その日、白石先生はいつものように授業を行い、いつものように生徒と交流をし、そしていつものように教材を作っていた。教材とは言っても、大々的なものではなく、レジュメである。大学時代にレポート作りでやっとの思いで慣れたパソコンで、時折「ええ?」と小さな悲鳴を上げながら、レジュメを作る。
 白石先生本人としてはこれといって大きな変化があるわけではない。3月に受け持っていた33組の生徒たちを送り出してから、4月に12組の担任を受け持ち、右も左もわからない生徒たちに中学校での過ごし方などを教えてきた。ただ、最近は何となくいつもよりも疲れが溜まっているような気がしている。
 このときも、白石先生は頻繁に肩に手をやって凝りをほぐしたり、首を回したり、軽く伸びをしたりして、疲れを和らげようとしていた。無論、その効果はほとんど出なかったが、何となくそうしないと落ち着かなかったのである。
「さて、後ちょっとだ」
白石先生は体を伸ばしてから、再びレジュメ作りに取り掛かった。
 
 それにしても、最近はどうも体が重い。元々食は細い方なので、太ったわけではない。今春の健康診断のときも、体重は増えていなかった。いや、むしろ減っていたくらいだ。それに、同僚の先生には、「最近、ちょっとやつれてきてるみたいだけど、ちゃんとご飯食べてるの?」と心配されたくらいだ。小食ではあるが、しっかりと食事は取っている。もっとご飯を食べるべきなのかもしれないが、何分そこまで食欲があるわけではなく、これでもお腹いっぱい食べているつもりなのである。それにもかかわらず、生徒からも心配されるほど、私の顔はやつれてしまっている。朝、顔を洗うときに、私自身もそれを感じている。
 そして、最近は授業中も、教卓の前に立って授業をすることができない。黒板に字を書くのも、午前中は何とかなるのだが、午後の授業の時には疲れが溜まってしまい、正直辛い。そのため、今こうしてレジュメを作っているのである。・・・案外、黒板の内容を写してもらうよりも、こうしてレジュメを配った方が、生徒たちも授業内容の飲み込みが早いようだ。このことが、私の負い目を少しばかりやわらげてくれる。授業で迷惑をかけている分、少しでもわかりやすいレジュメを作らなければ・・・。私はその思いだけで、今もなお戸惑うパソコンでレジュメを作るのである。
 
 しかし、夏休みを目前に控え、白石先生の疲労は頂点に達していた。朝起きても、昨日の疲れが残っている。クラスの生徒たちに会いたいという一心で、学校に足を運ぶが、生徒が何を話しているのか、時折わからなくなることもある。「一体私はどうなってしまったのだろう?」と、白石先生は思わずにはいられなかった。
 
 風邪を引いたのだろうか。それにしては、熱は出ていない。頭痛もあるわけではない。でも、明らかに体力は低下してきている。もしかすると、何らかの病気かもしれない。
 でも、今は期末試験の採点をしなければならない。試験の結果を生徒たちに返さなければならない。それが終われば、あと2週間ほどで1学期が終わる。せめて夏休みに入るまでは・・・。
 
 しかし、78日。その思いとは裏腹に、5時間目の授業中、先生は気を失ってしまった。
 生徒数人の話をまとめると、その日は朝から、先生の様子は誰の目にも調子悪そうに見えていたという。目は辛うじて開いているという感じで、生徒から投げかけられたあいさつにも、ほとんど反応を示さなかったという。また、期末テストの少し前辺りから、校長や教頭に休むように勧められていたが、「1学期が終わるまでは・・・」と頑なに休むことを拒んでいたという。そして、テスト返却のときも、採点ミスが多数判明し、その修正に応えるのもおぼつかないくらいであった。挙句、テスト後の授業においては、二言三言話しては呼吸を整えるのを繰り返していた。生徒の中には、白石先生の授業中に別の授業の予習や宿題をしたり、本来持ち込むことが禁止されているマンガを読んでいたりしていたという。先生は元々、そういったことに干渉していなかったが、生徒たちのそういった行動はしっかりと把握していた。しかし、このごろの先生は、それらに気付いていない様子であったという。いや、気付くほどの余裕がなかったとしたほうが正確かもしれない。先生を心配する生徒によると、5月くらいからその兆候が表れていて、時が流れるに連れて症状が悪化していったと言う。
 そしてついにこの日、先生は授業中に机に伏したまま、生徒たちの呼びかけに全く反応を示さなくなった。駆けつけた先生たちにより、白石先生が眠っているわけではないことが確認され、すぐに救急車が手配された。生徒たちが心配そうに見守る中、先生は救急隊員によりストレッチャーに乗せられ、救急車で近くの病院に搬送された。
 
 どうやら、精神的なストレスが原因であったらしい。教師になったと気負いしすぎたことで、肉体的への影響はそれほどのものではなかったものの、精神への負荷が過剰なものとなり、疲労感や貧血の症状が表れたのだという。
 確かに、白石先生には昔から、何かを任されるとその期待に応えようとがんばりすぎるきらいがある。これまでは与えられる役割も、学生であったこともあり、それほど重要で責任が伴うものではなかったが、教師となった今はそういうわけにも行かない。そして、その責任に対する意識が人一倍強いため、だいぶ無理をしていたのだろう。昨年からの1年間はどうにかなったが、今年度は1年生を受け持っている。3年生を受け持つ方が責任の重さが大きいと思われるが、白石先生にとっては1年生でも同じくらいの責任の重さを感じていた。何もわからない1年生を導くこと、しかも置いてけぼりを食う生徒が出ないように細心の注意を払うことは、想像以上に神経をすり減らした。そして、気がつくと教室で気を失っていた・・・。
 夏休みに入ると、白石先生は退職届を学校に提出した。回復に長い時間を要するという医師の診断結果も併せて・・・。
 
 それから1年もの間、白石先生は自宅療養を続けた。家で手伝いをしつつ、時間があれば近所を散歩し、さらに時間があれば少し遠出をする。そんな生活を続けていた。この1年は、白石先生としてではなく、一人の女性白石美香として過ごしていた。
 そして、たいぶ体力も戻り、周囲のことにも気を向けることができるようになった。今は2年生になっているたった3ヶ月ほどだけの教え子たちはどうしているであろうか。悪いことに手を染めていないだろうか。しっかりと勉強しているだろうか。
 ある日、庭に出て縁台に座りながら、そんなことを思いふけっていると、ふと一人の男子学生のことを思い出した。彼は、白石先生にとっての最初の教え子であり、また教師になって最初に出会った教え子であり、そして担任として接していた1年で一番気を遣っていた生徒である。表面上は全員と平等に接していたが、その生徒はクラスの中で孤立しており、白石先生は彼が少しでもクラスに溶け込めるようにと積極的に話しかけた。しかし、最後まで彼がクラスメートと馴れ合うことはなかった。白石先生が感じた変化は、自身に対してその生徒が心を開いていたということくらいで、彼女の願いは結局彼の卒業までの間に叶うことはなかった。そして、それがずっと気がかりでいた。
「・・・・・・五島くん、ちゃんとうまくやってるかしら」
 五島のことを思い出していた白石先生は、戻ってきた体力に任せて、外に出ていた。そして、普段は足を運ばない区画へと向かっていた。そこには、1年ほど前まで勤務していた学校があり、また五島の家も近くにあるはずだ。一度も家を訪ねたことがないため、実際のところはわからないが、散歩がてら探せばいいだろう。白石先生はそう思い、通いなれた中学校の前にやってきた。そして、そこを起点に、周辺を探すことにした。