大きな塊の話と、日々の出来事 -98ページ目

家人

昔は、絵に描いたような
幸せそうな家族だった…のだけど

その反動で 

ある時から わたしの家族は
おかしくなってしまった


家を出られないから
仕方なく今もこの家で「寝泊まり」しているけど


ある時から家人とは
「もうやってられない!」と判断し

家庭内別居になったのです

家族、というのはつらいので

家人。と、よんでいます。




この家族はだめだもう、と決めた10数年前から

家人とはまともに会話することがない


何かあるときは
置き手紙の応酬


その家人というのは、1人は生みの親
そしてもう1人は姉というカテゴリー




でもその姉というカテゴリーの人は
もう何十年も家に閉じこもったままだ


ニートという言葉がなかった時代からの先駆け
スーパーニートといえるでしょうね


本人は
「病弱で動くのもつらいから
家で療養してる」

という大義名分


でも、
毎日同じ時間から起きて食事をし
決まった生活をして2人でテレビを見ながらワイワイしているのは
わたしから見れば相当な「健康生活」だ

わたしより睡眠時間も
栄養もとって
社会的ストレスもないのだから。




でも、本人は
自分が世界一ツライと考えているので

わたしがこんな病気で、手術を行うと伝えた日も

その返信の置き手紙には

「靴を片付けてください」の一言



そして

その次の日のメモには
「保険会社に申請する書類用意してください」

でした。




こんな関係でもなにか
心配くらいしてくれるのかな、なんて
思ったわたしがバカでした



そんなこんなで
手術の立ち会いには
友達、ということになったのです…


持つべきものは、友……

まちがいない





子宮で考える

今はあまり言わなくなりましたが

「女は子宮でものを考える」


みたいなプチセクハラなフレーズが昔はよく言われてました


わたしはどちらかというと
男に生まれたかった、と思っている方で男の子

今でも

もしかしたら軽い性同一性障害なのでは?
とすら思うことが多々あるんで

子宮でものを考える

というフレーズがとても嫌でしたガーン



でも、
体質的にストレスが子宮に影響するらしく

前のブログにも書いた通り
10年前の激しいストレスをきっかけに
筋腫が育ったように思います


高校生のころも
とある激しいストレスがあり
1ヶ月間出血し続けるということがあったのです


これはおかしい、と、親に
「婦人科にいきたい…」とコソっと言ってみたこともありましたが


まさか高1の娘からそんなこと言われると思ってなかった親は

は?
え?

という感じで…
結局スルーされる形となりました。


あの頃に

ああ、自分はストレスが子宮に来るんだ、と
自覚。


その後も何か過度のストレスが起きると
不正出血などが起きていましたショック!



そして
手術決めた日


数ヶ月前に閉経したと思っていたのに
その日、出血が汗


その後2週間出血



手術決意が過度なストレスだったのかな…かお



でもこれが
最後の月のものだと思い


なんだか感慨深くなりました…しょぼん


取り去ったら
ストレスはどこをはけ口にするのだろ…はてなマーク



寝るのも苦しい

食べる、寝る

これって行きていく上の
なかなかの楽しみじゃないですか

それが、いま
どちらも封じられていますガーン

とにかく
すくすくと成長した子宮筋腫ガーン

ポコっと下腹が膨れてたなーと
思ってたら
そこから上に上アップにと盛り上がって行きました


MRIで見ると
1リットルの中途半端な大きさ?の
ペットボトルが体の真ん中に
収納されているみたいな感じですあせる


そんなのがお腹の真ん中にありますと

胃が押されて食欲が半減



そして

仰向けで長く眠ることは不可能になりました


苦しいのです 筋腫の重みが…えー?

横向になっても
変な圧迫感はありますえー?

そして平らなベッドで寝ていると
ググッと胃の方へ落ち込む感じで
朝になると吐き気と重みの鈍痛で
しんどくなる始末

なので

このところ布団で山を作り
少し身を起こして寝ています

少しでも内臓に圧力がかからないように


これも、
摘出すれば

まっすぐ上を向いて眠れる日がくる…音譜
お腹いっぱい美味しいものを食べられる日も来る…音譜

期待しながら
その日を待ちます得意げ