ここは猫目館の5号室。部屋には五島くんしかいません。妹の来夢ちゃんには管理人さんの部屋に行ってもらいました。
 この日は五島くんの尊敬する先生である白石美香さんの命日です。ちょうど3回忌です。五島くんは普段飲みなれない清酒をちびちびと飲んでいました。部屋の電気はつけていません。窓を開けて、サッシに腰をかけながら、空から冷ややかに光を照らす月を見上げながら、五島くんは酒を喉に通します。
「先生。あれからいろいろとあったけれど、今はこうして、目標に向かって邁進してるよ」
そうつぶやくと、五島くんは再び酒をぐいっと飲みました。

 白石先生が亡くなった後、五島くんはしばらくの間、再び塞ぎこんでしまいました。それは、他人が信用できなかったというかつてのものとは違い、自身が大切に思う人が相次いで亡くなっているという現実を目の当たりにして、「自分は人を愛するべきではないのだ」という思いに駆られてしまったからなのです。
 五島くんの母親も白石先生も、五島くんにとってはかけがえのない大切な人でした。しかし、大切に思ったがゆえに、どういうわけか早い段階で亡くなってしまっています。母親の場合は、再婚の時点ですでに人生が終わってしまったと見ることができます。結局、苦難の後に報われることなく生涯を終えています。そして先生の場合は、本当に短い生涯となってしまいました。
 こうして、自分は大切な人を作るべきではないのではないか?と、五島くんは思ってしまったのです。偶然だったと、当時の五島くんは思うことができなかったのです。

「先生は、一緒に暮らしてたとき、一度も酒を飲んでたところを見たことがなかったけれど、下戸だったのかな?」
語る対象がいないため、五島くんは月を見上げながら、それを先生に見立てて語り掛けました。
「まあ、そうだったとしたら、適当にジュースでもお茶でも何でもいいから、一緒に飲もうよ」
五島くんはググッと、コップの中の清酒を飲み干しました。
 五島くんは続けて、コップの中に酒を注ぎました。
「先生。実はね、もう知ってると思うけど、俺、好きな人ができたんだ」
コップを手に持ったまま、五島くんは月を見上げました。
「その人はね、先生のように、一見しっかり者なんだけど、どこか抜けててね。年上なんだけどどこか幼さも感じられてね。・・・そういえば、外見も先生にそっくりだったな」
五島くんは少し物思いにふけってから、
「あ、そっか」
と、納得しました。
「先生とその人が、どことなく面影が似ていたから、ここに入ったんだっけ」
そう言うと、五島くんはコップを天に仰いでから、酒を一口飲みました。
「先生のことは、これからもずっと忘れないよ。俺が教師を目指すのも、先生のように、人を信じることの大切さを、かつての俺みたいに人を信じることができない生徒に教えていきたいからなんだから」
また一口、酒を飲みます。
「だからさ。俺と菜奈さんのことを、ジェラシーに思わないで見守ってくれよ!」
五島くんはもう一度、酒入りのコップを天に仰いでから、残りを飲み干しました。
「さてと」
五島くんは、空になった酒ビンとコップを持って台所に向かいました。

 いつもは酒を飲むとすぐに悪酔いして、一緒に飲んでいる友達を罵倒したり、あるいは酔いつぶれて眠りに落ちてしまったりするのですが、この日は酒が程良く周り、体が温まる程度でした。まるで、何か温かいものに包まれているかのように・・・。いつしか、五島くんは心まで温かく感じられるようになりました。
 そして、まだ夜が更けていない時間、来夢ちゃんが部屋に戻る前に、五島くんは炬燵に入ったまま、まどろみました。


「ありゃ?」
部屋に戻ってきた来夢ちゃん。部屋の中央にある炬燵に入って眠っている五島くんを見ています。
「もう寝ちゃったよ。まだ9時前なのに・・・」
来夢ちゃんも炬燵に入って、五島くんの寝顔を見つめます。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・ん」
長い長い沈黙を破ったのは、何と五島くんです。
「・・・・・・」
「・・・・・・んん」
「・・・・・・」
「・・・・・・ん~」
何か唸っている五島くん。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
再び沈黙。
(・・・どんな夢見てるんだろう?)
そんなことを思う来夢ちゃん。
「・・・・・・」
「・・・・・・ん」
「・・・・・・」
「・・・・・・う」
「・・・・・・」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・?」
「・・・・・・んぅ~」
「・・・・・・」
「・・・・・・んあぁ~」
もだえる五島くん。
 悪夢か?それとも・・・?
「・・・・・・ちょ」
「・・・・・・ん~」
「・・・ね、ちょ、大丈夫?」
「・・・・・・ん、ん~」
「ねえ、兄ちゃん・・・、兄ちゃん!」
「・・・・・・んもう、食べられないよ~」
・・・これで「ムニャムニャ」なんて付け加えたら、どこかのおっちょこちょいな女の子のいわゆる「萌え~」な話なのでしょうが、残念、こんな寝言を発したのは五島くん、大学1年生の男の子です。・・・もっとも、特殊な趣味を持つ方にとっては「萌え~」な話になるのかもしれませんが・・・。というより、いまどき「萌え~」なんて、もしかしたら言わないのかもしれませんが・・・。まあ、世間の流行だの文化だのにうつつを抜かしている暇は、今回はありませんので、それくらいにします。
 さて、この寝言にガックシきたのは来夢ちゃん。
「・・・なんだよ!心配させてさ!」
ムッとして、そのまま不貞寝を始めましたとさ。

 来夢ちゃんを怒らせた五島くんが見ていた夢は、おそらく多くの方が予想していた通り、白石先生との生活で、白石先生がクッキーやケーキをたくさん作って、五島くんに食べさせているという場面です。白石先生の作るお菓子は甘さが控えめで五島くん好みなのですが、いかんせんたくさんあるので、おなかがパンパンに膨れてしまっているのです。

 そして、炬燵で眠る二人を見ている管理人さん。
「・・・・・・あらら」
苦笑しつつ、管理人さんは蒲団を敷いて、二人を炬燵から引き出して、布団に寝かせました。

 かつて思いを寄せた人。今思いを寄せている人。二人の温かさに包まれる五島くんはこの上ない幸福感でいっぱいなのかもしれません。
 今までの不幸を清算するかのように、この幸福をかみしめていることでしょう。・・・いや、それとも、五島くんの夢の中で、痴話げんかかな?まあ、その辺は五島くんのみが知ると言うことで一つ・・・。


(次回予告)そしてこのお話、まだまだ終わりません。ストーリー的にはこれが最終回なのですが、実は一つ、人によっては矛盾に感じる話があったので、そのあたりの解明のため、あと1回だけ続きます。気にしなければそれまでですが、気付くと結構気になることなので、もう1回だけこのお話にお付き合いください。