東山山麓線にあるお蕎麦屋さんで
昼食を摂ってから、中央高速で原村へ。
阿久遺跡は「あくいせき」だと思い
カーナビで検索しましたが、出てきません。
ネットで検索して印刷した原村の地図を見ながら、
夫の野生の勘?(^o^;)を頼りに、見当をつけて
あちこち回ってみましたが、よくわかりませんヽ(;´ω`)ノ
途中、農道で作業をしていた方に伺い場所を教えて頂いて、
やっとたどり着くことができました。
すぐ近くで、あながち外れてはいませんでしたが・・・。
林の横の空き地に四阿があり、そこに先客が。
駐車場になっているようなので、私達も車を停めました。
入口にあった看板を見て
「あきゅういせき」と読むのだと判明(^▽^;)
カーナビで検索しても出てこないはずです。
『八ヶ岳西南麓の丘陵、阿久川と大早川に挟まれた尾根上に立地する
縄文時代前期を中心とした大規模な集落跡である。
三期にわたり造りかえられているが、最後の時期には、
中央に広場があり、その周囲に①環状の集石群と土壙がめぐり、
環状の規模は径120m、幅30メートルを計る。広場中央には、
立石、列石遺構がみられ大祭司場と想定されている。
また②掘立柱施設(方形柱穴列)や住居跡も多数発見されており、
従来の考古学的知見をくつがえすような新遺跡の発見が相次ぎ、
前期縄文時代観の転換と評価された。
なお、本遺跡は、中央自動車道西宮線建設に先だって、
昭和50~53年に発掘が行われ、貴重な遺跡を後世に残すため
保存運動がおこり、発見された遺構を埋め戻した上に、
中央自動車道を通す方法で、遺跡の保護を図った。
阿久尾根全体におよぶ55640.57㎡が
昭和54年7月、国史跡に指定された。』
とのこと。(①、②は便宜上私がつけたもの)
「阿久遺跡」の図入りの詳しい説明看板も立っています。
『阿久遺跡は八ヶ岳西南麓遺跡群と呼ばれるもののひとつで、
縄文時代前期を中心として、早期・中期・後期と平安時代後期
にかけての複合遺跡です。中央自動車道建設に先立って
行われた発掘調査により、遺跡の重要性が確認され、
道路下に埋没保存されました。さらに昭和五十四年に
遺跡全体が国史跡に指定され公有化されました。
阿久遺跡は、ほぼ縄文時代前期を通しての人々の生活の場であり、
住居域から祭場へと変遷して行った過程と、前期の墓制や、祭式など
社会・精神構造を知ることのできる遺跡として、全国的に例が無く、貴重なものです。
広範な住民の強い要望によって、国史跡に指定された
阿久遺跡を、発掘調査の成果をもとに史跡公園として整備公開し
広葉樹を中心とした雑木林の中に住居群や立石・列石などを復元し、
芝とレンゲツツジを使って環状集石群の位置表示を行います。
また休憩施設も設置し、来訪者に憩いの場を提供する予定です。』
環状列石とはストーンサークルのような遺構のこと。
発掘された縄文時代前期の村跡の写真。
最初の説明にあった①環状の集石群と
②掘立柱施設(方形柱穴列)の写真も。
こちらが、遺跡の想像図。
新聞記事にあったのは、遺跡から見える八ヶ岳連峰、
権現岳の「北の峰」から春分・秋分の日の太陽が昇るということを、
地元の考古学ファンの方が発見したというもの。
その方は、3年前にこの「北の峰」が「旭岳」と呼ばれていることを知り、
縄文人が、すでに暦を作っていたのではないかと推察したのだとか。
北の峰がどこかは私にはわかりませんが
たしかに、遺跡から八ヶ岳連邦が綺麗に見えます。
大好きな蓼科山も連なって見えます。
さて、雑木林の中の道を辿って行くと…
広場に出ます。
そのすぐ横が中央高速道。
走っている車が目の前に見え、手が届きそうなほどの距離。
間違っても、車が飛び込んでくることはありませんが、
分かっていても、ちょっと怖いような(゜д゜;)
林の中には、切り株に刻んだ様々な動物の彫刻が。
これは鷲でしょうか。
熊や
栗鼠
そして猪も。
猪の鼻の頭に、赤とんぼが止まっていました。
今は発掘しても、その状況を記録し発掘品を保存した後は
元のように埋め戻して遺構などを保護するという方法を取る
ということを、先日の「遺跡調査報告会」の時に知りました。
高速道の下に眠る遺跡に思いを馳せながら
木漏れ日の道を辿り、車に戻りました。