さて、昭和48年の明治座で行われた「舟木一夫8月公演」の続きです。

 

昼の部は『沖田総司』でしたが、

 

夜の部は『われ永久に緑なる』

 

これは旧制高校、金沢四校の学生を主人公にした恋物語。

 

 

 

土橋先生の寄稿文によると

 

 

昼の部の『沖田総司』が早々と決まり、現代劇をどうしようかと話していた時

 

旧制高等学校の最後の1年に在籍していらした土橋先生が寮歌の素晴らしさを

 

話されたことから、旧制高校生を主人公にした芝居にしようと決まったのだそうです。

 

作は土橋先生。演出は松浦竹夫先生。

 

学生服に高歯の下駄、黒マントという旧制高校の学生姿の舟木さん。

 

これもまた本当によくお似合いでした。

 

松本の県の森には旧松本高等学校の校舎が重要文材として残されていますが、

 

この校舎を見るにつけ舟木さんの姿が浮かんできます。

 

内容は、舟木さんが挨拶文で書かれているように、

 

 

”少年期の匂いのするメロドラマから青年期から大人の香りのするメロドラマ”

 

へ見事に脱皮できたお芝居であったように思います。

 

昔から言葉の選択が絶妙!

 

「少年期の匂い」 

 

「青年期から大人の香り」

 

普通ではなかなか出てこない洒落た表現です。

 

「旅(巡業)に行く時はいつも5,6冊の文庫本を持って行った。」

 

と昔、何かでおっしゃっていたことがありましたが、その読書量は半端では無かったとか。

 

そうしたことの積み重ねが、今もコンサートやインタビューなどで語られる

 

舟木さんのお話の語彙の豊富さに現れているのでしょう。

 

ご自作の詩の繊細な響きに、ファンが心惹かれるのも当然のことと思われます。

 

 

 

このお芝居の後のコンサート

 

 

 

 

このコンサートの最中に、舟木さんが

 

「旧制高校は、一高(いちこう)、二高(にこう)、三高(さんこう)と呼ばれているけれど

 

金沢は四高。これは”よんこう”ではなく”しこう”と数えるんですね。」

 

とおっしゃったことを何故か、今でもよく覚えているのです。

 

三高までは知っていましたが、浅学ゆえ四高は金沢で、しかも”しこう”と呼ぶことを

 

知らなかったので、「へぇ~そうなんだ。」と感心したものでした。

 

 

プログラムの中には、旧制高校について書かれたコラムもありました。

 

 

古き良き時代に、古都金沢の街を闊歩した高校生気質が記されています。

 

劇中では寮歌も歌われていたように記憶していますが、

 

学生たちが読んでいたのがリルケ『マルテの手記』

 

どんな内容なのか興味があって、舞台を見た後、早速買って読んだものでした。

 

そんなファンは私だけではなかったかと(^^ゞ

 

 

今の学生は読書をしないというニュースに驚いたのは記憶に新しいところですが、

 

この時代の学生達は、よく本を読みました。

 

日本の古典のみならず外国文学、哲学書、詩集、等々。

 

学校の図書館で借りて読む学生もいれば、先生や先輩に借りて読んだり、

 

または友人同士で貸し借りしたり、古本屋でやっとのことで手に入れたりした本を

 

擦り切れるほど読んだりもしたでしょう。

 

試験で良い点を取るために、受験のためという刹那的な理由ではなく、

 

「生とは死とは」「生きるとは何ぞや」「愛とは、恋とは」果ては「自分は何者なのか…」

 

自らの飽くなき知識欲を満たし、真実を突き詰めるために学習し、仲間内で熱く議論する、

 

そんな学生達の様子を表す小道具として使われていたのがこの本でした。

 

現代のように、良い大学に行くため、良い会社に就職するため、

 

親にお尻を叩かれながら嫌々ながら勉強する・・のではなく、

 

心から勉強したい!上の学校に進みたい!と熱望しても

 

中には家が貧しくて夢が果たせなかったり、働きながら学校に通った、

 

今では死語となってしまった苦学生もいたでしょう。

 

かく言う亡父も9人兄弟の二男坊。学ぶことは許してもらったものの

 

牛乳屋をしていた祖父に、学びたかった文学ではなく商業科なら良いと言われ

 

書生をしながら早稲田の夜学に通ったのだそうです。

 

 

『夕笛』の主人公、島村雄作もそんな時代の苦学生として描かれていました。

 

 

 

そして

 

赤い夕陽が校舎を染めて~♪

 

学業への直向きな欲求を抱えつつ、それぞれの事情でそれを果たせなかった

 

遠藤実先生丘灯至夫先生の熱い想いを、当時高校を卒業したばかりの

 

舟木一夫さんが初々しくも清潔感溢れる美声で高らかに歌い上げた『高校三年生』

 

その歌詞とメロディーに自らの青春を重ね合わせ、そこはかとないノスタルジーを感ずる

 

昭和30年代、40年代に高校生活を送った我が世代にも、

 

旧制高校の頃と変わらぬ学生気質が少なからず残っていたように思います。

 

ひたすら読書をし、勉学に励み、悩み、友と語り合った高校時代。

 

時代の流れとはいえ、現在の勉学体制には少なからぬ危惧と

 

少しの寂しさを感ずる団塊の世代ではあります。

 

 

さて、その『マルテの手記』

 

私が買ったのは、今ではもう無くなってしまった旺文社文庫から出版された物。

 

この文庫の特徴は、贅沢なことにカバーの代わりにが付いていたこと。

 

表と

 

  

 

 

 

函は日焼けしてシミがでてしまいましたが、これがあるために中は割合綺麗なまま。

 

 

 

この函入りの文庫本、大好きで他にも何冊か持っていますが、

 

今はもう無くなってしまったのは残念です。

 

実は、この『マルテの手記』、大学でドイツ語を専攻していた長女に、

 

「ドイツ文学の本持ってない?」と聞かれて貸してあげたところ、

 

卒論に使ってくれたという後日談があるのです(・・。)ゞ

 

その時に記したと思える書き込みがあちこちにあって、

 

ひょんなところで役立った我が青春の残照に、照れくささと嬉しさを覚えたものでした(^^ゞ

 

 

そして、今でも交流がある犬山の中学の教え子Sさんが進学したのが金沢大学

 

彼女が通った頃は、まだ、兼六園の横に大学があり、今では移築されて

 

記念館になっている旧制高校金沢四高の木造の校舎もそこにあったものと思われます。

 

そんなことにも縁を感じてしまう、青春時代の想い出深い舞台です。