押し入れの中を整理していたら、母が昔送ってくれた段ボール箱の中に

 

私の小、中、高校の頃の作文や作品と一緒にこんな物が入っていました。

 

 

 

蓋の横の名札には私の高校時代のクラス名が書かれています。

 

 

 

 

柿渋仕様のこの箱が気に入って、譲ってもらった母のお古の裁縫箱でした。

 

 

 

箱の裏には母の氏名が記され「本科〇〇年」とありますから

 

多分、母が女学校時代に使っていたものでしょう。

 

横には母お得意の猫の絵も(^_-)-☆

 

 

 

私と違って母は猫好き。

 

一人っ子だったからでしょう。小さい頃から猫を飼っていたそうです。

 

 

袋は母が私のために作ってくれたもの。

 

 

この生地は、小学校5年生の時に諏訪の詩吟大会で父の詩吟に合わせて

 

私が舞った平敦盛の衣装の残り布

 

衣装は祖母と母が縫ってくれました。

 

今改めて見ると、この模様、父がつけていた岳風会の記章に

 

形が良く似ていることに気付きました(^-^;

 

 

 

 

平敦盛といえば思い出すのは何といっても舟木一夫さん(#^^#)

 

 

                         【Papyrus 1970 舟木一夫写真集より

  

 

私が平敦盛を舞ったのは10歳。昭和36年ですから、まだ舟木さんのデビュー前(^^ゞ

 

後年、舟木さんが平敦盛を演じられることなど知るよしもない頃でした。

 

でも、こんな自分の経験があったので殊更嬉しく、

 

舟木さんの歌われる『敦盛哀歌』は大好きな歌の一つになりました。

 

 

 

 

閑話休題

 

 

詩吟大会の時の踊りは2歳まで習っていた日本舞踊の花柳先生に

 

父がお願いして、特別に振りとお稽古をつけて頂いたのでした。

 

 

 

    

 

厳しかったなあ、大先生のお稽古(;´Д`A ```

 

でも、踊りは嫌いではありませんでした。

 

父は続けさせたかったようですが、母の方針で、勉強が大事と

 

小学校に上がる時にやめてしまいました。

 

でも、続けていたかったな~というのが正直なところ(^_^;)

 

 

私が習い事もその進退も、子ども達に自分で決めさせたのは

 

自分のこんな経験があったからでした。

 

 

でも母はこの晴れ舞台のために 直垂とくくり袴、そして被衣(かつぎ)を作ってくれました。

 

    

 

 

こちらは本番?それともゲネプロかな。

 

 

 

 

 

本番の舞台。

 

 

若い父です。

 

私は父が30の時の子でしたから、この時父は40歳?

 

 笛声嫋々人の腸を断つ

 

 夜は冷ややかにして陣中故郷を憶ふ

 

 誰か識らん傷魂空しく夢に入るを


 恩讐両つながら解けて涙痕長し

 

 

父の吟声が聞こえてきそうな写真。

 

不惑の父との競演だったのだなあと在りし日の父を思い出します。

 

 

 

折角見つけたので、このお裁縫箱、また使ってみようかな(*^^)v