新橋演舞場で現在行われている、舟木一夫特別公演

 

演舞場でのこの公演も今年で20年目。

 

そして芸能生活55周年の演目は『忠臣蔵』のそれも昼夜通し狂言。

 

昼の「花の巻」夜の「雪の巻」を通じて舟木さんが演ずるのは大石内蔵助

 

それを聞いた時思い出したのは、若かりし日、明治座で行われていた舟木一夫特別公演

 

通し狂言ではなかったものの、昼が時代劇なら、夜は現代劇というように

 

昼、夜違うお芝居と、曲も全然違うコンサート構成にファンは魅了されたものだ。

 

現在も一ヶ月公演のお芝居の折のコンサートは昼夜違う構成ではあったものの

 

55周年記念の通し狂言の企画を聞いた時、

 

コンサートもお芝居も原点回帰なのかしらとふと感じた。

 

明治座公演も、今から思えば凄いことではあったけれど、

 

昼夜通しで、同じ主人公での続き芝居は近年では稀であるようだ。

 

 

朝早いあずさで上京し、お芝居、コンサートを楽しんだ後

 

その余韻を友と語り合う間もなく、夜のコンサートに心を残しつつ

 

夕方のあずさでとんぼ返りが私の例年のパターン。

 

地方に住む身の辛さ故と諦めつつも、記念の年の昼夜通しのこの公演、日帰りは苦しい。

 

しかし何があっても今年は外せないと、ホテルを取って一泊するつもりでいたところ、

 

東京の友人に「前の晩から我が家に泊まったら?」という嬉しいお誘いを頂き、

 

そのご好意に感謝しつつ、厚かましくも甘えさせて頂くことになった。

 

初日と二日目は後援会の貸し切り。

 

最初は初日だけであったものが人数が多すぎて2日間に伸びた。

 

私の観劇は初日の12月2日。

 

全国から同好の士が集まり、三階まで昼夜満席の演舞場の光景は

 

客席から見ても壮観であった。

 

後援会員に向けて綴られた舟木さんのファンへの想いの詰まった

 

この日だけの特別パンフレットを手に、それぞれの席へ着くと

 

芝居への期待はいやがおうにも高まる。

 

 

歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』を始め、映画、舞台で様々に描かれてきた『忠臣蔵』

 

そもそも舟木さんと忠臣蔵との縁は深い。

 

デビューした次の年、脚本を手掛けられた村上元三氏に抜擢され

 

NHK大河ドラマ『赤穂浪士』で演じられた矢頭右衛門七が最初であった、

 

あの前髪立ちの美少年、矢頭右衛門七の姿は、今でも鮮やかに目に浮かぶ。

 

 

 

      

               <1970年発刊 限定版 『Papyrus』舟木一夫写真集より>

 

 

写真は討ち入りの場面なので、もう前髪立ちではなく、月代を剃り元服した姿。

 

 

その後、何度となくテレビでも『忠臣蔵』が放映されたけれど、

 

あまりにもあの印象が強烈で、誰が右衛門七を演じたかさえ記憶にない。

 

それほどに舟木さんには似合いの役であり、あれ以上の右衛門七を私は知らない。

 

そんなファンの気持ちを察して、今回、右衛門七は敢えて出さないとか。

 

『赤穂浪士』で、ニヒルな浪人、堀田隼人を演じられたのが

 

今回吉良上野介に扮していらっしゃる林与一さん。

 

この時からのお二人の縁は続き、与一さんは舟木さんを親友とおっしゃる。

 

堀田隼人も格好良いと心惹かれた世代には、とても嬉しいことだ。

 

舟木さんの当たり役と言っても過言ではない、五味康祐氏原作

 

”忠臣蔵異聞”と副題のある『薄桜記』では、

 

舟木さん演ずる隻眼隻腕の丹下典膳をお互いに剣友と敬いつつ、

 

それぞれののっぴきならない立場の違いから討ち入り前夜に

 

典膳を討つ堀部安兵衛の役で共演されている。

 

これは与一さんの若い頃からのたっての願いであったと聞いた。

 

この話を伺った時、まるで典膳と安兵衛の繋がりを地で行くような

 

舟木さんと与一さんの関係ではないかと感激したことを覚えている。

 

 

閑話休題。

 

 

舟木さんは「自分は内蔵助の任ではないことは重々わかっているけれど…」と

 

前々からおっしゃっていた。

 

同じく演舞場を始めとする『銭形平次』で、テレビで三ノ輪の万七親分役であり

 

舟木さんの舞台でも生前、同役を演じられた遠藤 太津朗さんから

 

「内蔵助やってよ。」と会うたびに言われているけれど、

 

自分にはあわないから断ったと話されたこともあった。

 

たしかに、今まで内蔵助を演じている俳優さん達のイメージを思い起こせば

 

舟木さんが二の足を踏まれていたというのも、どことなく納得できた。

 

しかし、度重なる演舞場からの薦めで踏み切られたという今回の内蔵助。

 

そんなご本人の心配は全くの杞憂であったとファンも確信できるほど、

 

歴代の内蔵助に優るとも劣らない舟木さんならではの大石内蔵助の姿がそこにあった。

 

今までの『忠臣蔵』の内蔵助が「忠義一筋」に重きをなすものであるならば

 

今回の筋立ては、まさに「情」の内蔵助。

 

何よりも、脚本が本当に良くできていて最後まで飽きさせない。

 

 

『花の巻』

 

緞帳が上がると、そこは京都祇園の遊郭「一力」の花魁浮舟の座敷。

 

両側には浅野家の家紋『違い鷹の羽』と大石家の『巴紋』が描かれた板が設置されている。

 

華やかに着飾った遊女や禿たちの舞いを眺めつつ、盃を手にする内蔵助。

 

敵を欺く演技か本気か・・・

 

その美しく艶っぽい酔い姿に、観客はまず目を奪われる。

 

 

<新橋演舞場舟木一夫特別公演『忠臣蔵』パンフレットより>

 

禿にねだられ、目隠しをして鬼となり、子とろ遊びをする内蔵助の元に

 

討ち入りの決意をしないことに業を煮やした安兵衛ら浪士が・・・・

 

そして一気に舞台は変わり、赤穂の海辺へ。

 

尾上松也さん演ずる内匠頭と長谷川かずきさん演ずる奥方あぐりが語りあう。

 

入り鉄砲出女が禁止されていた江戸時代。(正室が国元にいるのは変よね?)

 

という突っ込みはさておき、そこに現れた内蔵助と内匠頭との語らいは

 

兄弟とも親子とも見紛う親愛の情が故郷の海を背景に醸し出される。

 

その時、内蔵助が抱いた危惧が現実の物となってしまう松の廊下

 

ネチネチと内匠頭をいたぶる上野介。

 

史実では名君と崇められたという上野介だが、与一さんの上野介は

 

高家肝煎筆頭という品もありながら、あくまで敵役として憎々しげに

 

若き内匠頭を罵倒し続け、耐えに耐えた末に、堪らず刃傷に及ぶ内匠頭。

 

歌舞伎なら大向こうから「音羽屋!」と声がかかりそうな、

 

さすが、若手人気役者!の呼び声高い熱演であった。

 

何より松也さんの演技は本職の歌舞伎の舞台でも華がある。

 

辞世の句を残し無念の思いを抱いて切腹する内匠頭。

 

その知らせを受けた赤穂城での評定城明け渡しと舞台は変わり

 

そして山科閑居での奥方りくや子ども達との別れの場面へと回想は続く。

 

心ならずも去り状を渡し、妻子との別れの朝を迎える内蔵助。

 

初めて出演された紺野 美沙子さん演ずるりくの出番はここのみであるが

 

凛とした決意とその立ち姿には存在感があった。

 

束の間の妻子との和やかな時間。

 

内匠頭の奥方あぐりから下賜された雛の前に子ども達が採ってきた

 

庭のだいだいの実を飾り、その実にまつわる昔話を語るりく。

 

それを聞いた内蔵助は、弟とも息子とも思っていた内匠頭の苦難の時、

 

その側近くにいられなかった己を責め、短慮な行いをした君主を「殿は馬鹿だ。」

 

と苦悩の想いを吐露しつつも、「忠義の物語を作るのだ。」と討ち入りの決意を固める。

 

これこそが新しい忠臣蔵の解釈であり、舟木内蔵助を位置づけた秀逸の場面であった。
 

そして回想部分から最初の「一力」の座敷へと場面は展開する。

 

押し問答をする安兵衛らに、葉山葉子さん演ずる花魁浮舟は

 

内蔵助の真に秘めた想いを察し、責め続ける浪士達を窘める。

 

これもまた、デビュー当時から幾度となく競演されてきた

 

葉山さんだからこそ醸し出される、行間に漂う情が垣間見えたように思う。

 

最後は、その心中に去来する虚しさとや哀しみを振り払うかのように

 

花咲か爺さん(舟木さんの弁)よろしく満開の桜の下で

 

艶やかな遊女たちの舞い踊る上に桜の花びらを撒く内蔵助の姿で幕を閉じる。

 

『花の巻』と呼ぶにふさわしい前編であった。

 

                               ~後編『雪の巻』に続く~