昨年3月11日に発生した東日本大震災から一年。
昨年の3月11日、皆さんはどこで何をしていましたか
僕は新潟県の旧山古志村で仕事を終えてタクシーを待ちがてら降り積もった雪景色を写真に収めていました

その後どうなったかは昨年ブログに書いたけど
http://ameblo.jp/robin1983/entry-10853805882.html

日本気象協会のホムペを見てたらあることに気がついた。

2日前の3月9日11時45分に三陸沖を震源とするM7.2、最大震度5弱の地震が発生しているが、これ以降の地震の発生状況をコピペします。
左から日付、時刻、震源地、マグニチュード、最大震度です。
(例:5-は震度5弱)

3/9 11:45 三陸沖 M7.2/5-
3/9 11:57 三陸沖 M6.3/3
3/9 12:02 三陸沖 M5.2/1
3/9 12:08 三陸沖 M5.9/2
3/9 12:19 三陸沖 M5.3/1
3/9 12:59 熊本地方 M2.8/2
3/9 13:01 熊本地方 M3.1/2
3/9 13:03 熊本地方 M2.6/2
3/9 13:06 三陸沖 M5.5/2
3/9 13:32 三陸沖 M5.1/2
3/9 13:37 三陸沖 M6.1/3
3/9 13:46 三陸沖 M5.1/2
3/9 15:12 三陸沖 M4.6/1
3/9 15:14 三陸沖 M4.7/1
3/9 15:25 三陸沖 M5.1/1
3/9 16:14 三陸沖 M4.8/1
3/9 16:56 三陸沖 M5.0/1
3/9 17:02 三陸沖 M5.2/2
3/9 17:55 三陸沖 M4.6/1
3/9 19:13 三陸沖 M4.7/1
3/9 20:28 三陸沖 M5.2/2
3/9 21:03 三陸沖 M4.6/1
3/9 23:24 三陸沖 M4.6/1
3/10 1:58 美濃中西部 M3.3/1
3/10 1:59 三陸沖 M4.7/1
3/10 3:16 三陸沖 M6.2/3
3/10 3:45 三陸沖 M6.1/3
3/10 6:01 三陸沖 M4.8/1
3/10 6:22 --- ---/4
3/10 6:24 三陸沖 M6.6/4
3/10 8:37 三陸沖 M5.1/2
3/10 8:58 三陸沖 M4.8/1
3/10 10:20 三陸沖 M4.7/1
3/10 17:08 三陸沖 M5.7/2
3/10 17:59 三陸沖 M4.7/1
3/10 18:02 三陸沖 M5.2/1
3/10 20:21 三陸沖 M5.1/2
3/10 20:30 三陸沖 M4.5/1
3/11 1:55 三陸沖 M5.3/2
3/11 3:14 宮城県北部 M3.5/3
3/11 6:41 茨城県南部 M3.4/1
3/11 6:50 三陸沖 M4.5/1
3/11 7:44 三陸沖 M4.8/1
3/11 14:46 三陸沖 M7.9/7
3/11 15:06 三陸沖 M7.0/5-
3/11 15:15 茨城県沖 M7.4/6-

本震が起こるまで、三陸沖を震源に短い間隔で地震が発生している。
地震活動がそれだけ活発だったってことがわかる。

そして3月11日の震災当日。
7時44分にマグニチュード4.8、最大震度1の地震が発生した後、ピタッと地震が発生していない。
その約7時間後の3月11日14時46分、この表だとマグニチュード7.9になっているが、実際はM9.0の地震(東日本大震災)が発生している。
素人判断だけど、この約7時間の間にプレートが引っかかった状態で地震のエネルギーが蓄えられていったのかなって思った。
こうして地震活動が活発になってる時、ピタッと動きが止まったら要注意なのかな、なんてことも考えた。
震災以降、日本気象協会のホムペ見るのが日課になってる。


この一年、長かったのか短かったのか、感じ方は人それぞれ。
自分は振り返ると、もう一年経つのかって思う。

被災地では今も瓦礫の片付けが続いていて、復旧・復興はまだまだなのが現状だ。

実は先日、仕事で福岡県久留米市まで行ってきた。
久留米といえばチェッカーズの出身地。
いつか行ってみたいと思ってたので、その意味ではよかった。
それはさておき…

石巻郵便局長さんがはるばる久留米まで来て、自らの経験を元に講演を行った。
自宅、実家、職場と三カ所も被災した局長さん。
震災後の状況を聞いて胸が詰まった。

印象に残った言葉が
「絆の作り方を考えてほしい。人とうまくいかない時もあると思うが、いつか助けてくれるのは家族や地域の人。日頃から絆を深めておく事が大事」
「被災地を忘れないでほしい。被災地を見に来てほしい。一人ひとりに物語がある。被災地に来て、声をかけてほしい。いろいろと話を聞いてほしい。ずっと話題にし続けてほしい」
街や建物の復興もさることながら、心のケア、心の復興も大切だと思った。

そして忘れてはならないのが福島県。
地震、津波、原発と三重の被害を受けている。
それに加えて農作物を中心にした風評被害。
原発付近だけでなく、福島県全体があの日以来ずっと苦しみ続けている。

放射能は目には見えない。
政府からの情報は鵜呑みにしていいのか、疑問符は拭い去れない。
とりわけ子を持つ親御さんの胸中を考えるとなんともいえない。


『絶望のとなり』 やなせたかし
絶望のとなりに
だれかがそっと 腰かけた
絶望は となりのひとに聞いた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとはほほえんだ
「私の名前は希望です」

この詩結構いろんなときにふと思い出しては頑張ろうって思ったな。


―曇り空を見上げよう その向こう側には 青空がある―

学生の頃歌ってた曲で、サークルのずっと上の先輩のオリジナル曲の一節。
落ち込んだ時とかによく口ずさんでる。


そしてこの曲。



以前紹介したことあるけど、今一度紹介します。
合唱曲で有名な『涙をこえて』。

サビの歌詞を抜粋すると
♪涙をこえてゆこう なくした過去になくよりは
涙をこえてゆこう 輝くあした見つめて

めちゃイケでも流れてたっけ。
これもよく学生の頃歌ってたな。

震災から一年経っていろいろと思うところがあるけど、できることをやっていこうと思う。
自分自身、まだまだ甘い。
もっともっと頑張らなきゃな。