朝日新聞に「おやじの背中」というコーナーがあります。
これは言うまでもなく、20年前の新橋演舞場で
舟木一夫さんの半生を描いた『おやじの背中』の1ヶ月公演が行われた折り
朝日新聞に掲載された、お芝居と同名の舟木さんご自身の文章がもとになったもの。
新橋演舞場での成功を受けて、次の年には京都南座でも公演が行われました。
この舞台で舟木さんは、お父様の栄吉さんとご自身の二役を演じられ
南座公演は、久しぶりにNHKで舞台中継されました。
その折、関西の友人から頂いた、新聞記事のコピーです。
20年前といえば、まだ私は子育て中で、夫も山形県に単身赴任中。
自分の趣味のために遠方に出かけることなど、考えられるような状態ではなく、
テレビ中継をビデオに撮って見るのが精一杯の贅沢、という時期でした(ノ_-。)
朝日新聞のこのコーナーは、1回で終わることなく同名のタイトルで
その後も色々な方が、ご自身のお父様を語るという形で続いていました。
この頃見なくなったなーと思っていたら、先月、久しぶりに掲載されているのを発見。
私が見逃しただけで、もっと前からそうだったのかもしれませんが
タイトルも”おやじのせなか”と平仮名に変わり、
次の週には”かあさんのせなか”とタイトルそのものが変わって掲載され
タレントのユージさんのお母様を思う気持ちが綴られていました。
今日も同じタイトルで、故野際陽子さんのお嬢様、真瀬樹里さんの記事でした。
”おやじ”の対義語の”おふくろ”ではなく”かあさん”という名称に時代の流れを感じます。
一昔前は”地震、雷、火事”とともに怖いものの一つに数えられていた”親父”。
封建時代の家父長制度の名残という負の部分もあるものの、
20年前と言えば、舟木さんもおっしゃっているように、一家の法律であった
親父の権威も薄れ、家族の形態も大分変化しつつあった時代。
そんななか、舟木さんのお芝居の名称とも相まって、影の薄くなった”おやじ”に
スポットをあててみようという新聞社の意図もあったのかもしれません。
現在では新聞社の中でも、このタイトルの経緯を知る人も数少なくなっているでしょう。
今の若いご夫婦は共稼ぎが当たり前、”イクメン”と呼ばれる育児に積極的な
お父様が増えていることは喜ばしいことであり、私達世代には羨ましい限りですが、
20年という時の経緯以上の世の中の流れの速さと、人々の意識の変化を感じます。
昭和45年(1970年)に発刊された限定写真集『Papyrus』の最後の頁に
その舟木さんのお父様、上田栄吉さんの『想い出』と題する文章が載っています。
息子を思う父親の心情が溢れているこの文章を読んでいると、
『おやじの背中』のお芝居の本読みの様子がテレビで流れた折り
舟木さんがお父様を思い出して思わず涙され、
共演の波野久里子さんが「思い出しちゃったのね。」
としみじみおっしゃった場面が心に浮かんでくるのです。