今日は、主人もお勤めがなくのんびり過ごした1日でした
ここに生クリームをのせて食べるのが、レシピ本の食べ方なのですが、糖尿っ気のある主人の体を考えてsimpleに、次男なりの気遣いで作ってくれました
食後のお楽しみに食べたら美味しい
Buono!
ワインにも合う

素直な気持ちで作ってくれる息子に心の中でウルウルしていた私
いい父の日になりました
主人の父も私の父も他界していますが、きっと成長した孫の姿を見て、喜んでくれていると思っています
私の父は、13年前に肺がんで亡くなりました。
ガンが見つかった段階で末期で…
ショックでしたが、父は前向きで心はずっと生き生きしていました。
長男は当時幼稚園の年長さん。
次男は2歳。
母方の叔母が高知においでと声をかけてくれ春休み期間を利用して
北海道から家族4人で一旦奈良に帰り、父母と共に車で高知の叔母宅まで向かいました
その後色々話し合って
アンパンマンミュージアムや馬路村に。
父は車の窓を開け森林浴ができると喜び、孫である息子たちに、冗談を言いながら(オヤジギャグ)
嬉しそうにその瞬間を満喫しているようでした
嬉しそうにその瞬間を満喫しているようでした「じいじは幸せやなぁ、有り難い有り難い」と。
それから色んな治療を受けながら入退院していましたが、お正月近くになって再び母は
お医者さまに覚悟をとの言葉を宣告されました。
冬休みを利用し、主人も理解をしてくれ
北海道から二週間奈良に帰りました。家で療養する父、そしてお世話する母の姿。
離れて暮らす故の親不孝をしているような気持ちで、トイレで1人で泣きました。
父は私や母に心配かけまいと前向きでしたが、夜になると咳がひどくなりその姿はこちらがうろたえてしまいそうな
苦しい姿でした。
でも母がとても明るく、どんな深刻そうな状況でも岡山弁の「大丈夫じゃけん」という一言で
不思議とその場の空気がスーッと落ち着くのでした。
冬休みが終わり、私が北海道に帰る前日の夜
父は私に淡々と話してくれました。
「ホッペ、人生色々あるけどな。今のこの一息一息が有り難い。当たり前やない。この病気もろうてほんまにようわかる。ほんまに有り難い。呼吸をさせてもらえることは
御神徳や。生きていることはどんな人も毎日奇跡なんや。お父さんはこの病で教えてもらった。どんなことがあっても一瞬一瞬を感謝の気持ちで生きて行かなあかんで」
それが、父との最期の親子の会話になりました。
結婚前はしょっちゅう言い合いしていた親子でしたが、結婚し北海道と奈良と離れてみて自分も親となり父の親心が分かりました。
今もいっぱい相談したいけどなぁお父さん。
「お前、そんなんやったらあかんやろ」って怒られそうですが
見守ってくれていると思うので、父も安心してくれるよう元気に過ごしたいと思います



