例えば。

 

サッカーの試合で0-5で負けた。

野球の試合で0-10で負けた。

ラグビーの試合で0-70で負けた。

 

スコアは完敗でも、自身の全力を尽くした場合、

後悔は残らないのか…。

 

 

自分自身が、これまでにないくらいの完璧な状態で、

自分のチームも、これ以上ない仕上がりとモチベーションで、

120%の出来で挑み、全力を発揮した結果、

苦杯を喫したとして、

果たして、

悔いは残らないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

神の目を持ち、その裁量で、

心技体の全てを数値化し、パーフェクトな行いだったとしても、

悔いが残らないとは限らない。

 

 

 

 

私の今の人生、

結構、幸せに思う。

自分なりに努力し、

たくさんの人に助けられ、

ここまで歩んできたというか、思わずとも歩まされてきたというか。

庶民ながらに、

喜怒哀楽や栄光や挫折、酸いも甘いもそれなりに経験し、

今の自分であることを幸せに思う。

 

ただし、

「たら」「れば」は少なからずある。

決して消極的な意味ではないのだけれど。

あの時ああしていれば、違ったのかな?

あの時あんなことしなかったら、違ったのかな?

 

もっと勉強していれば。

違うバイトをしていたら。

別の職業を選んでいたら。

あんなひとことさえ言わなければ。

 

そう思おうとすればいくらでもたくさんの「たら」「れば」は思いつく。

それでも、

今の自分にそれなりの満足感とかなりの幸福感を覚える自身にはあっぱれとさえ思う。

それは決して負け惜しみではなく、

明日また元気に過ごせる自分の糧となっている。

 

 

 

勝負の世界には、たくさんの「たら」「れば」がある。

どんなにやりきってもきっと、

後悔する人は、後悔する。

全力を尽くしたから後悔がないわけではない。

あの瞬間に、

“最善の選択”をしたがために敗戦の引き金となったのかもしれない。

あの局面で、

“最良の行動”を起こしたがために逆襲をくらったのかもしれない。

過去を振り返ればいくらでも、

もっと良い策や、手段を顧みることはできる。

ただし、

 

現実はただひとつ

 

 

 

悔いを残す人もいるでしょう。

悔しい思いもしながらも清々しく思う人もいるでしょう。

 

 

そう。

 

全力を尽くしたからって

悔いが残らないとは限らない

 

そして。

より良い未来を歩むためには、

 

その経験をどう生かすか

 

 

 

後になれば悔し涙も、ほろ苦くもいい思い出になる。

しかし、それをあえて望む人はそういないはず。

だからこそ、

挑むべきものには全力を尽くすべき。

尽くしきれずに後悔することは最悪。

本当に悔いしか残らない。

 

 

負けて悔いなし

 

 

100歩譲ればそう言ってもいいかな、

くらいに思えるように、

できる限りのことはしていたい。

そうすべき。