
母のことを語る。
母は昭和16年生まれ。もうすぐ、83才。
母の父は硫黄島で玉砕。私そっくりの写真がある。
子ども5人を女手ひとりで祖母は育てた。背中にかごを背負って茨城県の霞ヶ浦のエビの卵のマコや、小魚の甘露煮などを行商で売って生計を立てていた。
したがって、兄弟みんな中学を卒業して、都会に働きに出ていった。
15で、お姉ちゃんを頼って東京に出た母は、最初お金持ちの家のお手伝いとして、住み込みで、母の姉と働いた。
ある日うっかり、その家の赤ちゃんをお風呂に入れるのに沈めてしまい、しこたま奥様に怒られ、その夜、逃げ出したと言っていた。
そして、その後のことはあまり聞かなかったが、横浜のガラス瓶の工場で、働いてる頃、毎日コッペパンと牛乳、コッペパンと牛乳。やんになっちゃったんだよ。という理由で、紹介された父と結婚した。電話が、しつこかったらしい。
話変わるが、電話しつこい男ってどうよ?
でも、男が、動かなきゃ始まんないわな。色恋って。
最近、息子も、片思いの子にしつこくして、嫌われたんだけど、上手くいけば正解で、上手くいかなきゃ、失敗という、恋愛って、よくわかんないわよね。
そして、3年位してから、私生まれて、1年10ヶ月空いて妹が生まれた。私の前も何人か堕ろしてて、妹も堕ろすつもりで病院に言ったら怒られたらしい。だから、生まれた。
戦後のドタバタ、生き抜いてきたんだよね。誰も助けてくれない15で、煙草すって、コッペパンと牛乳で。
同じく戦争で父親死んで家出された、お父さんと一緒になってさ。
戦争のせいだよね。あの世代の女子どもは犠牲者だ。
その世代も強い人は強いし、弱い人は弱いけど、明治生まれの祖母も強かった。
母方は強い。父方は2代、自死だ。
全く、ろくな死に方してない。
そんな強い母だが、私が物心ついた頃にはイカレてた。強迫神経症で、水道代が半端ないほどかかった。水道局から漏水してますよ、と電話がかかってくるほどだった。
いえ、漏水してません。手洗ってんだよ。とは言わないで、黙って聞いてた。
病院も何回も入院した。ハンニバルのレクター博士みたいに拘束服着せられて。
でも、死にたいって一度も言った事がない。凄いよ。私なら、諦めるね。人間。
今も、何度ももう、危ないを乗り越えて
管だらけだったのが、全部取れて普通に喋るし、モリモリ口から食べる。そして、私の在宅介護を断ってプロが良い。一日も長く生きたい。食べたい。と言っている。
入院先にこっそり持ってくケーキをうめ〜って食べる。
凄いな。お母さんって。
この1年お母さんが死ぬ生きるの間、4人先に死んだよ。負けた。お母さん、勝ったって言ってる。
確かにお母さんは勝ったと思うぜ。
お母さんは勝った!
そう!お母さんは勝ったと思うよ。
モンブランこっそり持ってくから待ってろよ。