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フォトグラフィカという写真雑誌でホンマタカシの特集をやっていた。
ちょうど我々の世代であるが、写真界では若手らしい。
写真家は、上がつかえているので、いつまでたっても若手なのかもしれない。
ホンマタカシさんは、木村伊兵衛賞をとったカメラマンという印象があるが、実際は良く知らなかった。
雑誌を読んでまず驚いたのが、ライトパブリシティの出身であったことである。
我々の同世代で、ライトの出身がいたのかという驚きである。もちろんライトは今も存在する広告制作会社であるからカメラマンも沢山いるだろが、篠山さんのような超売れっ子のカメラマンは、我々の世代ではでてこないのではと思っていた。
ホンマさんならなんとか最後の広告写真家あがりの流行作家と呼べそうである。
次に作品の入稿をネガプリントでしていた話である。
広告写真にせよ、作品集や写真雑誌にネガカラーのプリントを使うのは、素人がすることである。
プロならポジで、シビアな露出で色を出し切ってなかったら編集者に相手にされない。このポジの再現幅の狭さがプロの料理の見せ所で、おのずからハイライトからシャドーのどこかを犠牲にして、派手に見せるのが広告の世界であった。そのせいで、デジタル写真は容易に広告写真に受け入れられたという。
しかし、1980年代のアメリカでは、ニューカラーワークというカラープリントが流行っており、ホンマさんもその流れをを組む写真を撮ってきたが、日本でそれが認められるのは、ほんの10年前ぐらいの話であることに2度ビックした。
もしこのネガカラーでプリントという作品が日本の写真界で認められなかったら、ヒロミックスを初めとするポップな若手女性写真は登場しなかっただろう。なぜなら彼女たちは、露出なんか合わせられないはずである。あのネガカラーのアバウトな表現が彼女達の空気感を伝えてくれるのに、ポジの透明感では現在の私写真的陰湿さは無理だったのだろう。
そういう意味で、ホンマさんたちが繰り広げた日本版ニューカラーワークは、新しい日本の写真界を切り開いたのかもしれない。
最後に驚いたのは、使用機材のところで、リンホフを80%仕事に使っていると書いていて、それが2代目であるとかかれていたことである。すると1代目がつぶれて、2代目を買ったことになる。
わたしもリンホフ使いの人は多数見てきたが、リンホフを使い潰して買い換えた人を生まれて初めて見た。多分世界で一番シャッターを切ってきた白川さんでもリンホフがいかれてので買い換えたなんてないのではないかと思う。
いったいどうしたらリンホフなんか使い潰したのだろうか、考えられるのは、波の撮影をしていて、ビッグウェーブでさらわれたぐらいである。
これだけでもホンマタカシはすごいと思った。