Sonido 大和魂・絆・誠 日本をこよなく愛する人 in アメリカ

神風特攻隊での討論


戦争を生き抜いた人より聞いたことです。


明日特攻に行けと言い渡された方々は


「母親の写真は捨てろ」


といわれたようです。


その夜、みんなが集まって討論します。


「おまえ、捨てた?」


「いや、捨ててない。」


「だよな。」


「俺は捨てたぞ。」


「本当か?」


「おう。」


「俺も捨てた。」


「俺はまだ持ってる。」


というように、みんなは討論していたようです。

特攻に行くということは、死がほぼ決定したことである。


この時に、このような討論が繰り広げられていたようです。


やはり、死とは怖いのですね。


そのときの心理状態はどれほど辛いものだったか。

私も、当時であれば特攻の命がくだされるには十分な年でした。


日本に命をかけた、戦士に、今を生きる日本人として感謝しております。






前回の続きです。


聞いた話で、非常に興味深かった話を書こうと思います。


なぜ、マッカーサーが天皇制 を残したのか。


アメリカは意地が悪く、徹底的にこういった制度を廃止する傾向があったと

思う。しかし、マッカーサーは天皇制を廃止しなかった。


不思議である。


当時を生き抜いた方によると、マッカーサーは天皇に接待を受け、食事に招待

されたりしていたらしい。この恩があるため、マッカーサーは天皇を残したので

ある。


よくいわれる会食というやつである。


当時を生き抜いた方々で、天皇制が残るのには賛否両論があったらしい。

というのは、天皇のために戦うといった風潮があったのだが、仲間が死んでいく

時に、みなはやはり非常に悲しい時間を過ごしたようだ。


それで、天皇のみが生き残るという考えには、納得できない人も多くいたようである。



吉田礼三氏と、木田社長とお話をする機会をいただきました。

このお話には、多く学ぶことがあったので、メモした点を書いていこう

と思います。


木田社長は、カラオケ店のオーナーです。非常にエネルギーあふれる

若い社長です。

その中、吉田氏と木田社長の話の中で、深く感じることがありました。


まず、カラオケに軍歌があることをご存知でしょうか?


私は、年代のせいか、そこにすら注目をしたことがなかったです。

吉田氏の年代の方々は、当時300曲ほどの軍歌を知っていたようです。

分厚い本に書かれたいる、軍歌を戦友と共に歌っていたようです。


今でも、カラオケボックスに集まり、軍歌をみんなで合唱するということが

あるようです。


当時の娯楽がない社会で、軍歌により繋がっていたというのは本当に

深かったように感じます。


Karaokeという英語は、アメリカにもどんどん浸透していますが、まだまだ

カラオケボックスといったものが、日本ほどあるわけではありません。


アメリカでのカラオケは、日本の順番形式とは違い、みんなで歌うことが多い

ようです。やはり、文化が少し違うと、同じものでも楽しみ方が全然違うんだなと

感じました。


カラオケは、日本の文化だと感じることができました。