何だか、今現在、あるいはこれから就職活動する人たちにとって、あまりうれしくない(?)情報がヤフーニュースに出ていました。それは、「心の病」で労災が認定された人が234人いて、申請数は1136人で過去最多となったというものです。
 業務上の負傷は、いくら気をつけていても避けられないことがあります。いくら注意していても、せつな的な油断から・・・ということがあり得るからです。しかし、精神疾患というのは、肉体的な負傷以上に回避が難しいものです。
 おもに仕事上のストレスが原因となるようですが、それを細かく見ると、さまざまなものに分けられると思います。たとえば、人間関係。こればかりは、働いている人自身が選べるわけではありません。会社がより効率的な経営ができるように、人事異動を行っているわけで、もちろん本人の希望もある程度聞くようですが、やはりすべてというわけではありません。それに、本人の希望通りであっても、その部署に配属されたら、そこの上司がとんでもない人であったり、あるいはそこの部下が全く頼りにならなかったり・・・。ましてや、人間関係における原因は、こうしたものばかりではなく、人付き合いが苦手とか、いじめとか、何とかハラスメント(「何とか」の部分にはいろいろな言葉が入るので、あえて「何とか」としました)とか、さまざまです。このように、「人間関係」という原因においても、さらに原因を細分化できるのです。それに、「人間関係」は何も、会社内には限りません。接客業なんかは、店で働く人(正社員、パート問わず)とお客さんとの「人間関係」があります。そして、その「お客さん」が、これまたどうしようもない人が最近多いようです。よく聞くのが、いわゆる「クレーマー」です。その応対をした人が精神を病んでしまったという話、いろいろなところでよく聞きます、テレビとか、雑誌とか・・・。幸い(?)、私の身近なところにはそういった話は出ていませんが、それは・・・と、これ以上は蛇足ですね。
 これが現実、と腹をくくることができれば、将来への不安もある程度緩和できることでしょう。しかし、それがなかなかできないのが人の弱いところです。果たして自分が精神疾患にならないかどうか、それは運任せとなってしまいます。こればかりは、自分の力ではどうにもなりませんから。でなければ、自らの神経を繊細なものから図太いものに変えることが求められるでしょう。もっとも、その方法がわからないと、どうしようもありませんが。将来のある人たちに伝えるにはあまりにもマイナスな感じがしますが、いろいろとあきらめることも必要なのかもしれません。そうすれば、いちいち細かいことで悩むことがなくなったり、いやな目にあっても「あっそ」てな感じで受け流したりできて、気持ちがだいぶ楽になるかもしれません。
 まあ、あくまで可能性の域を超えることはできませんが・・・。結局、自分にとっていかに精神疾患を回避するかというのは、その人その人によって、方法は異なると思うのです。精神疾患に陥る前にその方法を見つけられるか。自分でできる対策は、それくらいだと思います。もっとも、精神疾患の専門家ではないので、素人考えとなり、その信頼性はあまりありませんが・・・。

 さて、前置きでは仕事で精神疾患ということで、人が生きる上でのつらさに通じる話題を取り上げましたが、本題では動物たちが生きる上でのつらさを取り上げます。・・・無理やりつなげた感じがしますが、それは気にしない方向で・・・。それと、「動物たち」としましたが、野生動物の厳しい現実というのではなく、犬の話です。

 ヤフーニュースに雑誌『AERA』の記事が掲出されていたのですが、その内容は「捨て犬の現実」を、捨て犬を保護し、場合によっては殺処分する施設からの目線で紹介したものです。
 詳しい内容は該当するニュース記事を参照していただきますが、下関市や熊本市、そして横浜市などのように、犬への負担をできるだけ少なくするように取り組んでいるところもある一方で、そういった取り組みがなかなかできない(あるいはする気が毛頭ないという)自治体が多いという現実が記されています。
 確かに、記事中にもありましたが、犬猫に多くの金をかけることに対する苦情が出ているように、犬などの動物に対してそこまでする必要はないという見方もできます。「犬猫よりも、住民あるいは国民の生活を潤すことに金をかけろ!」というように・・・。見ず知らずの捨てられた犬にそこまでする義理はないというように・・・。
 しかし、一方でここまで人間社会が広い範囲にまで及んでいるというのを考えると、動物たち(実際はそれに限らず、植物など、生きとし生けるものすべて)への影響は非常に大きなものです。あるものはそれゆえに滅んでしまったり、またあるものはそれゆえに住処を奪われたり、その結果人里にえさを求めてやってくると、「それ~を猟師が鉄砲で撃ってさ・・・」という歌じゃありませんが、場合によっては殺されたりします。それらすべてを「自然の摂理」とか、「競争社会」といった言葉で肯定することもできるかもしれません。ですが私は、人間社会が与えた動物たちの影響は、大きすぎると思います。その中に、犬や猫ももちろん含まれています。
 特に犬は、人間によってさまざまにかけ合わせが行われたとか。ある犬は闘うため、またある犬は食糧だか衣服の材料だかの獲得のため、その特徴を伸ばすためにかけ合わせが行われ、そして誕生したというのを、何かの本で読んだかうんちくかで聞いたかした覚えがあります。そして、犬と猫、どちらが先かはわかりませんが、人と犬猫とのかかわりはかなり昔からあったといいます。・・・以前『どうぶつ奇想天外』で見た覚えがあるのですが、内容の記憶はかなりあやふやになってしまいました。
 そして今もなお、犬や猫は多くの人にかわれています。店で「買って」、家で「飼って」いるわけです。中にはもらっている人もいるのですが、今は「買って」というのが大多数を占めているのではないかと思います。
 そうして、人々は命を「買って」、共に過ごして(つまり「飼って」)、時には叱り、時にはほめて、そして自分たちは時にその命の姿に癒されるわけです。しかし、中には癒されるだけ癒され、用がすんだら「はいそれまでよ!」ということで、その命をあっさり捨ててしまう人たちもいるのです。
 こう記すと、人によってはいい思いをしないかもしれませんが、命を軽んじる人がいる以上、その命を保護したり、場合によっては処分したりすることに対して、私たちは「連帯責任」を負わなければならないのではないかと思います。そのため、犬や猫に金をかけるのは、当然と言えると思います。
 と言っても、本来なら犬や猫を捨てた人にその負担をしてもらうべきなのです。なぜなら、一時の感情か、それとも飼おうとした当初は本気で最後まで面倒をみるつもりだったのか、その辺はわかりませんが、その命を裏切ったことには変わりありません。たとえどんな理由があったとしても。急に生活苦になったとか、引っ越ししたら犬が買えなくなったとか、そんなのは飼っている人間の勝手な都合です。飼えなくなったのなら、その命が最後まで生を全うできるように最善を尽くすべきです。安易に捨てるなど言語道断。それに、「保健所なら・・・」という甘い考えも、私にしてみれば許せないものです。そもそも、最後まで面倒をみる自信がないのなら、端からかうな!というのが私の考えです。まあ、その辺についてはいろいろと考えがあり、全部記す余裕はないので割愛します。

 現代は、何かと命が軽んじられています。些細なことが気に入らずに人を殺してしまう人もいます。それに限らず、犬や猫を簡単に手放す人もいます。苦渋の決断という場合もあるかもしれませんが・・・。
 それゆえに、捨て犬が殺処分されている現実を、もっと明るみに出すべきだと思います。ついさっきまで元気に尻尾を振っていた犬たちが、見る見るうちに動かなくなり、そして息絶えるという光景を目の当たりにすることで、命の重さを感じることができるはずです。ましてや、人間の勝手な都合で、その命が途中で断たれるというのですから。それも、その命は単に断たれるわけで、牛や豚、鶏のように食されるわけではないのです。極端且つ残酷な言葉で記すと「無駄死に」です。必要とされて殺されるのではなく、必要なくなったから殺されるのです。・・・これから読もうとしているマンガのタイトルみたいですが(蛇足)。

 今までの自分にさまざまな出来事(いうなれば歴史)があるように、周りにいる人たちのもその人にとっての「歴史」があるわけです。そしてそれはもちろん、動物たちにもあるわけです。私たち人間がその動物たち個々の「歴史」を知ることはできませんが、確かに生まれてから今までの間に、彼らにも「歴史」があるのです。それはもしかすると、その人にしかわからないものかもしれませんし、他の人と共有しているものもあるかもしれません。そう考えると、一つ一つの命は決して軽いものだとは言えません。それを軽んじる罪は重いはずです。
 今一度、命の重さを考えてみるべきなのかもしれません。


参考
・「心の病」で労災234人=申請者数は過去最多―厚労省
   http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100614-00000079-jij-soci
・犬に優しい 自治体はどこか
   http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100621-00000001-aera-soci