(小説)亜季・・幸せまでの滑走路 No,36
36、亜季・・変わり時 よく人は歳を重ねた後に「本当にあっという間だった。」と言う.。.がその間にどれだけの事を感じ、何を得て、何を捨て、人生の終わりに何を手にするのだろうか。結局のところ与えられた時間の大半は他人と自分の摩擦をいかに少なくして安らかに日々を送るかという事に費やされる。それでも長い人生では一度か二度は譲れない意地にも似た感情が噴出す場面に遭遇する事がる。 亜季の学生生活は順調に終わりを告げ,それぞれが新しいスタート地点にいる。暖かくぼやけた初夏の風が街を通り抜ける。学生という一つの枠から解き放たれた亜季と朝香が今ここにいた。一人は花嫁という名の幸せを美しく身にまとい、ひとりはそんな友人を笑顔で見つめながら心の中であの大学祭の始めてのライブの日に芽生えたかすかな、小さい希望という階段をやっと一段上り始めた自分。綺麗な朝香に送る曲は「The Moment」ピアノを弾く内に朝香との4年間が亜季の胸の中で優しく通り過ぎていく。女性にしても、男性にしても友情は永遠ではない。この先の人生の進め方で近くもなり、遠くもなる。ただ友情と呼ぶには振り返った思い出は優しい方がいい。ふと顔を上げ朝香を見た亜季にその友達はいつもと同じ微笑で頷いた。そして亜季もしっかりと頷いた。これまでのような自信のなさそうな表情ではなくやっと目的地が見えたという輝きの眼差しで。 明日の朝、新婚旅行に発つ二人の為に二次会も十一時には終り、それぞれが「おめでとう。」「幸せに。」の言葉をたくして去って行った。最後に亜季が残りもう一度花嫁姿の朝香を見つめた。「朝香、本当に綺麗・・こんな綺麗だったかな?」「何言ってんのよ、今頃。私だもん。きっと結婚式場の花嫁、ベスト3には入るわね。」そう言うと笑いながら亜季を見た。「今日はありがとう。あのピアノよかった。亜季、何かいい事あった?いつもと顔が違う。」「いい事かどうかはわからないけど自分の進む道が見えた気がして。」「そう。やっぱりジャズピアニスト?頑張ってよ。落ち着いたらライブ見にいくからね。マルシェは一緒?」「うーん、暫くはそうかも。でもわからない。私は私のやり方で進む。」「そうか。亜季は見た目より頑固だものね。でも、何かあればいつでも来てよ。家は遠くないんだからさ。そうだ、私がマネージャーやろうかな。」「何言ってるの。お給料なんて出せる身分じゃありません。それにそんな暇ないでしょう。でも、なんか訳がわからなくなったらきっと電話する。」「そうだよね。亜季はすぐ方向を見失うから。近いうちにまた会おう。本当だよ。」朝香はこの日始めて亜季が遠くなるかもしれないと感じていた。だから何度も念を押したのかもしれない。「イタリアからの手紙待ってるね。じゃあ、そろそろ行くね。」そう言い残して亜季は店を後にした。外に出るとせまる真夏の匂いを含んだ暖かい小雨が降り出した。日比谷の駅まで数分。亜季はぬれるのも悪くないと思った。すべて起きる現実をそのまま受け止めたい。それが今の亜季。今ここにいる亜季は自分の中に埋もれていた一年前の亜季とは違う。嬉しい事も、悲しい事も、時には怒りや憎しみも、そして誰かを押しのけても自分の希望と欲を掴みたいと思う自分を亜季は受け入れ始めていた。一番信頼できる女友達の結婚。そこにはうれしさとほんの少しの寂しさがあった。人の幸せを願うという感情には本当であれば本当であるほど言葉にはできない寂しさを含むものかもしれない。信号が赤になり立ち止まった亜季に近いうちにまた会おうと言った朝香の声が一瞬駆け抜けた。そして信号は青に。歩き出した亜季の胸に刻まれた確かな一歩は・・(私は近い内にニューヨークに飛び立つ。ジャズピアノで一流を目指したいから。日本にいたままではだめかもしれない。必ず行く。それも秋が来る頃に。また、ママを悲しませるかな・・でも、私は行く。) そのあまりに唐突に見える決断が亜季の中で動きだした。いつもぼんやりしている様に見える亜季は決めるとどこから沸いてくるのか行動力が別人の様に素早くなる。ただ、優れたAIでも人の人生は見通せない様に結末の予定は亜季もまだ持ってない。