今日の夕方、4時半になる少し前に、私のスマホから聞き慣れない変な音が鳴りました。
何事かと思って見てみると、緊急地震速報でした。強い揺れの可能性は栃木県とされ、直ちに避難するように伝えていました。
同時にラジオをつけると、やはり緊急地震速報が出されていて、揺れを感じている旨を伝えていました。
東日本大震災のこともあったので、近くにあったソファーに沈むように座りましたが、大きな揺れには程遠く、拍子抜けしました。
が、ラジオを聞いていると、栃木県の日光市で震度5強を観測したと伝えられていて、なるほど、確かにスマホの速報では栃木県と出ていたので、間違いではなかったわけです。
加えて、地震による雪崩で、日光市の奥鬼怒温泉郷で8人が孤立してしまったそうです。
しかしながら、本当はそうあるべきではないのですが、忘れた頃に突如として、大きな地震が起こります。普段から意識することはなかなか難しいですが、ふと、何かの拍子に思い出した時に、地震対策を講じる必要があります。
まだいいだろう。後でやればいいや。
それだと手遅れになってしまうかもしれません。わかってはいるのですが、日々の生活や仕事で忙しく、なかなか手が回らないのが実情です。ましてや、ワンルームのアパートだと、壁に穴をあけてはいけないなどいろいろな制約があるため、できる対策が限られてしまいます。もっとも、倒れて困ることはあっても、そういった棚はほとんどないのですが。
ともあれ、もうすぐ大震災から2年が経ちます。時間の経過とともに震災の記憶が希薄化していくのは仕方のないことです。実際に、地震そのものよりも、それによって誘発された大津波や原発事故のほうが大問題となっていました。でも、地震そのものだって、大きなものとなるとその分被害も大きなものとなるわけで、やはり普段からシミュレーションをしたり、準備をしたりしなければなりません。
今回の栃木の地震を機に、改めて地震のことを考えようと思います。
さて、今回は月末恒例の蔵出し企画です。・・・25日だと、まだ月末の気がしませんが、それが2月の特徴なわけで、スケジュール的には今回が2月最後の「出来事・雑記」の記事となります。
では、蔵出しです。今回は夕方のラジオで取り上げた話題から考えたことです。ちなみに、ちょうど1年前に作った記事です。
いっそのこと、ゲームで決着を!
少し前のこと。夕方のラジオでコメンテーターの方が、「ロボットに規制を!」という話をしていました。
どういうことかと聞いてみると、今、軍用機の多くが無人で動くのだそうです。
アメリカの話ですが、戦闘機の半分近くが遠隔操作で動く無人のもので、偵察に限らず攻撃もできるのだそうです。
これで、戦闘機同士の衝突なら、撃墜しても相手側の人命を奪うことにはならず、単に日本円にして数億円が無駄になる(いわば経済的打撃)にとどまります。ですが、この無人機が集落などを攻撃し、多くの人命を奪う目的で使われたとしたら・・・。
しばらく時が経ってしまったので詳しい話は忘れてしまいましたが、想像しただけで恐ろしい話でした。
安全な場所で無人機を操作する人は、ゲーム感覚で相手側の戦闘機を撃墜したり、集落に爆撃を加えたりすることになりかねないのです。ゲームと違うのは、実際に犠牲者が出るという点。しかし、モニター越しだと、ゲームの中で敵が死ぬという光景を見慣れている場合、その辺の現実味に欠けてしまい、下手すると「今日は100人殺した。明日はもっと殺そう」などと考えだしてしまう可能性もあります。実際に犠牲者が出ているにもかかわらず。
いつ、爆撃されるかわからず、不安や恐怖で今にも気が狂いそうな日々を送っている人たち。まさかゲーム感覚で殺されるとは思いもしないでしょう。残酷極まりありません。
その辺の倫理観というか、そういうのもあって、ロボットを規制すべきという話になっていたかと思います(うろ覚えなので確たることは言えませんが・・・)。
ですが、私はかえって、ロボットをもっと増やしてもいいのではないかと思います。
というのも、人間はより効率的なことを見つけ出し、それを利用しようとするからです。
命の犠牲が少なくなるということで、ロボット、つまり無人戦闘機が普及したのなら、次に待っているのは、「戦闘機は金が掛かる」という話で、金をかけずに相手を打ちのめすにはどうしたらいいかと言う議題が出て、その結論として、「オンラインゲームで決着をつけたらいいじゃん!」となるような気がするからです。
・・・なりませんか?
でも、そうなったとしたら、これほど平和的な話はないと思います。
それに、ゲームの内容にもよりますが、スタートは誰もが同じわけで、それから装備を整えたりレベルを上げたりするわけで、ゲーム開始の段階では平等と言えます。
そしてゲームが始まり、勝敗を決するわけです。誰も死なないし、既存のネット回線などを使えば金もそれほど掛からないはずです。オンラインゲームがあるのですから。
これで国の将来が左右されるというのに抵抗を感じる人も多いと思いますが・・・。
ちなみに、負けそうになったからと言ってハードを強制オフにしたり、回線を引っこ抜くという暴挙に及んだら反則負けです(この辺の知識は『らきすた』から仕入れました。オンラインゲームやったことないので・・・)。
ばかばかしいかもしれませんが、いつまでも血を流す戦いを続けても、仕方ないというのが私の考えです。
話し合いで解決できないから武力を交わし、結果として血を流すことになるのかもしれませんが、それではいつまでも争いは消えません。恨みつらみも増え続ける一方です。
同じ恨みつらみなら、ゲームの世界に押し込むべきです。恨みがあるなら、ゲームで晴らすという具合です。
ゲームこそ、無血戦争のヒントではないでしょうか?
・・・。
というわけで、読み返してみて少しバカらしく感じましたが、でも、血の流れない戦争の最終形態としては、ありではないかと思います。
無人戦闘機やロボットを増やすのは、無血戦争に至る過程の一つで、それでもなお問題があるわけで、解決を重ねていくうちに、仮想空間での戦争(=ゲーム)に導かれ、結果、国同士の争いにおいて犠牲となる命がなくなって、平和的な解決が実現するのではないかと思うのです。ゲームの中なら、いくらでも争えます。
ただ、国のトップがゲームモニターを前に、真剣にコントローラーを握っているという図は、滑稽ですが。その滑稽な姿で国の将来が決まるというのは、笑えない話でもありますが。
懸念される点は、ロボットや無人戦闘機が増えるという過程において、人命が極端に軽んじられる可能性があるということです。コントローラーでの操作一つで大勢の人の命があっという間に消えてしまうことに、さして重く考えることがないという点。モニターの向こうの現実が仮想のものと感じてしまうこと。
実際に目の前にいる人を殺す時と、ゲームで敵を殺す時とでは、感じ方は全然違います。それは以前の記事でも記していますが、実際に生きているものを殺す時というのは、言葉だけでは説明しきれないものがあります。私は山形のある牧場でニワトリのと殺体験をしましたが、ゲームなどの仮想空間で敵を殺すのとは全然違うものがありました。
そんな、「命を奪うとはどういうことか」というのが、無人戦闘機などの増加において、希薄になってしまうことが大きな問題の一つだと思います。
さて、2月の記事はこれで終わりです。明後日、期間限定の創作記事が掲出されるだけです(1カ月程度で削除されます)。週末には3月です。
別れの季節とされる3月ですが、私としては花粉と直ちに別れたい気持ちでいっぱいです。目がかゆいやら鼻がつまるやらでどうしようもなくて、いやなのです。
でも、何とか乗り切らなければならないわけで、憂鬱ではありますが、仕方ありません。
暖かくなりつつある一方で、いろいろとつらい季節ではありますが、まあそれなりに楽しんでいきましょう。
参考
・雪崩で温泉客8人が孤立…震度5強の日光市
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130225-00001148-yom-soci
何事かと思って見てみると、緊急地震速報でした。強い揺れの可能性は栃木県とされ、直ちに避難するように伝えていました。
同時にラジオをつけると、やはり緊急地震速報が出されていて、揺れを感じている旨を伝えていました。
東日本大震災のこともあったので、近くにあったソファーに沈むように座りましたが、大きな揺れには程遠く、拍子抜けしました。
が、ラジオを聞いていると、栃木県の日光市で震度5強を観測したと伝えられていて、なるほど、確かにスマホの速報では栃木県と出ていたので、間違いではなかったわけです。
加えて、地震による雪崩で、日光市の奥鬼怒温泉郷で8人が孤立してしまったそうです。
しかしながら、本当はそうあるべきではないのですが、忘れた頃に突如として、大きな地震が起こります。普段から意識することはなかなか難しいですが、ふと、何かの拍子に思い出した時に、地震対策を講じる必要があります。
まだいいだろう。後でやればいいや。
それだと手遅れになってしまうかもしれません。わかってはいるのですが、日々の生活や仕事で忙しく、なかなか手が回らないのが実情です。ましてや、ワンルームのアパートだと、壁に穴をあけてはいけないなどいろいろな制約があるため、できる対策が限られてしまいます。もっとも、倒れて困ることはあっても、そういった棚はほとんどないのですが。
ともあれ、もうすぐ大震災から2年が経ちます。時間の経過とともに震災の記憶が希薄化していくのは仕方のないことです。実際に、地震そのものよりも、それによって誘発された大津波や原発事故のほうが大問題となっていました。でも、地震そのものだって、大きなものとなるとその分被害も大きなものとなるわけで、やはり普段からシミュレーションをしたり、準備をしたりしなければなりません。
今回の栃木の地震を機に、改めて地震のことを考えようと思います。
さて、今回は月末恒例の蔵出し企画です。・・・25日だと、まだ月末の気がしませんが、それが2月の特徴なわけで、スケジュール的には今回が2月最後の「出来事・雑記」の記事となります。
では、蔵出しです。今回は夕方のラジオで取り上げた話題から考えたことです。ちなみに、ちょうど1年前に作った記事です。
いっそのこと、ゲームで決着を!
少し前のこと。夕方のラジオでコメンテーターの方が、「ロボットに規制を!」という話をしていました。
どういうことかと聞いてみると、今、軍用機の多くが無人で動くのだそうです。
アメリカの話ですが、戦闘機の半分近くが遠隔操作で動く無人のもので、偵察に限らず攻撃もできるのだそうです。
これで、戦闘機同士の衝突なら、撃墜しても相手側の人命を奪うことにはならず、単に日本円にして数億円が無駄になる(いわば経済的打撃)にとどまります。ですが、この無人機が集落などを攻撃し、多くの人命を奪う目的で使われたとしたら・・・。
しばらく時が経ってしまったので詳しい話は忘れてしまいましたが、想像しただけで恐ろしい話でした。
安全な場所で無人機を操作する人は、ゲーム感覚で相手側の戦闘機を撃墜したり、集落に爆撃を加えたりすることになりかねないのです。ゲームと違うのは、実際に犠牲者が出るという点。しかし、モニター越しだと、ゲームの中で敵が死ぬという光景を見慣れている場合、その辺の現実味に欠けてしまい、下手すると「今日は100人殺した。明日はもっと殺そう」などと考えだしてしまう可能性もあります。実際に犠牲者が出ているにもかかわらず。
いつ、爆撃されるかわからず、不安や恐怖で今にも気が狂いそうな日々を送っている人たち。まさかゲーム感覚で殺されるとは思いもしないでしょう。残酷極まりありません。
その辺の倫理観というか、そういうのもあって、ロボットを規制すべきという話になっていたかと思います(うろ覚えなので確たることは言えませんが・・・)。
ですが、私はかえって、ロボットをもっと増やしてもいいのではないかと思います。
というのも、人間はより効率的なことを見つけ出し、それを利用しようとするからです。
命の犠牲が少なくなるということで、ロボット、つまり無人戦闘機が普及したのなら、次に待っているのは、「戦闘機は金が掛かる」という話で、金をかけずに相手を打ちのめすにはどうしたらいいかと言う議題が出て、その結論として、「オンラインゲームで決着をつけたらいいじゃん!」となるような気がするからです。
・・・なりませんか?
でも、そうなったとしたら、これほど平和的な話はないと思います。
それに、ゲームの内容にもよりますが、スタートは誰もが同じわけで、それから装備を整えたりレベルを上げたりするわけで、ゲーム開始の段階では平等と言えます。
そしてゲームが始まり、勝敗を決するわけです。誰も死なないし、既存のネット回線などを使えば金もそれほど掛からないはずです。オンラインゲームがあるのですから。
これで国の将来が左右されるというのに抵抗を感じる人も多いと思いますが・・・。
ちなみに、負けそうになったからと言ってハードを強制オフにしたり、回線を引っこ抜くという暴挙に及んだら反則負けです(この辺の知識は『らきすた』から仕入れました。オンラインゲームやったことないので・・・)。
ばかばかしいかもしれませんが、いつまでも血を流す戦いを続けても、仕方ないというのが私の考えです。
話し合いで解決できないから武力を交わし、結果として血を流すことになるのかもしれませんが、それではいつまでも争いは消えません。恨みつらみも増え続ける一方です。
同じ恨みつらみなら、ゲームの世界に押し込むべきです。恨みがあるなら、ゲームで晴らすという具合です。
ゲームこそ、無血戦争のヒントではないでしょうか?
・・・。
というわけで、読み返してみて少しバカらしく感じましたが、でも、血の流れない戦争の最終形態としては、ありではないかと思います。
無人戦闘機やロボットを増やすのは、無血戦争に至る過程の一つで、それでもなお問題があるわけで、解決を重ねていくうちに、仮想空間での戦争(=ゲーム)に導かれ、結果、国同士の争いにおいて犠牲となる命がなくなって、平和的な解決が実現するのではないかと思うのです。ゲームの中なら、いくらでも争えます。
ただ、国のトップがゲームモニターを前に、真剣にコントローラーを握っているという図は、滑稽ですが。その滑稽な姿で国の将来が決まるというのは、笑えない話でもありますが。
懸念される点は、ロボットや無人戦闘機が増えるという過程において、人命が極端に軽んじられる可能性があるということです。コントローラーでの操作一つで大勢の人の命があっという間に消えてしまうことに、さして重く考えることがないという点。モニターの向こうの現実が仮想のものと感じてしまうこと。
実際に目の前にいる人を殺す時と、ゲームで敵を殺す時とでは、感じ方は全然違います。それは以前の記事でも記していますが、実際に生きているものを殺す時というのは、言葉だけでは説明しきれないものがあります。私は山形のある牧場でニワトリのと殺体験をしましたが、ゲームなどの仮想空間で敵を殺すのとは全然違うものがありました。
そんな、「命を奪うとはどういうことか」というのが、無人戦闘機などの増加において、希薄になってしまうことが大きな問題の一つだと思います。
さて、2月の記事はこれで終わりです。明後日、期間限定の創作記事が掲出されるだけです(1カ月程度で削除されます)。週末には3月です。
別れの季節とされる3月ですが、私としては花粉と直ちに別れたい気持ちでいっぱいです。目がかゆいやら鼻がつまるやらでどうしようもなくて、いやなのです。
でも、何とか乗り切らなければならないわけで、憂鬱ではありますが、仕方ありません。
暖かくなりつつある一方で、いろいろとつらい季節ではありますが、まあそれなりに楽しんでいきましょう。
参考
・雪崩で温泉客8人が孤立…震度5強の日光市
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130225-00001148-yom-soci