"ふるさとを想う心"即ち「郷愁」という語にはい」という字が入っているように

 

温かさと淋しさ、そしてそこはかとない甘酸っぱさが漂う。

 

室生犀星にとっては

 

「ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

そして悲しく歌ふもの」

 

であったけれど、

 

高野辰之にとっては

 

「忘れがたきふるさと」であり

 

「志をはたしていつの日にか帰らん」

 

再び帰ろうと決意する場所であった。

 

 

故郷に対する思いはその生い立ちや越し方によって様々で

 

心楽しかった想い出もあれば、苦しみを伴うこともある。

 

そうではあっても、懐かしさを感ずる場所であることはたしかで、

 

それが「郷愁」という所以なのだろう。

 

 

私たち世代が生を受け、青春時代を過ごした昭和という

 

64年に及ぶ近年にない長い時代の間には様々な変化があった。

 

第2部で舟木さんが歌われたのは、昭和27年から昭和55年までの間の曲。

 

「それ以降になると、少し違ってしまう。」と舟木さんもおっしゃるように

 

ともすると、古き良き時代の日本的な思考や風景が急激に薄れていったような気がする。

 

 

時の流れが緩やかな時代は、世代が違っても共有できる意識がある。

 

でも、急激な変化には人は戸惑うばかりで自分の生き方さえも見失うことがある。

 

今まで当たり前と思っていた指針が180度転換してしまい、

 

それに振り回されて、人々の意識は多岐にわたってしまう。

 

昭和の後半はそんな時代ではなかったかと、改めて思うのである。

 

 

 

北原謙二さんの『忘れないさ』から始まった第2部。

 

 

 

 

「故郷といっても、北海道から九州まであるけれど、

 

全部歌うと全国ツァーみたいになるから。」

 

と笑わせて、今回は北海道の歌は無かったけれど、

 

「できれば(ちらしにあった)『襟裳岬』は聞きたかったわね。」

 

と後で友人たちと談笑したものだ。

 

 

北は青森あたりからの東北地方を思わせる歌が続く。

 

三橋美智也さん『リンゴ村から』などはその代表的な歌。

 

 

三橋美智也さんは舟木さんが歌手を目指すきっかけになられた方で

 

舟木さんは三橋さんが亡くなられた時、後援会主催のコンサートで

 

三橋さんの歌だけを集め熱唱されたことがあったほどだ。

 

 

「故郷といえば三橋さんほどふさわしい方はいない。」とは舟木さんの弁。

 

 

『夕焼けトンビ』は知っているものの、『リンゴ村から』や

 

『おさげと花と地蔵さんと』は舟木さんのコンサートで聞いたことがある程度。

 

昭和26年生まれの私には、少し上の世代の歌という印象が強かった。

 

でも、前述のように、緩やかに時間が流れていた時代ゆえか、

 

その詩に描かれた風景はやはり私たちの記憶に刻まれたものばかり。

 

 

「昔はどこの道の端にもお地蔵さんがあってね、

 

その前に細い竹の筒なんかが立ててあって

 

中に道端に生えている野菊が供えられていて、それが萎れていたりして・・・

 

そしてたまにおにぎりが置いてあったり。

 

おさげ髪の膝丈くらいの絣の着物を着た女の子がいて・・・」

 

 

 

舟木さんの語られる詩の中の風景に、

 

舗装されていない土埃の舞う田舎道の、人々が行きかう路傍に安置された

 

お地蔵さまのほほえみまでも想像できて、

 

のどやかだったその時代に一瞬にしてタイムスリップしてしまう。

 

 

舟歌といっても八代(亜紀)君の歌う歌とはちょっと違うけれど…」

 

と歌われた舟歌は、初めて聞く歌が多く曲名もおぼろげだけれど、

 

やはり昭和の香りを携えた歌ばかりだった。

 

 

「沖縄を思わせる歌が流行った時期があって・・・」と歌われた

 

『島育ち』

 

『島のブルース』

 

 

「どこか独特の平坦なメロディが今の『涙そうそう』などに繋がっている。」

 

とおっしゃったように、温暖な南国の歌達も、その中に秘められた哀愁が心に響く。

 

 

そして時代が下がると、歌の肌触りというか雰囲気が違ってくると歌われたのが

 

『北国の春』

 

『帰ろかな』

 

『与作』

 

『帰って来いよ』

 

これらの曲も、それ以前の歌と同じように

 

故郷を離れた若者が今もそこに住む父や母や恋人を思い、

 

または故郷の両親が都会にいる子を思うという内容だけれど

 

ふと、この歌が作られた時代になると、交通手段が

 

それまでとは違ってきた頃なのではないかと気づいた。

 

故郷へ帰る手段も汽笛を鳴らし、煙を吐いて走っていた汽車ではなく

 

夜行や鈍行てあっても、トンネルに入った時、

 

煙が入ってくるのを避け、慌てて窓を閉めなくてもよい

 

電車に変化していった時期と重なるように思う。
 

それによって故郷と都会との移動時間も速くなり、

 

いつでも帰れるという想いが故郷を離れた人々の間にも流れ

 

以前よりも郷愁の念が薄れてきたのではないだろうか。

 

そんな心の変化が詩や曲の中に現れているのかもしれない。

 

 

 

 

幕が下りた後、満員の会場の割れるようなアンコールの手拍子に促されて

 

再度緞帳が上がり、歌われたのは

 

 

『ふるさとの話をしよう』

 

 

私にとっては初めて聞く曲だったけれど、

 

まるでご自分の持ち歌のように歌い慣れた、

 

よく伸びる声量豊かな舟木さんの歌声に

 

詩がすっと心に染み入り、思わず知らず胸が一杯になった

 

 

 

そしてラストは

 

『南国土佐をあとにして』

 

 

 

♪言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる

 

 よさこいよさこい♪

 

 

土佐弁のフレーズを楽し気に歌われた伸びやかな歌声が今も頭を離れない。

 

 

この歌をラストに持ってこられたのは、昨年鬼籍に入ってしまわれた

 

ペギー葉山さんへのオマージュではなかったか。

 

これは、図らずも友人たちとも意見が一致した。

 

 

故郷への想い、出会った人々への想い、過ぎ去った時代への想い・・・

 

舟木さんの、心の琴線を震わせる豊かな歌声に酔いしれ

 

様々な想いに心躍らせた春のひとときであった。

 

 

 

 

コンサートの余韻が覚めやらぬまま数日が経った。

 

 

 

我が家の庭の梅も咲き始め、北国にも遅い春が訪れつつある。