ボヘミアン・ラプソディは、クイーンの楽曲で、1975年に発売された4作目のオリジナル・アルバム「オペラ座の夜」に収録されている。
Just killed a man 人を殺した
Put a gun against his head 彼の頭に銃を突きつけ
Pulled my trigger, now he’s dead 引き金を引いたら、彼は死人だ
Mama, life had just begun ママ 人生は始まったばかりなのに
But now I’ve gone and thrown it all away 僕は逃げ去って放り出した
I don’t want to die 僕は死にたくないよ
ボヘミアのクーデンホーフ=カレルギー伯爵家のリヒャルトは第一次世界大戦後、欧州統合の意義を説いた。
キエフ大公国は9世紀末から1240年にかけてキエフを首都とした東欧の国家だった。10世紀までにキリスト教文化圏の1つとなり、1240年にモンゴル来襲により崩壊した。他方、1199年には現在の西ウクライナにありハールィチ公国とヴォルィーニ公国が合併してロシアの王朝のリューリク朝のハールィチ・ヴォルィーニ大公国となり、キエフ大公国の後継者として反モンゴルの先陣となった。1245年のポーランド王国およびハンガリー王国とのヤロスラヴの戦い後モンゴル人のジョチ・ウルスの属国化し、1392年にはハールィチ公国はポーランド王国領、ヴォルィーニ公国はリトアニアに支配された。1648~1657年にフメリニツキーの乱でポーランド王国から独立しコサック国家を建国。しかし1775年にロシア帝国によってコサック国家の軍事組織は破壊され、ノヴォロシア(「新ロシア」の意味)に改名させられ独立は失われた。1914~1918年の第一次世界大戦後、1917~1920年にウクライナ人民共和国(ウクライナ国)となり、当時もウクライナの支配をめぐりキエフを首都とするウクライナ人民共和国とソ連邦のロシアとその傀儡政権ウクライナ社会主義ソビエト共和国との間にウクライナ・ソビエトロシア戦争が起こり、1922年にウクライナ社会主義ソビエト共和国はロシアが指導するソ連邦に取り込まれたが、ウクライナの独立性はソ連時代も損なわれなかった。しかしウクライナ・ソビエトロシア戦争によって人口の1割が死亡した。ソ連邦の崩壊とともに1991年に独立した現代のウクライナはその後継国である。
シェイクスピアの作品の1つに晩年「冬物語」がある。旧知のボヘミア王とシチリア王の話。シチリア王が、自分の臨月の王妃とボヘミア王が不倫したと妄想し、王妃を投獄した。母の身を心配した幼い王子がショック死し、息子の死にショックを受けシチリア王妃も自害したとされていた。獄中で生まれ森に捨てられた王女は美しく成長し16年後、ボヘミア王の王子と恋仲に陥り結ばれた。実はシチリア王妃は死んでおらずシチリア王と再会し、ボヘミア王とシチリア王も和解した。
ロシア大統領とウクライナ大統領も、大団円を迎えて欲しい。
