後ろの席のクラスメイトに、説明をしている間、授業はどんどん進んでいきます。


授業を聴くことができないことは、かなり苦痛でした。


彼女は裕福な家庭の子


金銭面で同じ部活動を辞めなければならなかった私とは、まるで正反対の人生です。


部活動を謳歌していたこと、不快な要素でした。


かわいいユニフォームにおそろいのスポーツバッグ


校章と校名入り


私の志望校では、ありませんでしたが、一般的には憧れの高校でした。



神さまは、いない


ずっと私は思っています。


ありとあらゆる不幸を集めた

私の人生


雨の強い日は、自転車では通学ができないため、1時間歩いての登下校という生活でした。


往復で2時間が消えていくのです。


私にアルバイトをさせたかった両親ですが、下校後からの数時間では雇ってくれるところは、当時どこもありませんでした。


努力の甲斐があり、1年次の成績はトップクラスに


クラス内の順位も一桁台


面談では、担任から褒められたこととなぜか、母が笑顔だったのを憶えています。


不思議でなりません。


面談の後、母が近くの有名店でケーキとミルクティーを注文してくれたことも。


私に、そのようなことをするのは初めてでした。


弟になら日常茶飯事ですが。


あの日の母の心は、どうなっていたのか全く理解できないのです。


あれほど、中学を卒業したら就職と、言い続けていたにも関わらず。


地域の名門公立高校での成績が良い、ということは、皆が憧れるような大学に進学する


ということを意味します。


母は、おそらくそこまで考えが及ばなかったのだと、私は思います。

           続く