ROぼPOぷ

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最近、また音楽をはじめたよ。POP、おk。

Amebaでブログを始めよう!
眠れないので、WINDOWSについて書き残したいと思う。
眠ろうとすると、この事が浮かんでくるのである。

手塚は、「機械を信じてはいけない」という様な事を漫画に書いていたのだが、
私は、すっかり、その助言を聞いていない人生を送った。

WINDOWS95を買ったのは、はじめての会社の退職金で、20万円くらいした。
買ってきたのはいいが、本も当時は初心者に向けて、親切な解説など無かった。

どちらかといえば、理系に強いような人であるならば、その解説本は読みやすかったのかもしれない。

私には、全くわからない。それでいて、前からパソコンが売られていると、
よくわからないのに、家電店で触ってみたりするほど、興味があったから、
いろいろいじっては、自分ではどうしようもない事に何度もしてしまった。

それで、リカバリーCDを入れると、また、新しくwなる事を発見したので、
何度も、リカバリーCDを入れては、新しくwして喜んでいるほどであった。(かなり何度もやってたw)

周囲にはパソコンをやってる人がいないので、自力で、とか、初心者パソコン教室などに行き、
本当にちょっとづつ、テレホなんかを始めた。電話回線を使用した通信だ。
その時の通信開始の音が、「ピーヒョロガー」と聞こえるのだ。

そこで、インターネットに接続する事ができて、ニフティサーブとかの時代だと思う。
ICQも気に入っていたが、MSチャットをするのが毎日楽しみだった。
待ちきれなく、無料時間外にやってしまって、とんでもない請求額が来たこともあった。

MSチャットも、なんとか仲間と自力でキャラクターを自作し、表示させたり、
(それは今では非常に簡単なこと)
教えあいながら、そんな事は楽しかった。そんな時代のトモダチは、今も、理由無く友達だ。特に中身のある話はしないが。

小学生の頃の、音楽のパイナップルみたいなw頭をした教師が、
「窓 という 漢字は ウ ハ ム 心 と書く」と、行っていた。

ウハムは謎としても「心」がそこにはあったような気がしてならない。

WINDOWSは、9を通り越し10に行き、終わるかもしれない、というような事を読んだ。
残念だ、と思っている。

ゲイツの事がいろいろ書かれていたりするし、世の中では、macやiphoneが人気だ。

でも私は、WINDOWSPHONEを本当に買おうか、迷ったが、(まじだw)
提供されてるサービスや、他者との共通点が日本では?少ないので、iphoneを使用している。
アンドロイドで好きなのはHTCだけですwわはは。

私は、そうは言っても、「WordやExcel使い」ではなくて、
簡単に言えば、自分の喜びを獲得する為に使っていたのだと思う。

音楽好きとか絵とか好きなら、macじゃね?と言われても、
WINDOWSがいいです。XPがやはり、本当に使いやすかったと思う。

「ようこそ」

その文字をみると、なんだか安心する。
今日の、この時の 「ようこそ」から始まることはなんだろう。
そして、長年の安定の「ようこそ」

「ようこそ」とお別れする日が、もしかしてくるかもしれない。
いや、来るのかもしれない。

タブレットも魅力的だが、私は、WINDOWS PCがいい。

沢山思い出があった。だが、OSが飛んだり、マシンが壊れたりで、
総て台無しになってしまう事がある。

パソコンの普及によって、写真や紙媒体や、テープやMDやCDや、
ずっと残して置けそうな事から、私は離れてしまい、
途中から、自分の写真はない。音源も。

稀に、何故か、他の人が持っていてくれて、送ってもらえた事などがあった。

バックアップすればいいじゃん?とか思うだろうけど、
あまり、それに興味を感じないようになった。

ただ、ふと、思えば、寂しい気持ちにはなる。

今は、wifiとかもあるし、スマホもある。いろいろ。
でも、有線が好きだ。

きっと「ピーヒョロガー」が好きだったからだ。
それで、
初めて、外国のラジオ、つまり南米のラジオを聞いたときに、
ああ、なんてスゴイ時代になったんだろう!!と感動したからだ。

チャットやメールが盛りになってからは、
余計にやらなくなった。

それは、なんだかひっそり楽しかったものが、ゴミゴミしてきて、
薄っぺらくなったように、感じたからだ。

今でも、スカイプチャットはするが、それは親しい人達とだけだ。

懐かしい昔は、顔は見えないけれども、または、ウエブカムで顔も見える
時代が来たりもしたが、

もし、それが無ければ、出会えないような人々と交流ができた。

それは、人によっては「リアルではないではないか」と言うだろう。

でも、私にとっては、「非常にリアルであり、リアルに繋がるものでもあった」

それへの窓が、「ようこそ な WINDOWS」だった。

作業時間(なんじゃそりゃ?と思う人もいるだろう)とはWINDOWSと共にだ。

時々、自分はエヴァンゲリオンなんじゃないか?wと思ったりする程だ。

機械も、人間の感覚と連動すると、ステキな事が在ると思う。

廃ゲーwとかもしていたのでww
人生をなんにお前は消費したのだ?と聞かれそうだがw
それにもやはり、遠くの誰かの心を感じた。

今ではyoutubeなんて動画さえ誰でも見ることが出来る。

おじいちゃんが死んだ時に、
「ああ、おじいちゃんは、この先の科学の進歩がみれないなんて!
なんてこったい!」と思ったのは本当の話。

どうであれ、
私のWINDOWSが、スタンドアローンな状態、もしくは、
WINDOWSすらと、さようなら しなくてはいけなくなるかもしれないと
思うと、
非常に、悲しい思いと、WINDOWSに、感謝しておかねばならない気がした。

ゲイツは気にしないだろうwでも私は感謝している。

私にとって「窓」であった。
「どこでもドア」 みたいなもの。「なんでも楽しく 面白い ようこそ」

なにかを作る為の 「ようこそ」


いつまでか?



WINDOWSよ、私に「ようこそ」をしてくれますか?



カーテンも開けられない部屋で、輝かしいw(言いすぎw)

スイッチ→起動→接続→「ようこそ」→ブラウジング→やあ!グーグル!

この始まりが、いつでも好きである。

そのことを記録した。