる事(就職?)が求められる
それが、何者かになる事…なのかな
その中に、お母さんになる事
それもあるのかもしれない
でも、そこにお父さんになる事
は含まれているのかな?
とも思う
お父さんだから、家族のために働く
俺が働いているから、生きていけるんだ!感謝しろ!的な感じだと何か違う気がするし。
そう言われたら、完璧な家事で支えている奥さんは、私の完璧な家事のおかげで働いていられるんだぞ!
と思う事もあると思うし。
専業主婦がダメで、兼業主婦が凄いとか、仕事している女性が良いとか言われがちだけど、それを自分の中でどう解釈するかなのかな?と思う
なぜ、そんな事を思ったのか…
こんな言葉を見かけたから
『何者にもなれなかった自分を愛すること、
幸せになること、それがわたしの
四十代の目標である。』
主婦起業とか、キラキラ女子?とか色々言われるけれど、起業したい人はするし、専業主婦で家族の為に家庭を守る人は、それはそれできちんとされていると思う
パートタイマーと、家事をしている私としては、どちらも中途半端だなぁと思う事も少なくない。
むしろ、仕事が忙しくなってくると、体力温存からウエイトが仕事に傾くし、イレギュラーな仕事が入ると、バランスが崩れる事もある…
そんな私は何者なのか?と問われたらなんなんだ?
家庭では妻であり、母であり…
仕事中は、〇〇であり…
私は何者かになっているのか
いくつもの顔がある状況で、何者だと言えるのだろうか
何者かにならなくてはならない…
そんな呪縛は私にはなかったのかも。
何となく周りの状況から、いつかは結婚するのだろうな
しばらくしたら、恵まれれば子どもが出来たらいいな
でも、たくさんの子どものお世話は、私のキャパでは無理だろうな
仕事は、余り良い思い出がないから出来ればしたくないな
母になる事ができて、友達ではなく、同僚でもない子どもを通しての知り合いをママ友と呼び、その関わりが心地よくなく、逃げるように働いてみたら…
戻った世界が楽しくて…
そしたら、育児・家事・仕事の両立?は、やっぱりそれなりに大変で…
ズボラ母さんな私が更にズボラになり(^▽^;)
常に時短時短しか考えなくなり…
あ、やっぱり堂々巡りなのかも。
何者になる訳でもなく、その時それぞれ何者かになっていて、
その中で、私だけになる時間が欲しい
誰にも邪魔されない私…の時間。
家族がいてそれを望むのは、おかしい
という人もいるだろうし、
ひとりの時間は要らない、常に誰かと一緒に居たい人もいるだろうけれど。
何者かである私
何者でもない私
それぞれが居ていいのでは?
そんな風に思う。
皆が皆、何か成し遂げなければいけない訳でもないし、
皆が皆、社会の役に、人の役に立たなければならない訳でもない。
社会の役に、人の役に立っている人でも、万人のために立っている人ばかりではないし。
こっちの人の役に立っていると思ったら、あっちの人には疎まれているのかもしれない。
そんな事考え出したら、何もできないだろうし。
その人がしたい事
何もしたくないなら、そんな時期があってもよし
その人の置かれた環境で、出来る範囲でその人がしたい事が出来るのが、何より幸せなのかなぁと。
勿論、その範囲を逸脱して、頑張る人もそれは素敵。その頑張るためのエネルギーがあるのだから。
何者にもならなくても、
何者かになったとしても、
きっと、ずっと問い続けるのだろうと思う
こんな風に、まとまらなくなるくらいに(・・;