今回は歌です。タイトルは『瑠璃色の地球』です。

 さて、記事のタイトルには「その時取り上げるタイトル」と「その作者、作曲者、歌手」を明記するのですが、今回はあえて中森明菜さんの名前をつづりました。
 その理由は単純で、オリジナルである松田聖子さんのバージョンを聞いたことがほとんどないからです。1度くらいあるかもしれませんが、どんな歌い方をしているのか、思い出せないのです。その代わりというわけではないのですが、なぜか中森明菜さんの歌う方が記憶に残っており、またその曲調も、勝手ながら、この曲にぴったりな印象を受けました。
 …単に中森さん版をよく聞いているからそう思っているだけなのかもしれません。ただ、サビの「朝日が水平線から…」の部分の雰囲気が、他のアレンジやオリジナル(と言っても、聞いたことがないのですが。あるいは覚えていないのですが…)よりも、歌詞が描く情景にぴったりだと思います。曲を聴くと、歌詞の通りの情景を容易に想像できます。

 そんなこんなで、タイトルには中森さんの名前を歌手名としてあげたのですが、この曲、ずいぶん前に見たテレビ番組で、地球で起こっている問題へのメッセージが込められているだとか何とかといった話を聞いた覚えがあります。
 確かに、歌を聞いてみると、互いを思いあう二人の気持ちを歌ったと解釈できる一方、世界で起こっている様々な問題(主に争いがらみ)を非難し、それでもいつかは互いに手を取ることができるはず…と、人々の可能性をうたっているとも解釈できます。…もっとも、1番と2番でその辺は区別できますが。
 少し前に調べてみたところ、この曲は1986年に発表されたそうです。すぐ後、約5年後でしょうか、湾岸戦争が勃発していますが、それまでの歴史を振り返ると、歌詞の通り「争って傷つけあったり…」を繰り返してきたわけで、そういった戦争や紛争、あるいは冷戦も含まれるでしょうか、そういったことをしてきているわけです。それらに対する批判の念が込められているように思います。
 歌詞を聞くだけでは、確かに愛し合う二人のこれまでのいきさつの中でも争い、口論して互いに傷つけあうというようにとらえることもできます。世界的な視点は大げさなのかもしれません。しかし、この曲が今もなおカバーされ、多くの人に歌われているところをみると、世界的な視点での解釈は必ずしも大げさとは言えないのではないかと思います。実際、中森さんのカバーは2002年に発表されたものですし、沢田知可子さんも2003年にカバーしています。本当はもっと前から決まっていたのかもしれませんが、まるで2001年に発生したアメリカの同時多発テロを受けて、この曲をカバーしたようにも感じられます。21世紀を迎えてなおも戦争が続くことを批判、あるいは憂いて…。そんな風に考えてしまうのは、行きすぎでしょうか?

 一つの曲をどのように解釈するのかは、その曲を聴く人たちにゆだねられていると思います。そしてそれは音楽に限らず、本や映画などでも同様です。そのため、『瑠璃色の地球』を地球上の争いを批判するものと解釈するのも、人によっては行きすぎだと感じるでしょうし、また別の人にとってはその通りだと思うかもしれません。あるいは…。
 ということで、今回は『瑠璃色の地球』を取り上げました。知っている人も知らない人も、これを機会に一度聞いてみてはいかがでしょうか?そして、自分なりにこの曲を解釈してみると、おもしろいのではないでしょうか。