このゲーム、新星の章になってから特につまらなくなったというコトは、多くの方々が綴っておられます
んでもそれ以前の、いちいち便利になり過ぎてしまった「破天の章」実装辺りから、やがていつかこうなるであろうコトは薄々予感されていたのです
破天の章が実装される以前、このゲームには楽市もなければ早馬もありませんでした
まして、新キャラ育成の場としての隠れ里も、中級クエストなんてゆうのもありませんでした
でも、それでも充分に楽しかったし、時間と手間のかかる育成も、別に苦痛なコトではなかったのです
何故ならばソコには、仮想世界でありながらキチンとした社会が形成されていたからです
かつての、ヒトビトが集まりすぎて鯖がダウンしてしまったほどの稲葉山の賑わいを、現在に求めるコトなどもはや望むべくもありません
活気に溢れた売り子さんの呼び込みも、ダンジョン攻略募集の大声も、行き交うヒトビトが織り成す雑踏も、今ではすべてが失われてしまいました

あの頃は、あの場所にただ立っているだけで充分に楽しかった
Lv10くらいしかなかったのに、無理な背伸びをしてみたくて片田舎の雑賀を家出し、うわさに聞いた大都会「稲葉山」にやって来た当初、その繁華な活況ぶりにはただただ圧倒されたものでした
人いきれすら感じさせる雑踏の中をうろつきながら、居並ぶ売り子さんたちの商品を物色して廻るのは、まさしく醍醐味そのもの
仮想世界での出来事とはいえ、ぽっと出の田舎娘が、いきなり都会という巨大な壁に出会ってしまった無力感みたいなモノを痛感させられた様な気分… 似たような記憶をお持ちの方、きっと少なくないコトと推察します
戦闘に関しても、ヒトビトは各々の力量に応じたフィールドやダンジョンや合戦場に向けて、自分の脚で馳せ参じたものでした
目的地に到着する途上で、強力なNPCに遭遇して落命してしまうコトすらもほろ苦い想い出になったものです
炭山でおともだちとおしゃべりしながら炭を掘って、それを街で鍛冶サンに売っておこづかい稼ぐのだって楽しみのひとつだったなぁ
そんな、不便であるコトそれ自体が、一種の楽しさを生む土壌にすらなっていた時代でした
現行のシステムの致命的な点は、MMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)であるとうたっていながら、そこに参加しているニンゲンを「機能」とか「駒」としてしか捉えない風潮によって醸成されていると言えるでしょう
特に、争覇の章後半で実装された「一門システム」なんぞは、運営側からの「作為的なニンゲンの誘導」が目論まれているのが明らかにミエミエで、実装の予告段階から運営側の底の浅さがプレイヤーから見透かされてるほどでした
当時の寄合所でのコメントを、ちょっと↓に列挙してみましょうか
◎集団会話や固定徒党を持ってる人達だけじゃないんだけどな~野良メインの人はまたまたやりにくくなりそうです。プレイヤーを枠で縛って支援や攻略をさせあって運営の手間を減らす魂胆ですね。野良が好きな人が取り残されても見ない振りですよ、あ~愚痴愚痴
◎たしかに自由度低くなりそうだけど、アップグレードする前に体験できるんだから、実装されて合わなそうだったら、これを機にやめればいいんでね?てかそういう人が多そうだけどねw
◎まぁ報酬がどの程度の物かだねぇ、一門必需の世の中になれば終わりにすれば良い。
◎決まった人間とだけ仲良くなって残りの人間とけんかしようという素晴らしい一門!固定徒党まんせ~!w
◎世のなかには野良専門という方がいるので取り残されるということは少ないと思うが、全体的にプレイヤー人数少ない所が過疎りそうですね
◎オフィシャルサイトの掲示板で一門見直しか廃止の要望論が出てます。賛成の人も反対の人も「機能>要望」を使って運営に意見を出したほうがいい。今まで一度も要望送ったこと無い人でもやったほうがいい。もう本気でここが信長が過疎で終わるか否かの瀬戸際に来てると思います。
特に1番目と4番目のコメントなんか、モノの良く見えていらっしゃる方の言ですよねぇ
破天の章あたりまではギリギリ維持されていたモノも、一門システムの実装によって一気に瓦解してしまったというカンジで、往時の稲葉山の賑わいを懐かしむ古老にとっては隔世の感もひとしおでアリマス
まぁ、そんな風にブツブツと文句を言いながら、それでも毎日4アカでポイント狩りに勤しんでいるワタシなのですケド、今日は久しぶりに楽しく狩れましたょ
だって、昨日みるくはうすに還って来てくださったぬこちゃんと、ぬこちゃんと共に参入くださった飛燕サンを加えての狩りでしたから♪
単調な作業である「狩り」こそが、ムダ話に花を咲かせるための大事な機会
かつてのおともだちというのは、往々にしてそうゆう育成のための狩りで偶然に出逢うトコロから自然発生するものでした
それが今じゃ、まずは一門ありきですもんね
一門所属してないと何をやるにも一々やりにくくて、困っちゃうような仕組みに仕上げてしまってるトコロが運営の無能の露呈なのです
天川サンがログインしてない平日なんて、基本的にログイン~ログアウトまでほぼ無言で作業するだけなんですょ、ワタシ ヾ(`Д´)ノ
そんなMMORPGなんておかしいでしょ?
なんのためのネトゲなんだょって、さすがにツッコミ入れたくなっちゃうってもんです
名作「僧兵劇場」の作者・萌黄雑賀民のばるとさんも、一年前のブログでこのような考証をなさっていらっしゃいます↓
「なぜ人々はMMOをひとりでプレイするのか?」
こんなじゃなかったのになぁ、このゲーム…
特化の縛りくらいはあったにしても、レベルやスペックでの縛りが今みたいにギチギチでもなかったし、効率至上主義でもなかった
そこに存在するヒトは、けっして「駒」や「機能」という側面だけで存在しているワケじゃなかった
誰かと出逢い、語り、過ごし、別れるという肉感を感じさせてくれる世界が、ソコには確かに実在していて、ヒトとヒトとがちゃんと「関わり合える」… そんなゲームだったのです
でもまぁ、なんだかんだと文句を言ったところで、そうゆうシステムの上に乗っかり、そんなシステムに迎合し、結果としてそうゆうシステムを存続させてしまっているのは、実はワタシの様な存在なのかもしれないんですょね
それはリアルな社会とおんなじです
現実世界の不具合や不実や非合理をあげつらい、文句を言い、わめき散らしたところで、そんなのは「ないものねだりして地面に寝転がり足をバタつかせて泣きわめくガキ」と一緒なのです
攻殻機動隊の草薙素子ちゃんも、こんな風に言ってるでしょ↓
むしろ、そうゆう「侭にならない世界」というモノを楽しむために必要なのは、不具合や非合理すらをも逆手に取って「逆境として楽しむ心意気」なのかもしれません
そんな意味では、2つ前の記事にアゲた「6キャラで鬼門」なんてゆうのは、その端的なモノかもしれませんね
別にやってみたところで、達成したところで、だぁれも褒めちゃくれないし、さほどの旨味があるワケでもない
それでも、自分自身でテーマを設定し、そのテーマをクリアするための工夫・苦心・努力に勤しむトコにこそ真の醍醐味があるのではないでしょうか
運営に鼻先をひっつかまれて、いいように引きずり回されてるというだけじゃ、それはただのバカってもんです
運営のまいた美味しいエサに踊らされ、美味しいエサ場にしか興味を示さなくなってしまったプレイヤーが、少しずつでも正気を取り戻し、各々のテーマに基づいて存在できる社会を自分たちのチカラで再構築していきたいモノでありますね
たとえば隠れ里でひたすらキャラを育成し続けるのもそのひとつの在り方でしょう
あるいはソロで四神をクリアしてみるなんてゆうのもひとつの在り方でしょう
そんなオレ流のヒトビトが、少しずつ他のオレ流たちと繋がっていける社会こそが、ふところ深いおもしろみのある社会だと思えてなりません
先日開催された「鳳凰の章」プレゼンで、渡辺Pが操作する鎧鍛冶の名前は「自由度無限大」だったケド、そのネーミングは現行システムに対する自虐的な皮肉ってカンジで、なかなかに嗤わせてくれました
せめて3月実装の新章では、真に自由度無限大な楽しみ方を尊重した設計・運営がなされますように…☆
まぁ、きっと無理なんだろうケドなぁw
んでもそれ以前の、いちいち便利になり過ぎてしまった「破天の章」実装辺りから、やがていつかこうなるであろうコトは薄々予感されていたのです
破天の章が実装される以前、このゲームには楽市もなければ早馬もありませんでした
まして、新キャラ育成の場としての隠れ里も、中級クエストなんてゆうのもありませんでした
でも、それでも充分に楽しかったし、時間と手間のかかる育成も、別に苦痛なコトではなかったのです
何故ならばソコには、仮想世界でありながらキチンとした社会が形成されていたからです
かつての、ヒトビトが集まりすぎて鯖がダウンしてしまったほどの稲葉山の賑わいを、現在に求めるコトなどもはや望むべくもありません
活気に溢れた売り子さんの呼び込みも、ダンジョン攻略募集の大声も、行き交うヒトビトが織り成す雑踏も、今ではすべてが失われてしまいました

あの頃は、あの場所にただ立っているだけで充分に楽しかった
Lv10くらいしかなかったのに、無理な背伸びをしてみたくて片田舎の雑賀を家出し、うわさに聞いた大都会「稲葉山」にやって来た当初、その繁華な活況ぶりにはただただ圧倒されたものでした
人いきれすら感じさせる雑踏の中をうろつきながら、居並ぶ売り子さんたちの商品を物色して廻るのは、まさしく醍醐味そのもの
仮想世界での出来事とはいえ、ぽっと出の田舎娘が、いきなり都会という巨大な壁に出会ってしまった無力感みたいなモノを痛感させられた様な気分… 似たような記憶をお持ちの方、きっと少なくないコトと推察します
戦闘に関しても、ヒトビトは各々の力量に応じたフィールドやダンジョンや合戦場に向けて、自分の脚で馳せ参じたものでした
目的地に到着する途上で、強力なNPCに遭遇して落命してしまうコトすらもほろ苦い想い出になったものです
炭山でおともだちとおしゃべりしながら炭を掘って、それを街で鍛冶サンに売っておこづかい稼ぐのだって楽しみのひとつだったなぁ
そんな、不便であるコトそれ自体が、一種の楽しさを生む土壌にすらなっていた時代でした
現行のシステムの致命的な点は、MMORPG(多人数同時参加型オンラインRPG)であるとうたっていながら、そこに参加しているニンゲンを「機能」とか「駒」としてしか捉えない風潮によって醸成されていると言えるでしょう
特に、争覇の章後半で実装された「一門システム」なんぞは、運営側からの「作為的なニンゲンの誘導」が目論まれているのが明らかにミエミエで、実装の予告段階から運営側の底の浅さがプレイヤーから見透かされてるほどでした
当時の寄合所でのコメントを、ちょっと↓に列挙してみましょうか
◎集団会話や固定徒党を持ってる人達だけじゃないんだけどな~野良メインの人はまたまたやりにくくなりそうです。プレイヤーを枠で縛って支援や攻略をさせあって運営の手間を減らす魂胆ですね。野良が好きな人が取り残されても見ない振りですよ、あ~愚痴愚痴
◎たしかに自由度低くなりそうだけど、アップグレードする前に体験できるんだから、実装されて合わなそうだったら、これを機にやめればいいんでね?てかそういう人が多そうだけどねw
◎まぁ報酬がどの程度の物かだねぇ、一門必需の世の中になれば終わりにすれば良い。
◎決まった人間とだけ仲良くなって残りの人間とけんかしようという素晴らしい一門!固定徒党まんせ~!w
◎世のなかには野良専門という方がいるので取り残されるということは少ないと思うが、全体的にプレイヤー人数少ない所が過疎りそうですね
◎オフィシャルサイトの掲示板で一門見直しか廃止の要望論が出てます。賛成の人も反対の人も「機能>要望」を使って運営に意見を出したほうがいい。今まで一度も要望送ったこと無い人でもやったほうがいい。もう本気でここが信長が過疎で終わるか否かの瀬戸際に来てると思います。
特に1番目と4番目のコメントなんか、モノの良く見えていらっしゃる方の言ですよねぇ
破天の章あたりまではギリギリ維持されていたモノも、一門システムの実装によって一気に瓦解してしまったというカンジで、往時の稲葉山の賑わいを懐かしむ古老にとっては隔世の感もひとしおでアリマス
まぁ、そんな風にブツブツと文句を言いながら、それでも毎日4アカでポイント狩りに勤しんでいるワタシなのですケド、今日は久しぶりに楽しく狩れましたょ
だって、昨日みるくはうすに還って来てくださったぬこちゃんと、ぬこちゃんと共に参入くださった飛燕サンを加えての狩りでしたから♪
単調な作業である「狩り」こそが、ムダ話に花を咲かせるための大事な機会
かつてのおともだちというのは、往々にしてそうゆう育成のための狩りで偶然に出逢うトコロから自然発生するものでした
それが今じゃ、まずは一門ありきですもんね
一門所属してないと何をやるにも一々やりにくくて、困っちゃうような仕組みに仕上げてしまってるトコロが運営の無能の露呈なのです
天川サンがログインしてない平日なんて、基本的にログイン~ログアウトまでほぼ無言で作業するだけなんですょ、ワタシ ヾ(`Д´)ノ
そんなMMORPGなんておかしいでしょ?
なんのためのネトゲなんだょって、さすがにツッコミ入れたくなっちゃうってもんです
名作「僧兵劇場」の作者・萌黄雑賀民のばるとさんも、一年前のブログでこのような考証をなさっていらっしゃいます↓
「なぜ人々はMMOをひとりでプレイするのか?」
こんなじゃなかったのになぁ、このゲーム…
特化の縛りくらいはあったにしても、レベルやスペックでの縛りが今みたいにギチギチでもなかったし、効率至上主義でもなかった
そこに存在するヒトは、けっして「駒」や「機能」という側面だけで存在しているワケじゃなかった
誰かと出逢い、語り、過ごし、別れるという肉感を感じさせてくれる世界が、ソコには確かに実在していて、ヒトとヒトとがちゃんと「関わり合える」… そんなゲームだったのです
でもまぁ、なんだかんだと文句を言ったところで、そうゆうシステムの上に乗っかり、そんなシステムに迎合し、結果としてそうゆうシステムを存続させてしまっているのは、実はワタシの様な存在なのかもしれないんですょね
それはリアルな社会とおんなじです
現実世界の不具合や不実や非合理をあげつらい、文句を言い、わめき散らしたところで、そんなのは「ないものねだりして地面に寝転がり足をバタつかせて泣きわめくガキ」と一緒なのです
攻殻機動隊の草薙素子ちゃんも、こんな風に言ってるでしょ↓
むしろ、そうゆう「侭にならない世界」というモノを楽しむために必要なのは、不具合や非合理すらをも逆手に取って「逆境として楽しむ心意気」なのかもしれません
そんな意味では、2つ前の記事にアゲた「6キャラで鬼門」なんてゆうのは、その端的なモノかもしれませんね
別にやってみたところで、達成したところで、だぁれも褒めちゃくれないし、さほどの旨味があるワケでもない
それでも、自分自身でテーマを設定し、そのテーマをクリアするための工夫・苦心・努力に勤しむトコにこそ真の醍醐味があるのではないでしょうか
運営に鼻先をひっつかまれて、いいように引きずり回されてるというだけじゃ、それはただのバカってもんです
運営のまいた美味しいエサに踊らされ、美味しいエサ場にしか興味を示さなくなってしまったプレイヤーが、少しずつでも正気を取り戻し、各々のテーマに基づいて存在できる社会を自分たちのチカラで再構築していきたいモノでありますね
たとえば隠れ里でひたすらキャラを育成し続けるのもそのひとつの在り方でしょう
あるいはソロで四神をクリアしてみるなんてゆうのもひとつの在り方でしょう
そんなオレ流のヒトビトが、少しずつ他のオレ流たちと繋がっていける社会こそが、ふところ深いおもしろみのある社会だと思えてなりません
先日開催された「鳳凰の章」プレゼンで、渡辺Pが操作する鎧鍛冶の名前は「自由度無限大」だったケド、そのネーミングは現行システムに対する自虐的な皮肉ってカンジで、なかなかに嗤わせてくれました
せめて3月実装の新章では、真に自由度無限大な楽しみ方を尊重した設計・運営がなされますように…☆
まぁ、きっと無理なんだろうケドなぁw