舟木一夫さんが『徹子の部屋』に出演されると知ってから

友人に番組のHPの内容を教えて頂いたり

予約録画できる1週間前には予約の準備をしたりしながら

今日18日を待ちかねていた。

いつもは部屋の入口に立つゲストの紹介から始まることの多いこの番組。

今日はデビュー当時の学生服の舟木さんのお写真と

『高校三年生』の歌声から始まった。

徹子さんはデビュー当時の舟木さんのお写真を

「可愛い、可愛い」と絶賛して下さって

昨年のコンサートで『高校三年生』を歌う舟木さんの映像が流れ

舟木さんが「若い頃のような甘い丸い声はでませんね。」と仰ると

「同じように思える。」とも仰って下さった。

写真を見ながら

「デビュー当時は御曹司だと思われていたんですって?」と徹子さん。

このお話は以前『徹子の部屋』に出演された時も話題に上ったように覚えている。

地方の造り酒屋かお醤油屋さんの“坊っちゃん(徹子さん曰く)“のように思われていたけれど

「単なる遊び人の息子」と謙遜される舟木さん。

「明後日辺りの食べ物どうするんだろう。」と思うような家だったから

「よく言えば自立心が早い子だった。」

とも。

年の離れた弟さんにご自分のような苦労をさせたくないと

早くから歌手を目指していらしたことは良く知られた話だ。

「詰め襟をなかなか脱がせてもらえなかった」ため学生服が暑くて苦労したお話。

デビュー曲がインパクトが強すぎてなかなか舵を切れなかったけれど

いつもおっしゃっているように「ブルースを歌いたくて歌手になられた」お話をされると

徹子さんの「どんな歌?ちょっと歌ってみてくださる」というお願いに

♪あなたを待てば 雨が降る♪と

『有楽町であいましょう』の一節を。

徹子さんにもう少し歌ってと促されると

「これ以上はただでは歌えない(笑)」

徹子さんも「悔しい」と笑いつつ

「若い恋の歌は歌えるけれど、雰囲気で歌う『夜霧よ今夜もありがとう』
というような歌はなかなか歌えなかった。」と話されると

徹子さん、すかさず『夜霧よ・・・』を歌ってと促され

これも渋いお声で

♪忍びあう恋を 包む夜霧よ♪

とその一節を歌われた。

「素敵」と仰って下さった徹子さん。


残念ながら私は行かれなかった15、16日の中野サンプラザのツァーファイナルコンサートでは

『たそがれのひと』『銀色の恋』『追憶のブルース』

とブルース調の3曲を新たに歌われたと友人に教えて頂いた。

舟木さんの歌の中でも私が一番好きな『たそがれの人』は言うまでもなく

『銀色の恋』『追憶のブルース』は久しぶりに生のお声で聞きたかったと

今日の歌声を聞きながらコンサートに想いを馳せていた。

閑話休題

その後は、今年の2月に鬼籍に入られてしまった西郷さんとの想い出と

西郷さんへのご自身の想いを時折涙をこらえられながら語られた。

舟木さん、西郷さん、三田さんのBIG3で出演された時の録画が放映され

懐かしそうに眺められながら

「これが終わって電話したら出てくれるような気がする。」と。


「西郷さんてどんな方でした?」という徹子さんの質問には

即座に「バランス感覚の良い人。」と評された。

自分のようにバランスの悪い人間とは全然違うとも。

西郷さんの太い眉が羨ましくて触らせてもらったというエピソード

西郷さんの55周年コンサートをコロナ禍のために中止せざるを得なかった無念な想い。


そして四十九日にはお参りに行らっしゃれたこと・・・


想いが溢れてお声を震わせられた場面には

見ているこちらも胸が締め付けられるようだった。


かつて、森本毅朗さん司会の番組に出演された時、森本さんが

「舟木さんは含羞の人だから。」

と評されたことを

「まさに言い得て妙!」と思ったことを鮮明に覚えている

時にちょっと乱暴な言い回しをされるのもまさに含羞ゆえ。

その底に流れる舟木さんの熱い想いは

確実に聞き手の心に伝わって・・・。

唯一行くことができた長野コンサートのアンコールで歌われた『浮世まかせ』の

♪夢をたずねて いそぐ男(ひと)♪の一節が心に浮かび

別れの言葉も告げずに逝ってしまった盟友を偲ぶ

舟木さんの無念さに寄り添って下さるかのような

徹子さんの最後の言葉がしんと優しく心に響く今日の番組だった。