それは、新一が高校に入学した日のことであった。相変わらず、衰弱した体のおかげで、息子の晴れ姿を見ることもできずに、家の寝室で陰陰滅滅としていた。こんな母親では、新一もつらかろう、いっそのこと一思いに・・・と、こんな日でも日中はそんなことを繰り返し考えていた。
 すると新一が、配られた教科書が重いと嘆きながら帰ってきた。新一は私に教科書を見せてくれた。まだ皺一つない新品の教科書。
「せっかくのチャンスだし、一生懸命勉強するから」
そう言って、新一は、いつ以来だろうか、すごく久しぶりに私に笑顔を見せた。私も、新一がうれしそうに教科書を見せるのを、一緒になってうれしくなりながら見つめていた。
 その晩のこと。新一が布団に入ると、私に語りかけるつもりではなかったのだろう、つぶやくように言った。
「俺、まさか本当に高校に行けるとは思ってもみなかった。俺の人生は、あの男と暮らすようになってから、すっかり諦めていたから。でも、俺は白石先生と、お袋がいたから、こうしてまた夢を見つけ出すことができたし、それに向かって一歩踏み出すことができた。でも、俺一人だけだったら、やっぱり挫折してたと思う。もちろん、金の面もある。でも、それよりも俺を支えてくれる人がいないことのほうが、正直ヘコむ。お袋。いてくれて、ありがとうな・・・」
 私は新一に背中を向けて眠っている振りをし続けていた。しかし、もう枯れ果てたと思っていたのに、どういうわけか、目からはしょっぱいものが流れていた。
 私はそれ以来、死を考えることをやめた。生きているだけで、少なくとも息子の助けにはなっている。私の世話をすることも含めて、息子にとっては救いになっているのだ。結局、私が死を考えていたのは、息子に迷惑がかかるという大義名分を表に出していたけれど、その実、息子に迷惑をかけているという自分自身が嫌だからだという、自分勝手なものだったのだ。死の理由に息子はなく、結局自分自身に嫌気がさしたというだけのことだったのだ。実際、息子はこんな不甲斐ない私に対して感謝までしてくれている。これで死んでしまったら、それこそ息子を裏切ることになるし、息子にとっての心のよりどころを、母親である私自身が奪うことになる。つまり、私が死ぬということで苦痛から逃れることができるのは私だけで、残された息子には一生残る苦痛を与えることになるのだ。そうなるくらいなら、この先いつまで生きていくことができるのかはわからないけれど、残りの人生を全うしよう。自らの手で幕を下ろすことは、絶対しない。
 私はその晩、そう密かに誓ったのだ・・・。


 しかし、五島の母親がそう誓ってから1年ちょっと、五島の母親はいよいよ死の瀬戸際に立ってしまっていた。その頃から、五島は学校を休むようになった。学校側には母親のことを伝えてあるため、休学扱いとなっている。
 母親は入院させなかった。母親の衰弱はもはや歯止めの利かないところまで進んでしまっているため、自宅で最後を迎えたいという母親の意思を尊重して、自宅療養を取っていた。無論、病院からは許可を貰っている。ただし、容態が悪化したときにはすぐに病院に来ることを条件にしている。五島はできるかぎり、母親に付きっ切りでいた。
 そんななか、母親は必死になって、五島にいろいろなことを話しかけた。まるで、言い残したことのないように、全てを話しきってしまおうとでも言うかのように。結婚前までの自身の生い立ち。五島の姉を流産で失っていたこと。新一という名前の由来。思い出すことは全て話した。

 7月3日。母親の容態が悪化。呼吸が荒くなり苦しそうな表情を浮かべ、顔中に脂汗が流れ落ちている。
「苦しいのか?それとも、どこか痛いのか?」
五島は訊ねるが、母親は答えられない。五島はすぐに救急車を呼んだ。
 入院後、当初は精神的ストレスによる心身衰弱との診断を受けていた母親が、実は癌を患っていたということが判明した。もちろん、すでに末期となっているため、手の施しようはなかった。皮肉なことに、彼女の心身衰弱が、癌の進行を遅らせていたという。もしも健康な体であったら、もっと前に亡くなっていただろうとのことだ。
 五島は母親には癌であることを伏せていた。しかし、母親は命の終末をすでに悟っているようであった。
「新ちゃんには、いつも迷惑ばかりかけてしまっていたわね。ごめんね・・・本当に、ごめんね。それと、ありがとうね・・・」
五島は母親の顔を見つめている。自分の意志とは裏腹に、目からは涙がこぼれている。抑えようとしても、どういうわけか歯止めが利かない。
「でもね、本当のことを言うとね、やっぱり未練がいっぱいあるの。だって、親子らしいこと、ほとんどしてこなかったし。母親らしいことだって、何もしてあげられなかったし・・・」
「何言ってるんだよ!十分してきたじゃないか!親らしく、俺を高校に進学させてくれたじゃないかよ!親らしく、俺に金の心配をさせなかったじゃないかよ!それと、親らしく、息子の俺のことを全てお見通しだったじゃないかよ!・・・十分、お袋は俺の母親だったよ・・・」
五島は母親にもたれかかった。押し殺しているつもりであったが、嗚咽は漏れてしまっている。
「・・・・・・新ちゃん、重いよ」
「・・・・・・うるさい!」
五島は、わがままなことを叫ぶ子どものような態度を取った。
「その分、俺のことがわかるだろ」
「・・・困った子ね」
母親は苦笑した。そして、そのままできる限りの満面の笑みを浮かべて、
「でも、そんな新ちゃんが、私は・・・・・・好きだった、よ・・・」
と、言葉を辛うじてつなげた。
 そして、母親はすっと目を閉じた。その目は、医師による確認を除いて、二度と開くことはなかった。

 2004年7月9日午後2時34分、五島妙子は息を引き取った。51歳だった。

 その4日後、病弱だった五島の母親を心配していた近所の人たちの協力もあって、近くの葬儀場で通夜と告別式がしめやかに執り行われた。

 そして、7月14日、五島は喪服姿の思わぬ人と葬儀場で再会を果たした。