そういえば、もうすぐ1年になってしまいます。
大人気作品『クレヨンしんちゃん』の原作者である臼井儀人さんが、山登りで不慮の事故で亡くなられてから、あと2カ月足らずで1年たってしまうわけです。
・・・もう少し後にそういうことを記せばいいのに・・・と思われるかもしれませんが、つい先日、同作の第50巻が発売されたので、それに合わせて・・・ということで、ふと思い出したのです。
ということで、いつもはあらかじめ作っておいたストックを掲出しているのですが、今回は書き下ろしです。
さて、私はずいぶん長いこと『クレヨンしんちゃん』のファンを続けていますが、不慮の事故で臼井さんが亡くなられてしまったことは、今もなお残念に思います。
まだ51歳だったということで、先の事故がなければ、途中で筆を折ったりしない限り、あと10年、いや、20年、あるいはもっと先まで新作を読み続けることができていたかもしれません。
こういう「もしも・・・」を考えてしまうと限がありませんが、やはりマンガを読むと「ひまわりが2才だったら・・・」とか、「ひまわりが幼稚園児なら・・・」といった「もしも・・・」系のストーリーが出ていて、そういうのを見るとこうした派生的なエピソードがもっと読むことができたかもしれないと、ついつい思ってしまうのです。また、「もしも・・・」系でなくても、映画みたいな非日常的なストーリーやパロディーなんかもどんどん描かれて、私たち読者を大いに楽しませてくれていたかもしれません。
どうしてこういうことばかり思ってしまうのかというと、やはり臼井さんの死が突然のことだったということもあり、このままピリオドが打たれるといろいろな物語において不完全燃焼となってしまうような気がしてならないからです。
たとえば、先日発売された第50巻にも収録されているのですが、「アクション仮面MUSUME」という番外的エピソードがあるのですが、これに掲載された時点で終了となってしまうと、物語の最後に出てきた黒幕の正体と動機が分からないままになってしまいます。
他にも、さまざまなエピソードで続きが気になるものがありますが、「これでおしまい」となってしまうと、そのすべてが中途半端になってしまいます。
確かに、過去のマンガ作品において、物語が尻切れトンボになってしまっているものがたくさんあります。連載打ち切りとか、臼井さんのように広げた風呂敷をたたむ前に亡くなってしまったりして、やむを得ずそうなってしまったというのがその理由でしょう。
そして、そうなってしまったものは、私たち読者が勝手にその先を想像すればいいのかもしれません。あるいは、そういった作品が好きな人同士で、この先どうなっていただろうかというのを議論するのも一興かもしれません。
しかし、残念なことに、私を含めて読者はその作品の作者ではありません。加えて、読者は作者のすべてを知っているわけではありません。したがって、私たちが想像したり議論したりする「続き」というのは、おそらく原作者が意図した「続き」とは異なってしまいます。
確かに、私も作品の「その先」を考えたり想像したりするのは好きです。しかし、同じくらい、原作者により提示される「その先」というものにも興味があるのです。
そして、どうやら『クレヨンしんちゃん』においては、満たされないはずであった興味がおそらく満たされるようです。
臼井さんとともに仕事をしていたスタッフの方たちにより、『新クレヨンしんちゃん』が制作され、連載されるとのことです。
これまで臼井さんが構築してきた世界観を受け継ぎ、新しい作品が作りだされるということなので、私たちが想像したり考えたりする以上に、臼井さんが考えていた「その後」に近い物語が描き出されることと思います。
確かに、これには賛否両論あるかと思います。途中で終わってしまうのは不完全燃焼の感が否めませんが、ここは潔くスパッとピリオドを打つべきと考える人もいることでしょう。ましてや、原作者が亡くなってなおも、周辺にいた人たちによって新たな物語がつづられるというのも、珍しいことと思います。
ですが、珍しいことだからこそ、私は楽しみでもあります。もしかすると、新たな展開が起こるかもしれない。あるいは、もしかすると、余計消化不良になるかもしれない。どうなるのかはわからないため、楽しみでもあり不安でもあるのです。
まあ、その期待と不安は、何か新しいことを始めたり始まったりするときには必ず抱いてしまうものです。それなら、今回はとりあえず不安は忘れて、期待しようと思ったわけです。
というわけで、今回は『クレヨンしんちゃん』を取り上げました。この作品において臼井さんが描いたものはすべて単行本に収録されたということです。今後は『新クレヨンしんちゃん』が始まるのですが、欲を言えば、半年ごとに単行本が出てほしいと思いますが、まずはどんな物語になるのか楽しみにしたいと思います。
大人気作品『クレヨンしんちゃん』の原作者である臼井儀人さんが、山登りで不慮の事故で亡くなられてから、あと2カ月足らずで1年たってしまうわけです。
・・・もう少し後にそういうことを記せばいいのに・・・と思われるかもしれませんが、つい先日、同作の第50巻が発売されたので、それに合わせて・・・ということで、ふと思い出したのです。
ということで、いつもはあらかじめ作っておいたストックを掲出しているのですが、今回は書き下ろしです。
さて、私はずいぶん長いこと『クレヨンしんちゃん』のファンを続けていますが、不慮の事故で臼井さんが亡くなられてしまったことは、今もなお残念に思います。
まだ51歳だったということで、先の事故がなければ、途中で筆を折ったりしない限り、あと10年、いや、20年、あるいはもっと先まで新作を読み続けることができていたかもしれません。
こういう「もしも・・・」を考えてしまうと限がありませんが、やはりマンガを読むと「ひまわりが2才だったら・・・」とか、「ひまわりが幼稚園児なら・・・」といった「もしも・・・」系のストーリーが出ていて、そういうのを見るとこうした派生的なエピソードがもっと読むことができたかもしれないと、ついつい思ってしまうのです。また、「もしも・・・」系でなくても、映画みたいな非日常的なストーリーやパロディーなんかもどんどん描かれて、私たち読者を大いに楽しませてくれていたかもしれません。
どうしてこういうことばかり思ってしまうのかというと、やはり臼井さんの死が突然のことだったということもあり、このままピリオドが打たれるといろいろな物語において不完全燃焼となってしまうような気がしてならないからです。
たとえば、先日発売された第50巻にも収録されているのですが、「アクション仮面MUSUME」という番外的エピソードがあるのですが、これに掲載された時点で終了となってしまうと、物語の最後に出てきた黒幕の正体と動機が分からないままになってしまいます。
他にも、さまざまなエピソードで続きが気になるものがありますが、「これでおしまい」となってしまうと、そのすべてが中途半端になってしまいます。
確かに、過去のマンガ作品において、物語が尻切れトンボになってしまっているものがたくさんあります。連載打ち切りとか、臼井さんのように広げた風呂敷をたたむ前に亡くなってしまったりして、やむを得ずそうなってしまったというのがその理由でしょう。
そして、そうなってしまったものは、私たち読者が勝手にその先を想像すればいいのかもしれません。あるいは、そういった作品が好きな人同士で、この先どうなっていただろうかというのを議論するのも一興かもしれません。
しかし、残念なことに、私を含めて読者はその作品の作者ではありません。加えて、読者は作者のすべてを知っているわけではありません。したがって、私たちが想像したり議論したりする「続き」というのは、おそらく原作者が意図した「続き」とは異なってしまいます。
確かに、私も作品の「その先」を考えたり想像したりするのは好きです。しかし、同じくらい、原作者により提示される「その先」というものにも興味があるのです。
そして、どうやら『クレヨンしんちゃん』においては、満たされないはずであった興味がおそらく満たされるようです。
臼井さんとともに仕事をしていたスタッフの方たちにより、『新クレヨンしんちゃん』が制作され、連載されるとのことです。
これまで臼井さんが構築してきた世界観を受け継ぎ、新しい作品が作りだされるということなので、私たちが想像したり考えたりする以上に、臼井さんが考えていた「その後」に近い物語が描き出されることと思います。
確かに、これには賛否両論あるかと思います。途中で終わってしまうのは不完全燃焼の感が否めませんが、ここは潔くスパッとピリオドを打つべきと考える人もいることでしょう。ましてや、原作者が亡くなってなおも、周辺にいた人たちによって新たな物語がつづられるというのも、珍しいことと思います。
ですが、珍しいことだからこそ、私は楽しみでもあります。もしかすると、新たな展開が起こるかもしれない。あるいは、もしかすると、余計消化不良になるかもしれない。どうなるのかはわからないため、楽しみでもあり不安でもあるのです。
まあ、その期待と不安は、何か新しいことを始めたり始まったりするときには必ず抱いてしまうものです。それなら、今回はとりあえず不安は忘れて、期待しようと思ったわけです。
というわけで、今回は『クレヨンしんちゃん』を取り上げました。この作品において臼井さんが描いたものはすべて単行本に収録されたということです。今後は『新クレヨンしんちゃん』が始まるのですが、欲を言えば、半年ごとに単行本が出てほしいと思いますが、まずはどんな物語になるのか楽しみにしたいと思います。