米国のバイデン大統領はベルギーの首都ブリュッセルを訪問し、2022年2/24に開催される北大西洋条約機構(NATO)首脳会議と欧州連合(EU)首脳会議に出席し、その後、2/25にポーランドを訪問してポーランドのドゥダ大統領と会談し、ウクライナ支援、ロシア対応について協議する予定である。
ポーランドとは「平原の国」の意味。966年にキリスト教に改宗したミェシュコ1世が国の礎を築きピアスト王朝が建国されたが分裂し、1241年のモンゴル征西を経て、14世紀には再統合した。1386年にポーランド初の女性国王ヤドヴィガはリトアニア大公ヤギェウォと結婚し、ヤギェウォがポーランド国王に即位しキリスト教に改宗して繫栄し、ポーランドの黄金期を築いた。1410年にはドイツ騎士団を倒して勢力拡大したが、1572年に王朝は断絶し、1572年に国王自由選挙によって国王を決めるポーランド・リトアニア共和国となり、1637年頃には最大の領土を得て、当時の面積は現在の領土の3倍以上であった。その後、スウェーデン、ロシアと戦争が続き、1683年にはオスマン・トルコを打ち破りキリスト教の英雄となった。しかし18世紀には経済的に消耗し、ロシアに財政援助を受け操られるようになった。1772年にはロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリアに第一次ポーランド分割、1793年に第二次ポーランド分割、1795年に第三次ポーランド分割され、一時ポーランドは完全消滅した。しかし19世紀には音楽家のフレデリック・ショパン、画家のヤン・マテイコ、物理学者のキュリー夫人などを輩出し、第一次世界大戦後の1918年、ベルサイユ平和条約が締結されポーランドは独立し第二共和国が誕生した。しかし1939年、第二次世界大戦が勃発し再びナチス・ドイツとソ連邦に分割された。第二次世界大戦ではポーランド市民の約17%が犠牲となり、人口比では世界最高の死亡率となった。今のウクライナ情勢と共通する。第二次世界大戦後、1947年に行われた選挙で共産勢力が大勝し社会主義国家となった。しかし1980年代後半に社会主義国初の労働者組合「連帯」が発足し、ワレサ議長は非共産主義政権発足後1990年に大統領に就任し1995年まで務めた。その後、「欧州への回帰」を目指していったポーランドは、1999年にNATO加盟、2004年にEU加盟と短期間で欧州への復帰を果たした。EUの加盟国は2009年1月現在、27ヶ国だが、ポーランドはEU理事会において、議決権345票のうち、独・英・仏・伊の29票に続く27票をスペインと共に与えられている。2004年以降に加盟した中・東欧等の新規加盟国(12ヶ国)の中で、ポーランドは、最大の人口と経済規模を持つ国であり、EUの中でも存在感を示し、EUの中でも東側に位置するためEUの東方政策においてもイニシアティブを発揮し、ウクライナやグルジアなど、周辺諸国への支援を重視する政策をもともととっていた。首都はワルシャワである。
デヴィッド・ボウイのベルリン3部作の1作目にあたる10枚目のアルバム『ロウ(Low)』(1977年)はブライアン・イーノとトニー・ヴィスコンティ、そしてベルリンという街にインスパイアされたロック史を塗り替えた実験作。ベルリンに移り住んだボウイが目をつけたのは、テクノの雛形となった『kosmische musik』、またの名をクラウトロックという音楽だった。クリエイティヴ面と政治面の両方において東西に分断されたベルリンという街を、ボウイは「今後数年間でヨーロッパが経験する状況の縮図」と評した。T.レックスやボウイのプロデューサーとして知られるトニー・ヴィスコンティは、取り込んだ音を加工しながらプレイバックすることができる、現在のサンプラーの原型と言えるイーブンタイドのハーモナイザーを導入した。8曲目“ワルシャワ(Warszawa)”の大部分はイーノが単独で作り上げたが、同曲の肝となっているのが歌詞を排したボウイのボーカルである。ピッチを極端に上げて作ったそのサウンドは、彼がパリで手に入れたブルガリアの少年聖歌隊のアルバムにインスパイアされて生まれたという。暗く、どんよりとした曲調に陰鬱な雰囲気が漂うが、ライブ盤で“Warszawa”に“Station to Station”が続くと、背筋がゾクっとするほど高揚感の前触れとなる。
