なんと、夏休み明けすぐの学校、1週間完走しました!!(T^T)

遅刻も、欠席もしませんでした!私にとってこれは本当に本当に大きな成長だと思っています!今日入部届を出して、来週からもう楽しみな部活が始まるので、この調子でこれからも学校を欠席する日数を徐々に減らせればいいなぁと思います!




こうして自分の成長を喜んでいる私ですが、心の中では「1日行けたくらいで、1週間行けたくらいで喜んでいいのかな...?」というモヤモヤを抱いています。

というのも、中学校不登校の時、スクールカウンセラーの先生と話した時に、先生が


「不登校から〇〇高校(←私が今通っている高校)に進学する人は、ほとんどの人が復帰できているよ。」


という発言をされたからでした。

多分、スクールカウンセラーの先生は「〇〇高校に行って復帰した人多いから、そんなに怖がらなくても復帰できるよ!」という意味で言ったのだと思います。ただ、なんでも裏を読んで取ってしまうひねくれ者の私は、


「私にとって高校に進学することはものすごい進歩だと思っていたのに、進学したって“普通”に戻るだけなんだ。じゃあ、出来なかったら弱い人扱いになるのかな?」


と、感じてしまったのです。 


その思考はずっと続き、高校一年生になって、1日フルタイムで学校に行けるようになったとしても、自分を褒めることに抵抗感を抱くようになってしまったのでした。

学校に復帰すること以上の「すごい」は何処かにあるんだから、そこまで頑張らないといけないと思ってしまい、自分の中で「学校に行く=偉い」の方程式が成り立っていたというのに、何故か人の目を気にしてそれ以上のことを探していました。そのうちに、学校へ行くことが普通、当たり前という思考が(自分に対してだけですが)根付いてしまい、遂に学校に行けたとて喜べなくなってしまいました。 


今では、SNS等に成長した!的な投稿はできるようになりました。けれど心の中ではやっぱり「本当に喜んでいいのかな...?」と思っています。

命題と条件(←最近ハマっている数学の単元)の話を出しますが、大前提として、学校に行く=偉い という命題は真(正しい)だと思っています。一方で、偉くない=学校に行かない というのは偽(間違い)。不登校時代はこれも真だと思っていましたが、今振り返ってみると全然そんなこと無かったのです。その時間を、めいいっぱい楽しんで、学校に行っている人に打ち勝ってやろうという気持ちが私にはあり、絵や英語に時間を割けたからです。