【尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床


木曽の桟(かけはし)かけし世も 心してゆけ久米路橋


くる人多き筑摩(つかま)の湯 月の名にたつ姨捨山


しるき名所と風雅士(みやびお)が 詩歌に詠みてぞ伝えたる】


4番になると、急にメロディが変わり、テンポもゆったりとなります。


あらためて楽譜を見ると、ト長調のままなので


転調ではありません。


信州各地の名勝地を歌っているだけに


情緒が強調されるように、という作曲者の


意図があらわれているのでしょうか。


または、作詞者の浅井冽は漢文の教員であった


ということから、漢詩の起承転結を念頭に置き


1番で信濃の全体像を「起こし」


2番、3番でそれを「承け」、詳しい説明をし


そして4番はまさしく「転」を


曲によっても表現したのではないかしら、と思ったりもします。


「まほしき」は願望の助動詞「まほし」の連体形。


「たずねまほしき」は《尋ねてみたい》という意。


「園原」がどこにあるのかを知ったのは、


長女が阿智村にある花桃の里「昼神温泉」に


一泊旅行で連れて行ってくれた時でした。


「へぇ~、ここがあの歌にある園原なのか。」と


感激したことを覚えています。


源氏物語の「帚木」の巻の名は、


ここに実際にある、帚木(ハハキギ)


という木からつけられたということ。


「駒つなぎの桜」は、源義経が奥州に下る時に、


乗っていた馬を繋いだという伝説を持つこと。


そして、日本武尊(やまとたけるのみこと)が


この地を通った折り、悪事をなす神が白鹿に化けて


日本武尊の前に現れ、苦しめようとしたのですが


尊は、噛んでいた蒜(ひる)を鹿に投げつけ


それを退けたという伝説から「蒜噛み」が


「昼神」になったことなどを知りました。


「寝覚ノ床」は、浦島太郎伝説もある有名な木曽の名所。


特急「しなの」では、この近くになると心なし速度をゆるめ


案内のアナウンスが流れます。


「木曽の桟」も、同じく木曽にあり、難所と呼ばれていた由。


「久米路橋」は、信州新町の犀川にかかる橋で


川の氾濫により、しばしば橋は流されたとか。


木曽の桟と同じく、難所。


《木曽の桟が架けられた昔を忘れず、


気をつけて久米路橋を渡りなさい》


という意味でしょうか。


『雉も鳴かずば撃たれまいに』という慣用句のもとになった昔話は


この地の出来事であったようです。


「筑摩の湯」の「筑摩(つかま)」は、ここ松本の古称。


浅間温泉から美ヶ原にかけての温泉を言う


というのが、一般的な説です。


ここは古く、宇治拾遺や今昔物語にも


その名が記されている、有名な温泉地であったようです。


「姨捨山」はその名のもとになった昔話とともに月の名所。


山の斜面の棚田に映る「田ごとの月」としても有名です。


「しるき名所」の「しるき」は「著し」の連体形で


《誰もが知っている名所》つまり《有名な所》


「風流士(みやびお)」は、字の如く《風流を解する人》


詩人や歌人を言う言葉。


《有名な所として多くの風流人が詩や歌に詠み


後世に伝えている》という意味でしょう。


長野県は、その名の通り南北に長いので


まだまだ訪れていな場所がたくさんあります(^o^;)


久米路橋は、名前は知っていても


その場に行ったことも、見たこともありません。


一度は行きたい場所でもあります。