さてさて、5月も大詰めです
こないだ年が明けたと思ったら、もう半分くらいのトコまで来ちゃったんですねぇ
まったくもって光陰如矢という実感、ひとしおであります
こうゆうコトを感じる時、何ら何事を為すコトもなくただ無為のうちに時を過ごしてしまう罪悪感というヤツは、何事に際してもきわめて鈍感なはずのワタシのココロすら、チクチクと刺激してきたりします
もしもソレがなかったら、とっくに自己嫌悪で自殺しちゃってるかも知れないくらいの自堕落さが、現在までワタシを生き永らえさせた、と言っても過言ではありませんw
こんな中年にならないように、若者は自己実現に向けて日々の自己研鑽に励みませうね
「こんな中年にだけはなっちゃダメだょ」という意味での、悪しき判例を具体的に明示するコトによって、輝かしい未来ある若者たちへの警句となる以外、こうゆう中年は使い道がないのではないか…
ワレワレ中年一味が、そんな反面教師として若者たちのお役に立てたとしたら、それはとっても嬉しいなって♪(再)
てなワケで、今回の想い出づくりは関が原
最初の試練は「夏草の試練」、お相手は長宗我部盛親です
土佐の出来人・長宗我部元親の四男坊ですね
元親から家督を引き継いだ直後、まだ中央政界の右も左も良く解っていないような状況下で関ヶ原の合戦が起こるのですケド、そんな中で盛親は、東軍に味方すべく使者を奔らせていました
その使者が家康のもとに辿り着く前に捕縛されてしまい、やむなく西軍に与するコトになってしまったといういきさつがあるのですケド、結果として西軍は敗退
長宗我部家は取り潰しの憂き目を見、土佐には山内一豊が進駐してきます
そう考えると、この時の使者が捕縛されていなければ、東軍・長宗我部家が実現していたかもしれず、そうなれば御家取り潰しもなかったかもしれず、それゆえ山内家の進駐も起こらなかったかもしれず、であるならば270年に及ぶ郷士階級(一領具足)の鬱屈も軽減したかもしれず、結果として幕末期に無名のまま散ってゆかねばならなかった数多くの草莽の志士たちも生まれなかった… かもしれないなどという、歴史における「if」をやたらと妄想させてくれます
まぁ、ワタシ個人としては盛親よりも元親と長男・信親あたりがお好みなのですケド、いまのところ元親・信親はゲームに登場していないので、今後に期待ですね
で、実際の攻略はこんなカンジでありましたょ↓
こちらの構成はワタシ3+天川サン2+ぬこのオジサン2=武士・鎧・術忍+雅楽・仏門+暗殺・武芸です
敵は5体だからラクじゃね? てな気分で、割と気楽に始めてしまったのですケド、これがまた事故の連続でありましたょ
2・3の鍛冶が刀の至りしてから特攻してくるのですケド、これがキツかった;;
巫女の桜ちゃんなんか、2回もパンチラ撃沈してしまっています(んでも、援護射撃でずいぶんと危機的場面を救ってくれました)
1・4を極んだ鍛冶で受けて、2・3は武士の滅却で受けるというのが理想だったかも知れないですね
一時は3キャラ沈んでしまってるのですケド、ソコからなんとか立て直せたのが評価点かな
これまでは、2キャラ沈んだらほぼ壊滅でしたから、それからすればかなりの進歩でアリマスるょ
見ているだけだと、イライラするだけかもしれませんケド、やってる本人達はハラハラしながら手に汗握だったのです
そうゆう意味では、こうゆう事故も想い出づくりのための良いダシとなったのかもしれないですね
やってる時は、敵の名前すら判読してる余裕もなかったですケド、あとで動画を見直してみると新たな発見
なんと敵方・2は桑名弥次兵衛サンじゃないですか
弥次兵衛は不憫な家臣だったのです
関が原で敗戦し、御家取り潰しの憂き目を見た長宗我部家の家臣たちはそれぞれの今後を生きねばなりませんでした
盛親の傅子(めのとご・乳兄弟みたいなもの)として育ち、盛親と非常に近しい存在だったハズの弥次兵衛サンも東軍・藤堂家に仕官し、糊口を凌ぎます
十数年後に勃発した大阪夏の陣において、藤堂家は旧主・盛親が指揮する長宗我部家と正面衝突
弥次兵衛サンは藤堂家の先鋒を務めますが、かつての主君と槍を交わすのに忍びず、かといって現在の主家に対する不義も働けず、敵軍・長宗我部陣に単騎突入
周囲に殺到してきた敵兵を前に、弥次兵衛サンは槍も取らず無抵抗のまま討たれたと伝えられます
この時に際しての弥次兵衛サンのコトバに、こんなのが遺されているそうです↓
「長宗我部家に受けた恩には、関ヶ原で命を捨てて戦うことで報いることが出来たと思う。だが、藤堂家には世話になりながらも何も報いていない。今回の戦では旧主の恩に報いたいとは思わない。浪人をしていたなら大坂に馳せ参じたであろうが、新主を見捨てては義とはいえまい」
「侍は二君に仕えず」とは言いますケド、生き永らえるためとは言え、不本意ながら二君に仕えてしまったが故に、その両者に義理立てせざるをえなかった… それが桑名弥次兵衛というオトコだったのでしょう
そうゆう立場に置かれた時、口端に曖昧な笑みを浮かべてうやむやにしてしまうのが昨今の風潮だとすれば、己の抱えた二律背反を己の生命で贖って相殺してしまったのが弥次兵衛サン
そんな、常人の為し難いコトを為したが故に、400年を過ぎた現在でも、その生きざま・死にざまを覚えていてくれるヒトがいるんでしょうね
つまりは非日常… ロマンスなのです
普通の感覚ではツッパリきれない状況下にあって、それでもなおツッパリを通す… という、極めて非合理的な、極めてアタマの悪い、己の美意識に殉じるという意味では極めてナルシスティックな、そうゆう人物であるが故に為し得たロマンスです
そんな弥次兵衛サンとて、その悲喜劇的な最期を知っていれば、敢えて二君には仕えなかったコトでしょう
そう考えると、漫然と日夜オンラインゲームに興じているワタシにも、何かの拍子に突如そんな場面に置かれてしまう時がくるかも知れません
コトに臨んで美的であろうとする心は、往々にして非合理的な行動を生みます
日ごろ合理的であるコトや論理的であるコトを声高に論じているワタシは、果たしてその最期まで合理的で在り続けられるでしょうか
あるいは突如として心変わりし、美的な最期のために足掻いたりするのでしょうか
己自身のコトでありながら、なかなかに不可解にして不可思議な論題であるなぁと、やがて訪れるであろう己の生命のその顛末を夢想するのでありました
そんな風に己の末期を想定してみるコトが多くなったのは、つまるところワタシも、「それなりの歳月を生きてしまったのだ」というコトなのでしょうねぇ…
新装版 戦雲の夢 (講談社文庫)/司馬 遼太郎

¥770
Amazon.co.jp
こないだ年が明けたと思ったら、もう半分くらいのトコまで来ちゃったんですねぇ
まったくもって光陰如矢という実感、ひとしおであります
こうゆうコトを感じる時、何ら何事を為すコトもなくただ無為のうちに時を過ごしてしまう罪悪感というヤツは、何事に際してもきわめて鈍感なはずのワタシのココロすら、チクチクと刺激してきたりします
もしもソレがなかったら、とっくに自己嫌悪で自殺しちゃってるかも知れないくらいの自堕落さが、現在までワタシを生き永らえさせた、と言っても過言ではありませんw
こんな中年にならないように、若者は自己実現に向けて日々の自己研鑽に励みませうね
「こんな中年にだけはなっちゃダメだょ」という意味での、悪しき判例を具体的に明示するコトによって、輝かしい未来ある若者たちへの警句となる以外、こうゆう中年は使い道がないのではないか…
ワレワレ中年一味が、そんな反面教師として若者たちのお役に立てたとしたら、それはとっても嬉しいなって♪(再)
てなワケで、今回の想い出づくりは関が原
最初の試練は「夏草の試練」、お相手は長宗我部盛親です
土佐の出来人・長宗我部元親の四男坊ですね
元親から家督を引き継いだ直後、まだ中央政界の右も左も良く解っていないような状況下で関ヶ原の合戦が起こるのですケド、そんな中で盛親は、東軍に味方すべく使者を奔らせていました
その使者が家康のもとに辿り着く前に捕縛されてしまい、やむなく西軍に与するコトになってしまったといういきさつがあるのですケド、結果として西軍は敗退
長宗我部家は取り潰しの憂き目を見、土佐には山内一豊が進駐してきます
そう考えると、この時の使者が捕縛されていなければ、東軍・長宗我部家が実現していたかもしれず、そうなれば御家取り潰しもなかったかもしれず、それゆえ山内家の進駐も起こらなかったかもしれず、であるならば270年に及ぶ郷士階級(一領具足)の鬱屈も軽減したかもしれず、結果として幕末期に無名のまま散ってゆかねばならなかった数多くの草莽の志士たちも生まれなかった… かもしれないなどという、歴史における「if」をやたらと妄想させてくれます
まぁ、ワタシ個人としては盛親よりも元親と長男・信親あたりがお好みなのですケド、いまのところ元親・信親はゲームに登場していないので、今後に期待ですね
で、実際の攻略はこんなカンジでありましたょ↓
こちらの構成はワタシ3+天川サン2+ぬこのオジサン2=武士・鎧・術忍+雅楽・仏門+暗殺・武芸です
敵は5体だからラクじゃね? てな気分で、割と気楽に始めてしまったのですケド、これがまた事故の連続でありましたょ
2・3の鍛冶が刀の至りしてから特攻してくるのですケド、これがキツかった;;
巫女の桜ちゃんなんか、2回もパンチラ撃沈してしまっています(んでも、援護射撃でずいぶんと危機的場面を救ってくれました)
1・4を極んだ鍛冶で受けて、2・3は武士の滅却で受けるというのが理想だったかも知れないですね
一時は3キャラ沈んでしまってるのですケド、ソコからなんとか立て直せたのが評価点かな
これまでは、2キャラ沈んだらほぼ壊滅でしたから、それからすればかなりの進歩でアリマスるょ
見ているだけだと、イライラするだけかもしれませんケド、やってる本人達はハラハラしながら手に汗握だったのです
そうゆう意味では、こうゆう事故も想い出づくりのための良いダシとなったのかもしれないですね
やってる時は、敵の名前すら判読してる余裕もなかったですケド、あとで動画を見直してみると新たな発見
なんと敵方・2は桑名弥次兵衛サンじゃないですか
弥次兵衛は不憫な家臣だったのです
関が原で敗戦し、御家取り潰しの憂き目を見た長宗我部家の家臣たちはそれぞれの今後を生きねばなりませんでした
盛親の傅子(めのとご・乳兄弟みたいなもの)として育ち、盛親と非常に近しい存在だったハズの弥次兵衛サンも東軍・藤堂家に仕官し、糊口を凌ぎます
十数年後に勃発した大阪夏の陣において、藤堂家は旧主・盛親が指揮する長宗我部家と正面衝突
弥次兵衛サンは藤堂家の先鋒を務めますが、かつての主君と槍を交わすのに忍びず、かといって現在の主家に対する不義も働けず、敵軍・長宗我部陣に単騎突入
周囲に殺到してきた敵兵を前に、弥次兵衛サンは槍も取らず無抵抗のまま討たれたと伝えられます
この時に際しての弥次兵衛サンのコトバに、こんなのが遺されているそうです↓
「長宗我部家に受けた恩には、関ヶ原で命を捨てて戦うことで報いることが出来たと思う。だが、藤堂家には世話になりながらも何も報いていない。今回の戦では旧主の恩に報いたいとは思わない。浪人をしていたなら大坂に馳せ参じたであろうが、新主を見捨てては義とはいえまい」
「侍は二君に仕えず」とは言いますケド、生き永らえるためとは言え、不本意ながら二君に仕えてしまったが故に、その両者に義理立てせざるをえなかった… それが桑名弥次兵衛というオトコだったのでしょう
そうゆう立場に置かれた時、口端に曖昧な笑みを浮かべてうやむやにしてしまうのが昨今の風潮だとすれば、己の抱えた二律背反を己の生命で贖って相殺してしまったのが弥次兵衛サン
そんな、常人の為し難いコトを為したが故に、400年を過ぎた現在でも、その生きざま・死にざまを覚えていてくれるヒトがいるんでしょうね
つまりは非日常… ロマンスなのです
普通の感覚ではツッパリきれない状況下にあって、それでもなおツッパリを通す… という、極めて非合理的な、極めてアタマの悪い、己の美意識に殉じるという意味では極めてナルシスティックな、そうゆう人物であるが故に為し得たロマンスです
そんな弥次兵衛サンとて、その悲喜劇的な最期を知っていれば、敢えて二君には仕えなかったコトでしょう
そう考えると、漫然と日夜オンラインゲームに興じているワタシにも、何かの拍子に突如そんな場面に置かれてしまう時がくるかも知れません
コトに臨んで美的であろうとする心は、往々にして非合理的な行動を生みます
日ごろ合理的であるコトや論理的であるコトを声高に論じているワタシは、果たしてその最期まで合理的で在り続けられるでしょうか
あるいは突如として心変わりし、美的な最期のために足掻いたりするのでしょうか
己自身のコトでありながら、なかなかに不可解にして不可思議な論題であるなぁと、やがて訪れるであろう己の生命のその顛末を夢想するのでありました
そんな風に己の末期を想定してみるコトが多くなったのは、つまるところワタシも、「それなりの歳月を生きてしまったのだ」というコトなのでしょうねぇ…
新装版 戦雲の夢 (講談社文庫)/司馬 遼太郎

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