5月の連休に、実家からもってきた父の詩吟に関する資料の整理は牛歩の如し(>_<)
 
いくつかの原稿を活字に打ち直す作業は何とか終了し

索引らしきものもまとめファイルしましたが、
 
父の吟や講義のテープをダビングする作業は思った以上に時間がかかります。
 
仕事をやめたので、時間はあるはずなのですが、
 
夫も家にいるので自分の自由な時間はあるようで無いのが現状。
 
そんな中を縫って、父の声の入ったテープは何とか殆ど聴き終わりました。
 
昭和49年の構成吟『大西郷ー詩吟物語ー』のように

父の吟声も入っているものの他に構成吟のテープが幾本かありました。
   
このテープは父が指導していたいくつかのグループが発表した物で、
 
父の声は入っていなかったので後回しにしていたもの。
 
 
その中の『美しき日本の詩情』と題された物に目が止まりました。
 

これも父の著書『漢詩への招待』の中に脚本が載っていたものですが
 
何といっても気になっていたのはやはり

舟木一夫さんのデビュー曲『高校三年生』の作詞者丘灯至(止)夫氏のお名前。
 
丘先生が詩吟の普及に尽力されていたことはここにも書いた通りでした。
  

父の著書『漢詩への招待』が出版されたのは平成4年。

そして、テープは平成8年の物でした。
 
初めて聞くこの構成吟は本の内容とは少し変わっていましたが
 
丘先生の詩は最初と最後に使われており、思いがけずその朗詠を聞くことができました。

当たり前のことですが、朗読するのとは一味違う感慨があるものです。


同じテープの裏面には同年に発表された他のグループの『安宅の関』
 
そして、もう1本のテープには他のグループの『秋に寄せて』という構成吟。
 
これは平成9年の表記がありました。
 
どの構成吟にも、漢詩のみならず、童謡や唱歌、
 
『安宅の関』には"旅の衣はすずかけのという有名な謡曲も入っていました。
 
ナレーションや吟の巧拙、童謡、唱歌には子どもの声を使った方がより効果的では?等と
 
私なりに抱いた感想もありましたが、それらには諸々の事情も
 
あったのであろうことは容易に想像できます。
 
約15分から20分にまとめられたこれらの構成吟を聞くにつけ

改めて、父の才能と情熱を垣間見た思いでした。
 
生原稿の中にあった『李白』も構成吟の脚本案のようでしたが→ 

残念ながらこの音源はありませんでした。
 
 

今年は猛暑が続いたため、母の年齢も考えて、諏訪への盆の墓参は控えましたが
 
昨日の迎え盆は長野の実家ではカンバで迎え火を焚き、

曾祖母や祖母、父の霊も戻っていることでしょう。
 

テープを聞きながら在りし日の父を偲んでいます。