使命--
 
---「命を使う」と書く---
 
 

「自分に与えられた務め、

それを果たす任務」

と、辞書にはある。

 

 

人は誰でも

生きる意味を

探し続けている。

 

 

 

自分にとって、

」この時に

」を受けた意味は?

 

 

 

そして考える。

 

 

 

「自分の使命って、ナンだろう……」

 

 

 

無意識に答えを求めて

さまよい続ける。

 

 

 

たとえ、

」、

自分で自覚していなくても。

 

 

 

うまくコトが運んでいる時は

オクビにも顔を出さない。

 

 

 

ひとたび、思うようにならないと

トタンにこの問題が

首をもたげてくる。

 

 

 

ーワタシは、

どう生きていけばいいのだろうー

 

 

 

ーこのままでいいのだろうかー

 

 

 

もはや、

どうしたいのかすら

わからなくなる。

 

 

 

まるで、

濃い霧の中に

一人でポツンと

置き去りにされた気分だ。

 

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この状態では、

やみくもに歩き回っても

より深い霧の中で

迷い続けることになる。

 

 

 

まるで、

漆黒の暗闇を

何の灯りも持たずに

動き回るようなものだ。

 

 

 

結果は明らかだ。

目の前の障害物にさえ気付けず、

ハデに転んで

ケガをするのがオチだ。

 

 

 

この場合の解決方法は、

2種類ある。

 

 

1、霧が晴れるまでジッと動かずひたすら待つ

 

風が吹いて、霧を流してくれるのを待つのだ。

 

 

2、足元を照らす灯りを手に入れる

 

たとえ暗闇でも、灯りがあれば、

少なくとも障害物をよけることができる。

 

 

 

こんな簡単なことも、

人は、

その状況に陥ると判断出来なくなる。

 

 

おろかで、

常に誤作動を起こす、

されど、

愛すべき生き物なのだ。

 

 

時間をかければ、

なにかしら方法を見いだせる。

 

 

けれど、

 

 

人は、焦る。

当然だ。

 

 

風がいつ吹くかなんて、

わからないからだ。

 

そもそも、風が吹く保証なんてない。

 

 

ひょっとしたら、

自分の「」が尽きた「」に

吹くかもしれないからだ。

 

 

 

そんな時、

灯り」を手に入れる方法を

知っている人は、

より、早く

自分の状況を変えていくことができる。

 

 

 

人によっては、

誰かのアドバイスだったり、

読んだ本の一節だったり。

映画からもたらされる場合などある。

 

 

どれも、自分の「」からもたらされる。

 

 

自分一人の考えなど、

知れているからだ。

 

 

ここで、

素直に「」からもたらされた情報に

耳を傾けるか、拒否するかで、

せっかく手に入れた「宝刀」を

生かせるかどうか決まる。

 

 

 

そして、

本来の自分の「使命」を

自覚できる人は、

ぶれない。

 

 

 

それができる人は

ごくわずかだ

 

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問題は、

使命」をいうものを

自分に落とし込んだ「」だ。

 

 

結局、

与えられた「生」を、

「命」を、

どう使うからだからだ。

 

 

 

「あなたはどう生きますか?」

 

 

「あなたは、自分の命を

どう使いますか?」

 

 

 

今世に「生」を受けて、

宇宙の広大な時間の流れから見たら、

それはそれは、瞬くほど、短い時間だけれど、

 

それでも、

「生」を受けた、

この世にを受けたということは、

かけがえなく、大きな意味がある。

 

 

誰しも、

その人にしか表せない輝きを

放つために

この世で 

「今」この時に

生を受けることを選んだ。

 

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「あなたは、どう命を刻みたいですか?」

 

「あなたは、いのちをどう扱いたいですか?」

 

 

 

アカシックフォーチュンテラーとして、

都内でセッションをしています。

 

 

 

あなたの魂の解放のお手伝いを

させていただきます。

 

最後までお付き合いいただき、

ありがとうございます。

Thank your time ,sincerely.

With Love.