たまには世間の話題(おもにヤフーニュースの記事)を取り上げずに、思ったことや考えたことを延々と記していこうと思います。
 突然そんなことを思いついた理由は至極単純で、ニュース記事を取り上げながら何か考えたり、その考えをまとめたりする気力が起こらなかったからです。もっとも、普段の記事を見る限り、考えをまとめているようには見えませんが。第一、それだってほとんど思いつきを記しているだけですから・・・。
 ただ、その辺と今回の記事との違いは、ある特定の話題についてだけを記しているわけではないということです。いつもの記事は複数話題を取り上げると、前置きと本題に分けていますが、今回はそれこそ川の流れのように話題が変わるので、どこまでが前置きでどこからが本題か見分けがつかないはずです。・・・まだつづっていないので導入の段階では確たることは言えませんが。

 というわけで、今回は「徒然草子」などという、おそらくほかのブログでもこんなタイトルで思いつきをつづっているのではないかというありきたり感が漂う題名にしました。元ネタはみなさんご存じのことでしょう。そのため、深くは説明しません。

 さて、何をつづっていこうかといろいろと考えたところ、印象的な出来事がありました。ふと、テレビで高校野球を見ようとテレビをつけたところ、ある高校が5点、相手の高校は1点で、9回表は5点取っている高校の攻撃でした。1アウトでランナー2・3塁。得点のチャンス!
 けど、もう5点取ってるから、ほどほどにすればいいんじゃないかなぁ・・・と思っていると、その高校、容赦ありませんでした。
 まずは2点、続いて2点取って9対1に。そこで相手高校がピッチャーを変えるのですが、それでも勢いは収まらず、さらに1点、また1点と、何と11対1の10点差に!
 もういっそのこと、コールドゲームでいいのでは?そんなことを思わずにはいられませんでした。ですが、あいにく(?)まだ9回の表で、裏で攻撃する高校が勝っているわけではないので、裏もやるわけです。
 が、ここで最後の意地が出ました。相手高校が9回の裏、1点をもぎ取ったのです。
 結果は11対2で、9回表に怒涛の6点を取った高校が勝ちましたが、それにしてもテレビを見始めたときにこうも激しい展開が起ころうとは、思ってもみませんでした。

 やはり、高校野球はいいです。都道府県にもよりますが、対戦の組み合わせはめったに同じになりません。まあ、決勝とか準決勝とかになると、何度か顔を合わせている高校もあるのかもしれませんが、1回戦とか2回戦だと、初がお合わせというのも多いのではないかと思います。それゆえに、いつも新鮮な試合という印象があります。
 そして、試合はいつも「あとがない」です。負ければそれで敗退。サッカーのワールドカップのように、最初のうちだけはとりあえず負けてもいい(いや、勝ち残るためには負けちゃいけないのですが、1度くらい負けても決勝トーナメントに進出する可能性があるという意味です)という話ではなく、甲子園への切符も全国制覇も、負ければその瞬間夢になってしまうのです。とてもシビアな世界なのです。
 それゆえに、試合をする選手たちは常に真剣そのもの。それこそ、30点とか大量に点を取るくらいで、まさに「ウサギを狩るのも全力で」という言葉がぴったりです。

 さて、「ウサギを狩るのも全力で」という言葉が出ましたが、これ、もともとは「ライオンはウサギを狩るのも全力を尽くす」という言葉(セリフ?)を短縮したものです。それはともかく、最近、何かに対して全力で取り組んだことがあったかなぁ・・・と、ふと思いました。
 高校野球に見られるように、スポーツに打ち込んでいる人は自信を持って「全力で取り組んでいる」と言えるでしょう。また、本気で仕事に取り組んでいる人もいることでしょう。
 でも、無気力な風潮が漂う今の世の中。何かに全力で取り組んでいないという人も多いのではないかと思います。
 とはいえ、全力で取り組んでいるかどうかは、誰かほかの人による判断がある一方で、自らが判断する自己評価があります。そして、しばしば他の人の評価と自己評価は一致しません。他人から見ると「手を抜いている」ように感じられても、本人としては「全力を尽くしている」ということがあるからです。
 そして、それがうつ病のきっかけになるのかもしれません。

 どうしてそんな結論に行きついたのかというと、最近、斎藤茂太さんと斎藤由香さんの共著を読んだ影響が多大にあります。

 自分では全力を尽くしているつもりでも、他人からは評価されない。それだけにとどまらず、手を抜いていい加減にしているとさえ思われている。
 そこから考えることは、「こんなに頑張っているのに・・・」という不満と、「いったいどれだけ頑張ればいいのか?」という不安ではないかと思います。
 些細な行き違い。ですが、それが引き金となってうつ病となる。本を読んだらそういう話がよく出ていました。全力云々も、もしかしたらうつの発端になってしまうかもしれません。

 でも、そう考えると何もできなくなってしまうような気がします。

 うつ病にならないために・・・ということで、先の本にはその対処法がいくつも挙げられています。しかし、その対処法をすぐに始められるかというと、なかなかできないものです。
 わかっているけど・・・でも・・・。人間の性分はなかなか変えられないものです。何か大きな出来事に遭遇したり、考えや性分が改まるほどの「目からうろこ・・・」な話を聞いたりすれば、あるいは・・・。
 それに、そういう対処法を知ったとして、それを実践したところで、果たして本当に抗鬱の効果があるのかというと疑問があります。たとえば、病んだ精神状態でその対処法をすることで、気を静めるどころか余計に心にストレスを与えてしまうということはないのでしょうか。
 まあ、その道の先生が提言するのですから、おそらくはそういうことはないのでしょう。

 ただ、うつ病以外にも、日常の些細なことが引き金となる病気というものはあります。それが、生活習慣病です。

 話を聞くと、その生活習慣病というのは、さまざまな病気の要因だと言います。高血圧とか糖尿とかいろいろと生活習慣病とされるものはあります。それらがどういった病気を引き起こすのかは割愛します。
 いずれにせよ、こうした生活習慣病を防げば、病気にかかる可能性も低くなるらしいです。そのため、生活習慣病を予防しようという話が出てくるわけです。
 が、これがやはり、うつ病を回避するのと同じくらい、難しいことのように思います。うつ病云々がその人が持つ本来の性分によるものだというのと同様に、生活習慣病も、名前に「生活習慣」とあるように、その人が長年続けた習慣はなかなか変えられるものではありません。
 もっとも、それは本人の意志の強さに左右されるのかもしれませんが、思うに、「こうすると血圧が・・・」とか、「これをやると脂肪が・・・」とか、そういったことをいちいち考えながら過ごすことがかえってストレスをためてしまい、生活習慣病を予防するには御法度であることをやってしまうのでは?そんなことを思ってしまうのです。
 確かに、長生きはしたいです。でも、いちいち細かいことにまで気を使いながらというのは少し気が引けてしまいます。それは現段階でさして問題を抱えているわけではないが故の傲慢にも似た思いなのかもしれません。けれど、忙しい生活を送っていると、細かいことまで気を使う余裕などありません。

 まあ、いろいろと記してきましたが、つまりは自分にとって自然に過ごすことが重要なのではないかと思うのです。うつ病にしても生活習慣病にしても。
 気にすると限がありませんし、かえってストレスの原因になるかもしれません。それならいっそのこと、そういうことを気にせず、自分にとってストレスがたまらない過ごし方をしていけばいいのではないかと思います。もっとも、それだと鬱のほうは対応できていないのですが・・・。

 というわけで、思いつくままに記す「徒然草子」、そろそろエンディングとさせていただきます。
 ・・・もっと気軽に記すつもりだったのに、気がつくと作り始めてもうすぐ2時間という、井上ひさしさん以上(?)の遅筆っぷりを露呈しながら、それでいて「普通に何かのニュース記事を取り上げた方が早かったのでは?」という疑問を抱きつつ記してきましたが、本当に川の流れのような展開でした。
 高校野球の話がまさかうつ病や生活習慣病に展開するとは、誰が予想していたでしょうか?・・・正直なところ、記事を作っている私も予想していませんでした。あわよくば、高校野球の話題だけで終わりにしようとさえ考えていたくらいですから。
 またいずれ、この「徒然草子」を突発的にやるかもしれませんが、その時は、「ああ、この人、病んでるのかもな・・・」とか、テキトーに思っていただけると幸いです。