父の自死から13年。
息子のことを語ろう。
あの日は息子の運動会の日。朝、父が首を吊ったのだ。私は喪主として、無我夢中だった。葬式が終わり、しばらくして、学校から電話があった。「○○くん、最近様子がおかしいのですが何かあったんですか?
何かイライラしてるようで話もしなくなりまして。」と先生から連絡があった。
父親のことを話すと先生は注意して見ておきますね。お母さんも大変でしょうから無理なさらないようにとの事。
私はブラック企業で、忙しく働く事で悲しみを誤魔化し息子の事は放置していた。彼はゲームに、夢中だった。
それから仕事に逃げて忙しく過ごし体をこわし、私はブラック企業を辞めた。 16年務めたブラック企業で介護と子育ての両立 が何とか出来たのは、お父さんのお陰だった。お父さんが自殺した後は両立は肉体的にもきつかった。ただ、ブラック企業は仕事の面白さや、GTR、アルファスパイダーも与えてくれた。楽しかった。
そうだ。そこでパパと出会ったのだ。
介護で諦めてた結婚が出来たのだ!
そして子どもを産めたのだ。なんか不思議。女なんだ私の体は?!って。思ったよ笑。
そして。今日も「ママ。冷蔵庫のプリン🍮食べていいですか?」と外国人のパパが聞く。「いいですよ。」と私が答えるのだ。
そして ゆっくり専業主婦をした後公益の仕事についた。そこで放置してた息子問題。赤ちゃんの頃から少し変わってた。ハーフで、可愛い顔してるから女の子が優しくしてくれるし、人は寄ってくるのに心を開かない。自閉症気味なのかな?なんて思う時もあった。でも忙しくて正面から向き合わなかった。子供より自分より母親が一番手間がかかったのだ。出産の時さえ、「○○子、私のご飯は?」と病院で言ってきたお母さん笑・・・。
さて。その息子。中学に上がりある事件を起こした。先生を押したのだ。その拍子に後ろに倒れて頭を打ったとかで、病院に検査しただ。警察に言うだ、先生が感情的になり大騒ぎしたのだ。息子になんでそんな事したのか理由は言わない。後から半年以上前から外人だから日本語分からないんだろうとなじられてきてその日は顔が近くて唾が、顔に飛んだから思わず押したとの事。
因みに50代位の女の先生だ。
そして、私は土下座し4万円病院代を払い、何とかその女の先生をなだめた。
そして担任の男の先生が「○○は悪くない。でもお母さん、このを機にアイツを更生させましょう!」。私もそれに乗った。
そして、3日も寝ずにゲーム漬けの生活を辞めさせた。お父さんが、死んでから毎日ゲームやりたい放題だった。辛そうだったが、自分は大変なことをしてしまったんだ。犯罪者なんだ、と思い込んでいるから素直にゲーム機を回収出来た。
実は息子には保母さんのようなまるで母親のようなガールフレンドがいた。小学生の頃から宿題を、やらない息子に勉強を教えたり、殻に籠って斜に構える息子にみんなで、合唱の練習をしよう!と誘ったり、
色々面倒をみてくれたのだ。彼女が骨肉腫になったのは小学6年の秋から冬位、中学は数回しかこれなかった。
息子の、事件の時はちようど、仮退院で何日か、学校に通えてた時だった。「危ないよ~。もう。あんなことしては駄目だよ。」
って諭してくれた。
「ママ。普通の子じゃないんだよ。貴族みたいに上品なんだ。凄く大人なんだ。」っていってたな。
担任の先生は彼女の容態を知ってるらしく彼女の為に頑張れ!って息子を一生懸命信じてくれたな。
私はまず病院で調べてから勉強させて見るって先生に言って、はじめて、3時間もかかる検査3回うけて、IQとか出るやつも色々調べた。。「うちの子やっぱり知恵遅れですか?先生。」「お母さん○○くん大丈夫だよ。むしろIQ高め。でもゆっくり育ててあげてね~。」って先生。
よし、じゃ、勉強GO!だ!っつぅ事で専業主婦になって暇なんでエネルギーを子育てに注ぎ込んだ。
そんな頃彼女が右脚を切断することになり
入院前手作りの、バレンタインの、ブラウンケーキ自分の足で届けてくれました。お母さんが肩を貸して。お父さんが、車からじっと見守って。ゆっくりゆっくり玄関の階段登って渡してくれました。
そして中2の5月車椅子で運動会を見に来てくれて写真をみんなで撮って最期になりめした。7月15日朝、体育館にあつまるよう放送がありました。校長先生より「○○さんが今日0:36分亡くなりました。」と言ったそうです。息子は頭が真っ白になって、その後のことは何も覚えてない、と雨の中何も持たずに帰ってきたのだった。
昼間にビンボンがなって出たら息子が立っていて「たしか、○○○○さんが亡くなったって言ったんだけど。耳が聴こえ無かったんだよな・・・」「お前。彼女のこと重い病気だとまさかわからなかったのか?」
「だって膝に水が、溜まったって言うから」。「膝に水が溜まって切断するかよー。 」
兎に角。信じられないので近所だから見に行ってくるとまた、出ていった。
そして。風邪ひいて2日寝込んでお通夜葬儀終え、机にすわるようになった。7時間ガ、12時間、マックス20時間勉強した時は帯状疱疹が出た。14時間位が脳が熱くならなくてちょうどいいねって結論にたっした。
偏差値は中学まではそれでも50とかタマニ60位だった。小学からやり直した,
英語はみんな中学からだから、一番伸びた。偏差値32から高校一年で86を超えた。そして、高校2の時、初めて言ったのだ。
あの日、お父さんの死んだ日、
運動会の準備で大騒ぎのママを1階のじいじの部屋のドアに寄りかかって待ってた時ドアが開いて、
じいじがてるてる坊主みたいにぶら下がってるのを。
そして、静かにドアを閉めたと。8年経っていた。
彼女も亡くなって8年経った。
あの日、じいじの時よりも何よりもショックだった。そして、自分の中で何かが変わった。そう息子は卒業文集に書いてあった。
その後、希望の大学に行き今は四年生来年5年生だ。留年は来年仲間にバレるだろつ。バキバキ童貞だ。
バイト代で、先日子宮頸がんのワクチンを打ったらしい。準備万端だ。
これが彼に起きた人体実験だ。
自分で決める。
じいじ!成仏しいや~!

初めての喪主息子編