〈令和〉という新元号が発表された前日の3月31日
 
恒例の舟木一夫後援会員のためのふれんどコンサート
 
東京浜松町のメルパルクホールで開催された。
 
平成最後のふれんどコンサートは、珍しくご自分の持ち歌だけで構成。
 
【WHITE】を中心にした舟木さん自作の歌の数々を
 
いとも楽しげに豊かな声量で歌い上げられた。
 
 
『序曲だけのコンサート』
『ガラスの架橋(はし)』
『れんげ草』・・・
 
どれも心地よく耳に響き、懐かしさと安らぎの中に身を委ねた一時だったけれど
 
その中でも今回、ことに忘れ得ぬ1曲になったのは『つばさ』
 
過去に節目のコンサートでこの曲を歌われた折り
 
「僕はもう皆さんのお陰で翼を手に入れられたと思うので・・・」
 
とこの曲の中の台詞を封印された。
 
嬉しい反面、『少年色の空』を彷彿とさせるようなその台詞が
 
もう生では聞けないのかという一抹の淋しさもふと胸をよぎったものだった。

 

今回、関西の友人達から「あの台詞が聞けるわよ。」と教えて頂いてはいた。

 

しかし、当日実際にその台詞

 

"ほしいなぁ つばさ"

 

を聞いた時、言葉では表せないほどの感動が


じわじわとわき上がってきたのは、自分でも予期せぬことだった。

 

 

 

帰りのあずさの車中でこの日のコンサートの余韻に浸りながら

 

初めて【WHITE】を聞いた時の事を思い起こしていた。

 

 


全て舟木さんの作詞作曲による曲で綴られた

 

【WHITE】というLPが発売されたのは昭和57年6月のこと。

 

 
この『つばさ』は【WHITE Ⅱ】に収録されている一曲で昭和58年4月の発売だった。
 



そういえば…と宝箱の中から探してきたのは


      

 

 

大きく見えるけれど、書店によく置いてある名刺大のカレンダーの表と裏。

 

大切に残してあったことは覚えていたけれど、

 

これを手にいれた経緯はすっかり記憶から抜けていた。

 

舟木さんの著書『酔って、SINGER』を買った時

 

長野の平安堂書店でもらったものだっただろうか。

 

 
 
 
【WHITE】は、Ⅲまで発売されたが、ここには入っていない自作の曲も数多くある。
 
最初の【WHITE】発売の2年前、昭和55年発売のLP【29小節の挽歌】
 
のタイトルにもなった『29小節の挽歌』も、今回久しぶりに聞くことができた1曲だった。
 
このLPの中にある『グッド・バイ・ソング』はピンクレディの解散コンサートで歌われた。

その頃、私は子育て真っ最中で、夕食の準備をしながら

偶然その中継が流れていたテレビを何気なく聞いていた。

この曲が耳に飛び込んできた時の驚きも

しばし仕事の手を止めてテレビの前に行き

じっと見いってしまったことも、今も鮮明に覚えている。

この歌が使われた経緯については、後に舟木さんがテレビで語られていた。
  
ピンクレディのどちらかお一方が舟木さんに直接、許可を得にいらしたので

舟木さんは快諾なさったとの事だった。


その他にも、このLPには
 
『BRANDY&SMOKING』『明日は明日で』『どうせオン・ザ・ロック』など
 
コンサートでも良く歌われる耳になじんだ曲が収められている。
 
 
さらに昭和52年、15周年記念盤として発売されたLP【一葉舟】・【愛はまぼろし】
 
にも舟木さんが作詞された曲が収録されている。
 
 
そして昭和51年に発売された【レマンのほとり】も同様で
 
その中の1曲『眠らない青春』は近年シングルカットされ新しく吹き込み直された。
 
 
さらに遡れば昭和44年、舟木さん主演の連続テレビドラマ
 
『ドロボーイ』の主題歌とともに、
 
舟木さん演ずる主人公押川純平のキャラクターに合わせて
 
12人の作詞家と12人の作曲家によって作られた新曲ばかりのLP
 
【ワンダフルボーイ】にも、舟木さんが作詞を担当された曲が入っている。

 

 
『たそがれはいたずら』(高峰雄作作詞・萩原雅人作曲)
 
がそれで高峰雄作は舟木さんの筆名。
 
日活映画『残雪の同名の主題歌もこの筆名で書かれた作品だった。
 
作曲の萩原雅人は、チャーリー脇野さんの筆名と聞いた。

 

 
 
このLPの解説に
 
”このように一人の人間の性格を基調にして、
 
新曲ばかりでLPを組む企画は大変珍しいものといえましょう。"
 
とある。
 
 
押川順平は彼の大泥棒、白浪五人男の1人日本駄右衛門の末裔という設定。
 
父はムササビ五郎という盗賊で後に古美術商を営み偽物を売りさばいていたけれど、
 
その父の遺言で偽物を気付かれないように本物とすり替えて置いてくる
 
というのが、ドラマの筋書きだ。
 
そんな主人公をイメージしたテーマ曲を含む13曲は
 
どれもスマートで誠実、そしてちょっぴりコミカルな青年社長、
 
押川純平を彷彿とさせるものばかりで、好きなLPの1枚だった。
 
余談になるが、ドラマは当時ローカル放送局が1局しかなかった長野県では放送されず
 
私は大学の寮の休憩室に置いてあったテレビで、夕方の再放送を見たのみであった。
 
もう一度見たいと願っても残念ながらテープは残っていないようだ。
 
その後のトレンディドラマの先駆けのような作品であったけれど
 
少し時期が早すぎたという評を何かで読んだ覚えがある。
 
『雨の中に消えて』『あいつと私』『山のかなたに』等の再放送を
 
チャンネルNECOの舟木一夫特集で見るにつけ、更に見たい気持ちが募ってくる。
 
 
 
ともあれ、すずきじろう里中さとる 岩鬼まさみ等々、舟木さんの筆名は
 
どこか洒落っけがあって楽しい。
 
LP【レマンのほとり】の中の里中さとる作詞『友よ』も好きな曲だが、

舞台主題歌『さくら仁義』

後援会記念曲『季節かさねて』『英もよう』

40周年記念曲『浮世まかせ』等々
 
あれもこれもと舟木さん自作の好きな曲を数えあげれば枚挙に暇がない。
 

【29小節の挽歌】では舟木一夫を使われているが
 
【WHITE】では本名の上田成幸で作詞、作曲されている。

 

 

最初の【WHITE】が発売された前後、後援会報誌に拙文を投稿したことがあった。
 
その頃はファンも結婚して子育てに忙しい方も多かったのだろう。
 
投稿文が少なかったようで、前後して送った
 
【WHITE】発売前の期待感、そしてLPを聞いた後の感想の2文が
 
1ページに同時に掲載されたのだった。
 
一通目の投稿文に、その頃の状況と心持ちがこのように記されていた。
 
 
"(前略)
結婚してこどもができてからは、なかなかコンサートにも行けず
レコードのライブ盤で雰囲気を楽しむことが多くなった。
結婚当初、交通事故に遭って、鞭打ちが完治しなかったり
産後の肥立ちが悪く病気をしたりと健康な時がなかったため
心の余裕も失いがちだった。
そんな私が、やっと心も身体も丈夫になった頃
『二十九小節の挽歌』のLPが出た。

それを聞いた時、何とも言えない安堵感が私を包んでいくのを感じた。

なぜか故郷の夏の山々が、ひときわ澄んだ青い空が心の中に浮かんだ。

それはその時の私の心が、やっと取り戻した健康のため非常に平穏であったことと

舟木さんの歌の中にもあるいは、同質の平穏さを感じたためでもあったろうか。

 

(中略)

 

こんなLPがもっと欲しいと思っていた矢先、『WHITE』が出ると言う。期待で一杯である。

やっと念願の非常勤ではあるが高校の講師として、古典を教えられる様になり、
心に余裕が持てるようになった今日この頃、舟木さんのレコードを聴きながら
胸のうちにたまっていた歌への想いをたまらずに筆にたくしてみたくなった。
私ごとばかりで恐縮ではあるが・・・。
 
(中略)
 
日にちは記してなかったけれど、この後
 
今年の梅雨は空梅雨で、しっとりとした風情はないが、庭の紫陽花も盛りを過ぎ
宵待ち草の黄色い花が路傍に咲く季節。『愛はまぼろし』のやるせないせつなさが
甘酢っぱく心に沁みとおる。何となく人恋しい季節である。"

                                                         

と結んであるので、5月末くらいに書いたのだったろうか。

 
 
愛知県で中学校の教師をしていた私は、結婚して夫の会社のある滋賀県に移った。
 
教員は県ごとに採用試験があり、年齢制限もあった。
 
結婚したのが3月だったので、結婚後6月に滋賀県の試験を受ける予定で
 
それまでは、小学校の産休臨時講師としての職を得ることができた。
 
そんな折り、夫の車に乗っていて後ろから追突され鞭打ちで入院を余儀なくされ、
 
退院後も後遺症に悩まされ続けた。
 
その後、長女を授かったが、今思えば後遺症の影響もあったのだろうか
 
生れるまでつわりがひどく、産後もなかなか体調が回復しないまま
 
教員採用試験の年齢制限を過ぎてしまった。
 
しかし、幸いにして高校の臨時講師としての職を得た頃のことである。
 
 

 

そして発売後の感想。ここには8月24日と明記してあった。

 


"『WHITE』を聞いた。

くちなしや木槿の白さが、夏の陽射しに良く似合うように

心が白く素直になれる、今は、季節なのかもしれない。

安らぎと懐かしさが、心の中に潮の様に満ちてくる。人は心の中に様々なものを持ち

好むと好まざるとにかかわらず、過去を引きずって生きている。

それはふだんは意識の奥深く眠っていて、思いがけない時に、ふっと頭をもたげたりする。

もしかすると、人は自己の深層心理を探るために絵を見たり、

音楽を聞いたりするのかもしれない。

それは具象的なものもあれば抽象的なものもあるだろうが・・・。

『WHITE』には、心の奥深く眠っていた自己の想いをひきださせる作用があるのかもしれない

 

(中略・・・ここには故郷諏訪に対する想いが『ROCK-N ROOLふるさと』『都会の子守唄』を例にあげ比較し記してあった。)

 

 

ともあれ舟木さんの詩には季節が感じられる。

それがはっきりと詩の中に盛りこまれているものはもちろん

心象風景を描いていても、そこには初秋の、あるいは夏の夜の、

あるいは梅雨の頃の風景がイメージされているような気がする。

そのうえ、詩に描かれている背景はフィクションであっても、

そこに歌い込まれている心情はまさに真実で、それ故に感慨深く聞けるのであろう。

それは、舟木さんの詩が単なる感覚のみによって描かれているのではなく

舟木さんの中に、日本的な伝統を踏まえた、例えば西條八十や野口雨情のような

詩人の感性が受け継がれているためであるような気がしてならない。

今風であって、なおかつ決して軽薄さのない詩風。

まさに舟木さんにしか描きえない世界であろう。

今の若者達が、あるいは多くの日本人達が忘れかけている

日本語の大切さ日本の美しさ(根本的な意味で)が、そこに息づいているようで嬉しい。

私は決して懐古主義者でもないし、年寄りでもないが、

どんな時代でも大切なものは見失ってはならないと思っている一人ではある。

 

自然を思う心、幼い頃の心、そして他人の痛みをも自分の痛みとして感じてしまう詩人の心。

人の心の奥の琴線に、それは強く共鳴して・・・。そんな心が、もしかしたら

『WHITE』なのかもしれない。"

 

 
滋賀県でも教師として仕事を続けたいと思いながらも思わぬアクシデントで
 
その計画が頓挫してしまい、なかなか体調が回復せず
 
鬱状態になる危険性を医師から指摘されたこともあった。
 
その後、子どもを授かり母として子育てに失敗しないようにと気を張り詰めながら
 
1人の人間として、どう生きていこうかと模索していた頃のことが鮮やかに蘇る。
 
そんな中、レコードから流れる舟木さんの歌声が唯一私の心の慰めであった。
 
事実、その後、松本に転居し子どもも3人となり、外へ出て働くことを断念し
 
これでいいのだろうか、もっと他の生き方があったのではないかと迷った時
 
舟木さんの『みんな旅人』の一節が、私の心の迷いを消しさってくれた。
 
男ならこう生きる 女ならこう生きろ
 
そんな生き方など あれば知りたい
 
歩きながら迷う さぐりながらまた歩く
 
それでいいじゃないか たぶんそれが人生♪
 
 
心の奥では間違っていなかったと思っていても、それを自ら認めることは難しい。
 
舟木さんのこの歌に、「それでいいんだよ。」とさり気なく背中を押されたようで
 
ふっと心が軽くなったことを覚えている。
 
これも一昨年、吹き込み直され同じく【WHITE】の中の大好きな
 
昭和の香り漂う『下町どこさ』とのカップリングで発売されたのは
 
記憶に新しいところで、ことさら感慨深く聞いたものだった。


 
試行錯誤しつつ懸命に過ごした朱夏の頃。
 
子育てを終え、やっと舟木さんのコンサートに年数回、足を運べるようになり
 
舟木さんの話だけでなく人生の事なども気兼ねなく話し合える同好の士達とも巡り会えた。
 
 
白秋から玄冬にそろそろ足を踏み入れなんとしている今
 
まだまだ悩みや迷いは尽きることはないけれど
 
青春のそして朱夏の時代の葛藤や苦い思いも
 
全て懐かしい思い出として包みこんでくれるような
 
舟木さんの醸し出す【WHITE】の世界に浸ったコンサートの一時であった。