rock-6さんのブログ
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親父の落とし物、俺。

親父が死んで2週間が過ぎた。住んでいる場所も生死も分からなくなって20年と少し、俺にとって親父はこの世で一番憎く二度と逢いたくない大嫌いな人間で、一番逢いたくて今どうしてるか一番気になって一番話したい人間だった。

思い出は幾ら記憶の奥を探っても辛い物ばかりで、親父の人物像となればこれは、俺を殴り首を絞め、確実に俺の命を奪おうとした最初の敵、としか説明出来ない。ガキの頃に実の親に殺されるか売られるかの淵に何年も立たされる経験を重ねると、これは相当に根が深く、簡単には印象も記憶も覆らない。

なのに死に顔と対面した瞬間、涙が止まらなくなった。
急に親父が正気だった頃の思い出が、
まるでアルバムや日記の頁を遡る様にして浮かび、俺を抱き上げ肩車して散歩に連れて行ってくれたりキャッチボールの相手をしてくれたり、水を怖がる俺を抱っこして砂浜を歩いてくれた時の優しい笑顔が蘇って、

俺は泣きながらガキの頃親父にどれだけ憧れて、親父が仕事から帰って来るのをどれだけ待ちわびて甘えたくて甘えたくて仕方なかった事、家から姿を消してからも気に掛からなかった日は一日たりともなかった事、お袋にだけは背負わせた苦労を詫びて欲しかった事、俺がこの世に産まれて生きて良かったのかどうか尋ねたかった事を、棺の中の親父にずっと話した。

思えば俺が何の仕事をしても結果を残せた事も、仕事から逃げて言い訳ばかりしていた親父の反面教師の賜物であり、俺に音楽とギターの素養を偶然にも与え、生死をさ迷う毎日からの現実逃避にそれ等にのめり込ませたのも親父だ。

つまりは今の俺は親父と親父に背負わされた十字架で作られた人間だ。
それが“血”と言うなら、俺はそれを踏まえて背負って生きてゆこう。


たった独りで淋しく逝ってしまった親父に自分の未来を見た気がした。それが運命なら俺は甘んじて受け入れ、願わくば死ぬその日までギターを弾いていたい。








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