9月3日のふれんどコンサート詳しい様子は、

 

帰りのあずさの中でいつものように思い出すままスマホにメモし、

 

帰宅後、忘れないうちにと友人達に報告を済ませたが

 

ブログには気が向いたら感想を…などと書きながら一週間余りが経ってしまった。

 

 

今回は事前に関西の友人達から「童謡・唱歌・歌曲の特集だったわよ。」と伺っていた。

 

唱歌が当時の文部省主導で作られた歌であるのに対し

 

童謡は、鈴木三重吉を中心に文学者や詩人達が子ども達が歌って楽しい

 

子どものためになる歌を作ろうという活動から生まれたものである。

 

児童雑誌『赤い鳥』を中心になされたことから『赤い鳥運動』とも

 

『童謡運動』とも呼ばれたが、今年はそれが始まった年から数えて100年目に当たる。

 

先月末には教え子の山田真治君が主催する水芭蕉コンサートin愛知でも

 

童謡100年を記念する歌の数々を聞いたばかりであった。

 

その『赤い鳥』の童謡第一号である『かなりや』の作者

 

西條八十氏は舟木さんにとって、殊の外ご縁の深い方だ。

 

新橋演舞場舟木一夫特別公演『野口雨情物語』では

 

ご自身も『赤い鳥』の三大詩人の1人と言われた野口雨情を演じられた。

 

その舞台では、雨情と八十、三木露風が三人で

 

空を飛ぶものを題材にお互い詩を作る場面があった。

 

八十は前述した『かなりや』、露風は『赤とんぼ』

 

そして雨情は『七つの子』であったと記憶している。

 

今年が童謡100年を記念する年であることは、つとに知られたことだから

 

舟木さんがそれを心に置かれていたであろうことは想像に難くないけれど

 

友人達から今回の曲名を聞いて、私が思い浮かべたのは、むしろ

 

LP『ひとりぼっち』第2集”舟木一夫想い出の歌”の世界であった。

 

 

当日のコンサートを聴いて、よりその思いは強くなった。

 

友人とも「”ひとりぼっち”の世界ね。」と異口同音に語り合ったものだ。

 

その友も、私と同じように「大好きで擦り切れるほどレコードを聞いたわ」と。

 

まさしく♪同じ時代を生きた仲間♪

 

当時は知るすべもなかった同好の士の友人達と、

 

この年になって同じ感覚を共有できることはこの上もない喜びでもある。

 

 

 

を題材にした歌から始まった今回のふれんどコンサート

 

「童謡・唱歌は子どものために作られた歌ですから、良い意味で質素。」

 

と舟木さんもおっしゃったように、

 

♪海は広いな大きいな月が上るし陽が沈む♪

 

の歌詞で始まる『海~作詞・林柳波』のように、見たままの風景を

 

描いているだけに子どもにもわかりやすく覚えやすい歌はかりだ。

 

ただ、これはのどかな平和な歌に思えるけれど、

 

3番に♪海にお船を浮かばして行ってみたいなよその国♪

 

と歌われているこのお船は戦艦を見て作ったものだということを、

 

水芭蕉コンサートを主催する山田真治君に伺って知った。

 

それを知ったうえでこの歌を聞くと、穏やかな日常の風景を切り取ったかにみえる詩の奥に

 

現代からは想像もできない当時の詩人達の心情や苦悩が秘められているように思えてもくる。

 

 

『海』のあと、『砂山』『浜辺の歌』『さくら貝の歌』とくれば

 

これはもう、舟木さんの独擅場だ。

 

 

”郷愁-それは甘くほんのチョッピリ感傷的な愛の匂いのするもの

郷愁-多くの場合それは想い出の中にある。そして僕も想い出とは、

単に過去の世界の様な気がしないでもない。だが今生きているのを感ずる今日は、

明日の陽が昇ればもう二度と帰る事のない想い出の海にのみこまれてしまう。

いや、こうしてお話をしている今この瞬間さえも止まる事なく

想い出の世界に向かって歩いて行く・・・

何もかも想い出になってしまう・・・

悲しいような・・・けれどやっぱりその方が自然である様な・・・

・・・すべては想い出の歌となるのか・・・。”

 

ひとりぼっち第2集は、舟木さんのこんな語りから始まり

 

『荒城の月』『赤とんぼ』と続いていく。

 

 

今回のコンサートで、童謡、唱歌と言えば定番中の定番と歌われたのが

 

『赤とんぼ』『背くらべ』『ふるさと~詩・高野辰之』の三曲だった。

 

海に続くの歌のコーナーで歌われたのは

 

『春が来た』『春よ来い』『朧月夜』『さくらさくら』

 

『朧月夜』は『ふるさと』同様、信州飯山出身の詩人高野辰之の作品。

 

私にとっても思い入れの深い曲だ。

 

 

「朧月夜、綺麗な言葉ですよね。雨一つとっても日本語には霧雨、

 

篠突く雨等々、色々な言葉がある。」と舟木さんもおっしゃっていたように、

 

童謡・唱歌は美しい日本語の宝庫とも言える。

 

 

そうかと思えば、時代によって様々に翻弄された歌もある。

 

これも春の歌の中で歌われた同じ高野辰之の『春の小川』

 

♪春の小川はさらさらゆくよ♪は最初は♪さらさらながる♪

 

であったという話はよく知られている。

 

戦後になって、古語よりは歌いやすい現代語に直されたようだ。

 

また、時代の流れによって消えていく歌も少なくないが、これも寂しいことだ。

 

 

閑話休題。

 

「桜の王様と言えば何といっても夜桜。ただ、最近は酔っ払いが横行して

 

風情も半減するけれど」という舟木さんの言には同感だ。

 

ほろ酔い加減での夜桜見物はそれもまた春の風物詩の一つといえるかもしれないが

 

極端な大騒ぎは風情も半減するのは必至だ、と私も思う。

 

 

浦島太郎、金太郎、桃太郎のお伽噺の定番の歌は

 

今では知らない若い人も多いかもしれない。

 

一時、浦島太郎も知らない大学生がいると聞いた時は驚いたものだ。

 

その後、携帯会社のCMで、三太郎が取り上げられたことで、

 

少しは今の若い人にも再認識されるようになったのかもしれないけれど。

 

『桃太郎』♪やりましょう やりましょう お腰に付けた黍団子♪

 

♪あげましょう♪だと思っていたと舟木さんでさえおっしゃったように

 

「チコちゃんに叱られる」風に言えば、この差を知らずにいる人のなんと多いことか!

 

「あげる」は「差し上げる」という言葉もあるように、謙譲語なので目上の人に使う言葉。

 

それに対して「やる」は「遣る」で、同等以下の者に与えるという意味がある。

 

舟木さんも「偉そうに。」とおっしゃっていたので、そのこと自体

 

言葉の意味をきちんと理解されていたのは明らかだ。

 

童謡、唱歌の情緒あふれる歌の間には、これらのお伽噺の歌や 

 

『證誠寺の狸囃子』『山寺の和尚さん』などのテンポの良い歌をはさみ飽きさせない。

 

 

そして後半。

 

童謡・唱歌とは少し趣を異にする歌曲では

 

『波浮の港』『出船』を朗々と歌い上げられた。

 

後で友人と「着物で歌ってほしかったわね。」と語りあったものだが

 

『野口雨情物語』の舞台の着物で歌われた姿を重ね合わせながら聴いていた。

 

 

『花』『荒城の月』の伸びやかなその歌声は、隅田川の岸辺に咲き誇る桜や

 

荒涼たる城跡へと、聴いている人々を導いていくかの如くだった。

 

 

「歌曲と呼ばれるこれらの曲より、もう少し大人っぽくなると

 

『山のけむり』や『あざみの唄』などがあり、色っぽく歌謡曲っぽくなると

 

『ゴンドラの歌』などになる。」

 

とおっしゃっていたけれど 『山のけむり』『あざみの歌』

 

LP『舟木一夫抒情歌を歌う』に収録されていてこれもよく聞いたものだ。

 

 

余談になるけれど『あざみの歌』はたしか作詞の横井弘氏が

 

霧ヶ峰の八島湿原を散策して作られた曲で

 

八島湿原にはこの詩を刻んだ歌碑があったように記憶している。

 

そのせいか、高原に行ってあざみを見つけると舟木さんの歌う

 

『あざみの歌』が頭の中に流れるのはファン故の習性かもしれない(^^;) 

 

 

最後のコーナー『叱られて』『里の秋』『浜千鳥』『白鳥』『月の砂漠』

 

は、まさに『ひとりぼっち』の世界そのものだ。

 

 

 

 

 

 

LP「ひとりぼっち第2集」の解説の中にこんな一節がある。

 

 

”童謡、唱歌、それに歌曲-その中で最も有名な作品と取り組みました。

これはかなりな冒険と申すべきでしょう。なぜならば、誰でも知っているだけに、

聞く人の胸の中にはそれぞれの固定したイメージが出来上がっています。

ですから、十二分に歌いこなさないことには、みんなを満足させることはできません。”

 

 

たしかに、童謡・唱歌・歌曲には人それぞれに想い描く世界があり情景がある。

 

50年前、まだ舟木さんが20代の頃の哀愁あふれる歌声には十分満足し

 

詩の情景の中に惹きこまれていったものだ。

 

今回のふれんどコンサートは、50年前よりもさらに伸びやかで

 

哀愁に溢れ、包み込むような歌声は、詩人の心情を追体験さえするような

 

郷愁の世界の中へ私達を一瞬にして誘っていった。

 

 

 

そしてアンコールは『スキー唱歌』

 

これも、やはりLP『限りない青春の季節』を思い出してしまった。

 

 

 

語りと歌でその時の舟木さんの心境を真摯に語られたこのLPの最初に

 

「僕が人の前で一番最初に唄を歌った・・・」

 

とア・カペラで『スキー唱歌』の1番を歌われ、続けて2番を歌い始めたけれど

 

「何せ20年前のことです。二番まではよくおぼえていません。忘れました・・・」

 

と言われた曲であったことを印象深く覚えている。

 

 

 

♪山は白銀 朝日を浴びてすべるスキーの風切る速さ

 

とぶは小雪か舞い立つ霧か おおおこの身も駆けるよ駆ける♪

 

 

間奏は「高校三年生」のメロディが流れ、一瞬会場の人々を期待させ

 

その後、期待を裏切る2番をいとも楽し気に歌われた。

 

♪真一文字に身を躍らせてさっと飛び越す飛鳥の翼

 

ぐんとせまるはふもとか谷か おおお楽しや手練の飛躍♪

 

 

 

 

『限りない青春の季節』の最後に語られた舟木さんの言葉・・・

 

 

 

兎に角、僕は歌える所まで歌って行きます。

 

 

 

 

LPでその言葉を聞いた時、心から安堵したのは勿論だけれど

 

40年余り経った今、その言葉通りに歌い続けて下さっていることに

 

泣きたいほどの深い感慨を抱きながら、この日、会場を後にしたのである。