何だか、暮らしにくい国になりそうな気がしてならないのは、私だけでしょうか?
今朝のラジオで菅首相が「消費税の議論を云々・・・」と言っていたというのを聞いたのですが、私はその議論以前に、大手企業の動きに着目すべきだと思います。
日本の企業の多くは中小企業と言われていますが、それらの多くは大手企業から仕事をもらっているわけです(確か、そんな感じだったはずです。確証はありませんが・・・)。その大手企業、法人税減税とかいろいろな恩恵を受けて、では雇用とかの状況が良くなったのかというと、海外進出の準備を始めているではありませんか(つい最近、大手企業が外国人留学生などを積極的に採用していて、その理由として日本の市場を見限り、海外で利潤を追求するためということが書かれていた記事を見ました)。
つまり、企業にさまざまな恩恵を与えても、私たち国民の生活が潤うわけではないのです。むしろ、よりデフレを加速させかねず、経済規模が縮小しかねないのです。
では、どうしたらいいのかというと、国民生活を潤わせるのです。その方法は考えればいろいろと出てくることでしょう。正社員を増やすと補助金が出るとか、そんな感じで。そうすれば、国民が使うお金も増えて、市場も縮小傾向から一転して拡大傾向に変わるでしょう。そうなれば、企業も海外にばかり注目するのではなく、国内にも再注目するようになるはずです。
とまあ、素人考えではありますが、少し経済を勉強していれば「波及効果」という言葉を目にすることがあるはずです。その「波及効果」を頭の中でシミュレートしてみたのです。もちろん、それには様々なファクターがありますが、簡略化のためそういったものは除外しています。
そんなこんなで、国民の生活を潤すことを第一に考えることで、市場も潤うし、経済も回復するんじゃないかなぁと考えているわけです。もっとも、専門的なところまで考えているわけではないし、大学時代に少しだけ経済をかじっただけなので、素人も同然の見解で稚拙なものなのですが・・・。
そして、今回はこの話題が中心ではありません。タイトルにも記したとおり、月末恒例の蔵出し企画なのです。
すごいですよぉ~。この蔵出し企画。何しろ、半年近く前の話題とかが出たり、それくらい前に作った話だったりするのですから。・・・もっとも、限定か否かを問わず「創作」の記事なんかは1年以上前とかにさかのぼるわけですが。
では、蔵出しです。
~~~
2次元と3次元の境界
最近はテレビドラマも試行錯誤をしているようです。
朝日新聞(2010年1月29日)のラテ欄に、テレビやラジオに関するコラムがあるのですが、そこでとあるドラマについて取り上げているのが目に入りました。
何でも、テレビドラマにマンガっぽいテロップがいっぱい出てくるというのです。
ほとんどの人がマンガを一度でも読んだことがあるかと思いますが、コマの中には様々な擬音(オノマトペ)が文字で書かれています。「ガビーン」とか「ギョギョ」といったものなどが挙げられますが、まれに登場人物の心境を言葉で表しているものもあります。「おいてけぼり・・・」とか「意気消沈・・・」など、ここで列挙したのはほんの一例ですが、本当にたくさんの言葉が出てきます。
マンガでは当たり前のこの手法を、今はテレビドラマでもしきりに取り入れているようです。私の場合は『相棒』と『水戸黄門(再放送)』くらいしか見ないのですが、それらのドラマでも「数日後」とか「八戸」といった具合に、時の流れや場所の変更が起こったときにテロップが出るのを見たことがあります。ただ、新聞のコラムで取り上げていたのは、そういったテロップではなく、よりマンガ染みた字体と動きをするようなのです。
確かに、最近のテレビドラマはマンガが原作というものが多いです。この記事が掲出される頃にはまだ続いているかどうかはわかりませんが、NHKで放送されている『とめはねっ!』は小学館の『ビックコミックスピリッツ』で連載されているマンガです。
マンガをドラマにするということで、やはり迫力や面白さについて、ドラマはマンガには敵わないのでしょう。現実的ではない反応をしたり、実際には起こらない効果音が出たり、しかもそれがマンガにおいては自然なのですから。現実に近いドラマでそれらの効果を用いるのは、見ている人にとって違和感を大いに抱かせてしまいます。逆に、その違和感で笑いを取るのであれば、いいのかもしれませんが・・・、見る人を選ぶことになるでしょう。
そして、先のコラムを読んで、私は演技のレベルが下がったような気がしました。プロから見ると必ずしもそうだと言い切れないと思いますが、あくまで個人的見解であることをここに記しておきます。
最近のドラマの多くが、マンガを原作としています。それゆえに、多少大げさな演技を取り入れることで、マンガにおける面白さをドラマでも作り出そうとしているのだと思います。
ですが、逆に言うと、ほんのわずかなしぐさや表情の変化で登場人物の心情を表現するという繊細さが失われていることにもなります。
私の身近には鉄道関係者がいるので、よく鉄道に関する話を聞くのですが、昔、蒸気機関車を運転するには、それはそれは大変な技術が求められ、しかも定期的かどうかはわかりませんが、たらいに水を張り、中の水がこぼれないように運転するという競技会が開かれていたのだそうです。もちろん、急ブレーキなどもってのほかで、静かに、それこそ乗っている人が停まったと感じないくらいの停め方をするのだそうです。当然、停止位置は1センチたりとも越えてはならず、停止位置の手前やピッタリで停めるのだそうです。これにより、運転手の技能向上を図ろうというのです。
もちろん、今でもそれに準じた競技会のようなものが行なわれているのかもしれませんし、仮に行なわれていないとしても、技能向上のために日々切磋琢磨していることと思います。ですが、この記事を作った日にも電車に乗ったのですが、駅に到着する前にずいぶんときついブレーキが掛けられました(そのときはグリーン車に乗っていたのですが、自動車がブレーキをかけるときのように体が前に動いたくらいでした)。
昭和中頃の鉄道に乗った事がないので、昔の鉄道に対してはもしかすると幻想に類するかもしれません。ですが、少なくとも、蒸気機関車と電車を比較すると、繊細な運転技術が求められたのは間違いなく前者だということはわかります。
そして、昔の映画やドラマには、人の機微を描いたものが多かったように思います。世代的に私が知る昔の映画やドラマは限られてしまいますが、少なくとも今のように大げさな演技は求められていなかったということはわかります。そう考えると、昔の作品の方が求められる演技のレベルが高かったように感じられるのです。
もっと言うと、今のドラマの多くは、役者経験が浅くても、簡単に演技ができるような気がします。しかも、あたかもうまく演技しているかのように・・・。
テレビ欄を見ると、ドラマの出演者の名前のほとんどが、雑誌のモデルやグラビアアイドルを経て役者に転身したという人です。しかも、転身して早々に主役やその周りの役柄を演じています。
こういうのを目にしてしまうと、がんばって劇団とかで演技の勉強をしながら、一生懸命経験を積んでいる役者の方たちが報われないような気がしてしまいます。もっとも、劇団とテレビである程度すみわけがされているのかもしれませんが・・・。
まあ、途中から偏見染みた話になってしまいましたが、何でもかんでもマンガをドラマにするというのは、ちょっと考え物なのではないかと思います。もっとも、アニメにするにしても、製作の手間がドラマ以上に激しいので、いろいろと難しいのかもしれません。
あえて、今のドラマの枠をアニメにしてみてもいいのかもしれませんが、現実的ではないでしょうか?元となる作品にそれほど差異はないと思うのですが・・・。金銭面は知りませんが・・・。
~~~
いやはや、ものすごい偏見です。約半年ぶりくらいにこの記事を目にしたのですが、最近のドラマをあまり見ない原因となる偏見がかなり前面に押し出されています。ぼんやりとさせずにはっきりズバズバと・・・。
というより、蔵出し記事のタイトルにもあったように、本来は「マンガ(二次元)とドラマ(三次元)の違い」を中心に据え、その中で「マンガを実写(ドラマ)化する際の限界」を考察するはずだったのですが、気がつくとずいぶんと違う方向に、しかも暴走機関車のごとく話が進んでしまって、どうしようもありません。
まあ、このブログ、今は「愉快なブログ」を目指しているので、それはそれでいいのかもしれませんが、それにしても、我ながら不安を感じさせる内容でした。
ただまあ、何でもかんでも、ただ人気があるからという理由でやみくもにマンガをドラマ化するのには反対です。そもそも、マンガを読んでいる人はそのマンガに出てくる登場人物のイメージを強く持っています。
しかし、ドラマ化してそのキャラクターを演じる役者が、読者が抱くイメージに一致しているかというと、おそらくほとんどしていないと思います。顔が出ているという都合上、事務所とかいろいろなところから、何というか、軋轢というか(甚だ疑問を感じさせる表現ですが・・・)、製作者の思い通りになかなかいかない障害(?)が多いというのもあるのですが、やはり(ドラマの場合は役者の)外見が決まってしまっているため、あるいはマンガなどの絵では自然でもドラマになるとすんごく不自然な髪形とか、そういうのがイメージとドラマとの大きなギャップの理由なのではないかと思います。
一方で、アニメの場合はマンガの絵を(基本的に)そのままに、あとは声のイメージだけになるので、ドラマに比べると、イメージとアニメのギャップは小さいのではないかと思います。ゆえに、ドラマに比べると自然に見ることができると思います。
つまり、ドラマの限界は、それが実物であることによりリアリティーを追求することができるのですが、それゆえにマンガをそのままドラマにできないという点にあるのだと思うのです。そのため、ドラマ化する際は登場人物の設定すら変更することもあるようです(たとえば、『GTO』の場合、主人公の年齢は原作では22歳~23歳であるのに対し、ドラマでは確か25歳くらいだったと思います)。
原作を知らずにドラマだけを見るのであれば気にならない話です。しかし、好きなマンガであったり読んだことがあるマンガだったりすると、やはりドラマ化における違和感は大きくなってしまいます。
まあ、いろいろとのたくってまいりましたが、マンガ原作のドラマはあまり見たくないということです。・・・そんな結論を記しておきながら、『ハガネの女』を見ているという矛盾。まあ、人間なんて、矛盾の塊のようなものですから・・・という結論はいかがでしょうか?
さて、もうすぐ7月です。多くの学生は1学期の最終関門である期末テストを終えて、いよいよ迫りくる夏休みに心を躍らせているのではないかと思います。
わくわくうきうきするのはいいです。それだけで今が楽しくなりますから。ですが、そういう時に油断は生じます。取り返しのつかないことならないように、わくわくうきうきしながらも、決して気を抜かないようにしてください。
今朝のラジオで菅首相が「消費税の議論を云々・・・」と言っていたというのを聞いたのですが、私はその議論以前に、大手企業の動きに着目すべきだと思います。
日本の企業の多くは中小企業と言われていますが、それらの多くは大手企業から仕事をもらっているわけです(確か、そんな感じだったはずです。確証はありませんが・・・)。その大手企業、法人税減税とかいろいろな恩恵を受けて、では雇用とかの状況が良くなったのかというと、海外進出の準備を始めているではありませんか(つい最近、大手企業が外国人留学生などを積極的に採用していて、その理由として日本の市場を見限り、海外で利潤を追求するためということが書かれていた記事を見ました)。
つまり、企業にさまざまな恩恵を与えても、私たち国民の生活が潤うわけではないのです。むしろ、よりデフレを加速させかねず、経済規模が縮小しかねないのです。
では、どうしたらいいのかというと、国民生活を潤わせるのです。その方法は考えればいろいろと出てくることでしょう。正社員を増やすと補助金が出るとか、そんな感じで。そうすれば、国民が使うお金も増えて、市場も縮小傾向から一転して拡大傾向に変わるでしょう。そうなれば、企業も海外にばかり注目するのではなく、国内にも再注目するようになるはずです。
とまあ、素人考えではありますが、少し経済を勉強していれば「波及効果」という言葉を目にすることがあるはずです。その「波及効果」を頭の中でシミュレートしてみたのです。もちろん、それには様々なファクターがありますが、簡略化のためそういったものは除外しています。
そんなこんなで、国民の生活を潤すことを第一に考えることで、市場も潤うし、経済も回復するんじゃないかなぁと考えているわけです。もっとも、専門的なところまで考えているわけではないし、大学時代に少しだけ経済をかじっただけなので、素人も同然の見解で稚拙なものなのですが・・・。
そして、今回はこの話題が中心ではありません。タイトルにも記したとおり、月末恒例の蔵出し企画なのです。
すごいですよぉ~。この蔵出し企画。何しろ、半年近く前の話題とかが出たり、それくらい前に作った話だったりするのですから。・・・もっとも、限定か否かを問わず「創作」の記事なんかは1年以上前とかにさかのぼるわけですが。
では、蔵出しです。
~~~
2次元と3次元の境界
最近はテレビドラマも試行錯誤をしているようです。
朝日新聞(2010年1月29日)のラテ欄に、テレビやラジオに関するコラムがあるのですが、そこでとあるドラマについて取り上げているのが目に入りました。
何でも、テレビドラマにマンガっぽいテロップがいっぱい出てくるというのです。
ほとんどの人がマンガを一度でも読んだことがあるかと思いますが、コマの中には様々な擬音(オノマトペ)が文字で書かれています。「ガビーン」とか「ギョギョ」といったものなどが挙げられますが、まれに登場人物の心境を言葉で表しているものもあります。「おいてけぼり・・・」とか「意気消沈・・・」など、ここで列挙したのはほんの一例ですが、本当にたくさんの言葉が出てきます。
マンガでは当たり前のこの手法を、今はテレビドラマでもしきりに取り入れているようです。私の場合は『相棒』と『水戸黄門(再放送)』くらいしか見ないのですが、それらのドラマでも「数日後」とか「八戸」といった具合に、時の流れや場所の変更が起こったときにテロップが出るのを見たことがあります。ただ、新聞のコラムで取り上げていたのは、そういったテロップではなく、よりマンガ染みた字体と動きをするようなのです。
確かに、最近のテレビドラマはマンガが原作というものが多いです。この記事が掲出される頃にはまだ続いているかどうかはわかりませんが、NHKで放送されている『とめはねっ!』は小学館の『ビックコミックスピリッツ』で連載されているマンガです。
マンガをドラマにするということで、やはり迫力や面白さについて、ドラマはマンガには敵わないのでしょう。現実的ではない反応をしたり、実際には起こらない効果音が出たり、しかもそれがマンガにおいては自然なのですから。現実に近いドラマでそれらの効果を用いるのは、見ている人にとって違和感を大いに抱かせてしまいます。逆に、その違和感で笑いを取るのであれば、いいのかもしれませんが・・・、見る人を選ぶことになるでしょう。
そして、先のコラムを読んで、私は演技のレベルが下がったような気がしました。プロから見ると必ずしもそうだと言い切れないと思いますが、あくまで個人的見解であることをここに記しておきます。
最近のドラマの多くが、マンガを原作としています。それゆえに、多少大げさな演技を取り入れることで、マンガにおける面白さをドラマでも作り出そうとしているのだと思います。
ですが、逆に言うと、ほんのわずかなしぐさや表情の変化で登場人物の心情を表現するという繊細さが失われていることにもなります。
私の身近には鉄道関係者がいるので、よく鉄道に関する話を聞くのですが、昔、蒸気機関車を運転するには、それはそれは大変な技術が求められ、しかも定期的かどうかはわかりませんが、たらいに水を張り、中の水がこぼれないように運転するという競技会が開かれていたのだそうです。もちろん、急ブレーキなどもってのほかで、静かに、それこそ乗っている人が停まったと感じないくらいの停め方をするのだそうです。当然、停止位置は1センチたりとも越えてはならず、停止位置の手前やピッタリで停めるのだそうです。これにより、運転手の技能向上を図ろうというのです。
もちろん、今でもそれに準じた競技会のようなものが行なわれているのかもしれませんし、仮に行なわれていないとしても、技能向上のために日々切磋琢磨していることと思います。ですが、この記事を作った日にも電車に乗ったのですが、駅に到着する前にずいぶんときついブレーキが掛けられました(そのときはグリーン車に乗っていたのですが、自動車がブレーキをかけるときのように体が前に動いたくらいでした)。
昭和中頃の鉄道に乗った事がないので、昔の鉄道に対してはもしかすると幻想に類するかもしれません。ですが、少なくとも、蒸気機関車と電車を比較すると、繊細な運転技術が求められたのは間違いなく前者だということはわかります。
そして、昔の映画やドラマには、人の機微を描いたものが多かったように思います。世代的に私が知る昔の映画やドラマは限られてしまいますが、少なくとも今のように大げさな演技は求められていなかったということはわかります。そう考えると、昔の作品の方が求められる演技のレベルが高かったように感じられるのです。
もっと言うと、今のドラマの多くは、役者経験が浅くても、簡単に演技ができるような気がします。しかも、あたかもうまく演技しているかのように・・・。
テレビ欄を見ると、ドラマの出演者の名前のほとんどが、雑誌のモデルやグラビアアイドルを経て役者に転身したという人です。しかも、転身して早々に主役やその周りの役柄を演じています。
こういうのを目にしてしまうと、がんばって劇団とかで演技の勉強をしながら、一生懸命経験を積んでいる役者の方たちが報われないような気がしてしまいます。もっとも、劇団とテレビである程度すみわけがされているのかもしれませんが・・・。
まあ、途中から偏見染みた話になってしまいましたが、何でもかんでもマンガをドラマにするというのは、ちょっと考え物なのではないかと思います。もっとも、アニメにするにしても、製作の手間がドラマ以上に激しいので、いろいろと難しいのかもしれません。
あえて、今のドラマの枠をアニメにしてみてもいいのかもしれませんが、現実的ではないでしょうか?元となる作品にそれほど差異はないと思うのですが・・・。金銭面は知りませんが・・・。
~~~
いやはや、ものすごい偏見です。約半年ぶりくらいにこの記事を目にしたのですが、最近のドラマをあまり見ない原因となる偏見がかなり前面に押し出されています。ぼんやりとさせずにはっきりズバズバと・・・。
というより、蔵出し記事のタイトルにもあったように、本来は「マンガ(二次元)とドラマ(三次元)の違い」を中心に据え、その中で「マンガを実写(ドラマ)化する際の限界」を考察するはずだったのですが、気がつくとずいぶんと違う方向に、しかも暴走機関車のごとく話が進んでしまって、どうしようもありません。
まあ、このブログ、今は「愉快なブログ」を目指しているので、それはそれでいいのかもしれませんが、それにしても、我ながら不安を感じさせる内容でした。
ただまあ、何でもかんでも、ただ人気があるからという理由でやみくもにマンガをドラマ化するのには反対です。そもそも、マンガを読んでいる人はそのマンガに出てくる登場人物のイメージを強く持っています。
しかし、ドラマ化してそのキャラクターを演じる役者が、読者が抱くイメージに一致しているかというと、おそらくほとんどしていないと思います。顔が出ているという都合上、事務所とかいろいろなところから、何というか、軋轢というか(甚だ疑問を感じさせる表現ですが・・・)、製作者の思い通りになかなかいかない障害(?)が多いというのもあるのですが、やはり(ドラマの場合は役者の)外見が決まってしまっているため、あるいはマンガなどの絵では自然でもドラマになるとすんごく不自然な髪形とか、そういうのがイメージとドラマとの大きなギャップの理由なのではないかと思います。
一方で、アニメの場合はマンガの絵を(基本的に)そのままに、あとは声のイメージだけになるので、ドラマに比べると、イメージとアニメのギャップは小さいのではないかと思います。ゆえに、ドラマに比べると自然に見ることができると思います。
つまり、ドラマの限界は、それが実物であることによりリアリティーを追求することができるのですが、それゆえにマンガをそのままドラマにできないという点にあるのだと思うのです。そのため、ドラマ化する際は登場人物の設定すら変更することもあるようです(たとえば、『GTO』の場合、主人公の年齢は原作では22歳~23歳であるのに対し、ドラマでは確か25歳くらいだったと思います)。
原作を知らずにドラマだけを見るのであれば気にならない話です。しかし、好きなマンガであったり読んだことがあるマンガだったりすると、やはりドラマ化における違和感は大きくなってしまいます。
まあ、いろいろとのたくってまいりましたが、マンガ原作のドラマはあまり見たくないということです。・・・そんな結論を記しておきながら、『ハガネの女』を見ているという矛盾。まあ、人間なんて、矛盾の塊のようなものですから・・・という結論はいかがでしょうか?
さて、もうすぐ7月です。多くの学生は1学期の最終関門である期末テストを終えて、いよいよ迫りくる夏休みに心を躍らせているのではないかと思います。
わくわくうきうきするのはいいです。それだけで今が楽しくなりますから。ですが、そういう時に油断は生じます。取り返しのつかないことならないように、わくわくうきうきしながらも、決して気を抜かないようにしてください。